底から這いあがった記憶
「あたしはこの島の外の出身でね。ここに来る前は長らくキャラバンで働いてたって言っても、わかるかい?」
「えっと」
「海運を陸路でやる、って言やぁいいのかね。船の代わりにラクダで隊列組んで」
「ラクダ?」
「あぁ、毛だらけで大きな馬みたいなものさ」
「馬?」
「そうだったね。この島には馬がいなかったね。馬は、四つ足の動物で、あたしなんかより背が高くて、長い足に蹄っていって硬い爪でパカランパカラン走るんだよ」
「はぁ」
いまいち想像つかないけれど、そういうのがいるのだろう。
「まぁそんな度物に荷物を持たせて、長い長い旅に出てたのさ。あちこちで品物を買って運んで売りさばく集団をキャラバンと言うのさ。これが結構儲かってね。例えばこの島なんかじゃタダ同然に手に入るバナナだって、向こうの国まで運べば、樽一つで家が建つ」
「そんな」
「本当だって。ここで普通のものが向こうでは珍しい。さっき言ってた馬だって、大陸じゃそこらにいるんだよ。そう考えりゃ、不思議でも何でもないだろ?」
そう言われれば、そうな気がしてきた。
「そこにあたしは給仕係、料理人として雇われてたんだが、これがなかなか大変な旅でね。一度出たら帰って来るのに一年近くかかる。それに安全な道ばかりじゃなくて、険しい山や猛獣の出る森、何もない荒野なんかも通って、命に係わることも一度や二度じゃなかったよ」
「そこに、クベスもいたんですか?」
「いた、というよりも、途中で入ってきた。いや、違うか」
言い淀み、少し考えてからブレンダさんは口を開く。
「ここまで話しておいてなんだけど、この話はここだけにしてやって欲しいんだ。あいつは平気だって言ってるけど、それでも金で買われたなんて過去は自慢できるもんじゃないからねぇ」
思わず目を剥く。
「買われたって、クベス、奴隷だったんですか?」
「……いや、ある意味でそうでもあったし、違う意味では、それ以下だったのかもね」
ブレンダさんは一息吸い込んで、覚悟を決めたように言葉を発した。
「あいつはね、ペットだったんだよ」
◇
ペット。
小さな動物なんかを家族として買ってるやつだとは知ってる。
クラスメイトには虫とかトカゲとか鳥なんかをペットにしている人もいるし、観光客の中には犬や猫をわざわざ連れてきている人もいた。
俺も一時期、小鳥のペットが欲しいと思ってた時期もあった。けど、鳥がフンを垂れ流してて掃除が大変と知って諦めたこともあった。
そんなペットと、クベスとが、どうしても結びつかなかった。
「あの国は、酷い国だったよ」
ブレンダさんは続ける。
「資源も国土もない小さな国で、だけど技術と学識は高くて、それで社会的には女性の立場が強くて、それだけならいい国なんだけど、あそこの女は、腐ってるんだよ」
苦々しい表情、本気で嫌ってるんだと伝わった。
「あそこの女どもは、男もだけど、みんな自慢したがりで、いかに他人よりも優れてるかで競い合ってた。住処、学歴、出身、血統、資格、衣服にその日の食事、ここの観光客も気取って歩いてるだろ? あんなん目じゃないぐらい見せつけてくる。そして見下してくるんだ」
言われて何となく、わかった。
「その競い合いの中にペットもいてね。如何に珍しく、綺麗で、優れたペットを連れてるかで競い合ってんだ。そこに珍しい猫を運び込んで売りさばくのが仕事で、その帰りに、あいつがクベスを連れ帰って来たんだ」
また苦々しい表情だ。
「あいつ、うちらのキャラバンをまとめてた男も負けず劣らずクズでね。人脈や商売の素質は高いんだけど、正確が、酷かった。例えば長い旅の間、たまったうっぷんを新入りの弱いのをいじめて解消するような、それをキャラバンに広げて推称するようなやつだったよ。だからうちらのキャラバンは給料いいのにいつでも人手不足で、それを補うためにあいつはクベスを買ってきたんだ」
買ってきた。意味は、そのままなんだろう。
「取引先が在庫処分にって、やたらと安く値切れたと自慢しててね。値段を訊いたら、このシチューよりも安かったよ」
「そんな」
人の値段、相場なんか知るわけないけど、だけどそんなに安く売り買いできるなんて、想像できなかった。
「それで、あたしらと初めて会った頃のクベスは、本当に、あんたみたいだったよ。体の小さな痩せっポッチ、口数少なくて、自己主張しなくて、遠慮がちで、でもあいさつやお礼はちゃんと言える子、ほんとにそっくりだったよ」
俺、ブレンダさんにそんな風に見られてたんだ。
「言った通り、キャラバンの仕事はきつくてね。大人でも逃げ出すぐらいだから、当然子供のクベスにはかなりきつくて、なんでもできないのが当たり前だった。そして失敗するためのあいつらは小さいのに頑張ってるクベスを殴り飛ばしてた。根性を鍛えなおしてるんだーなんて言ってたけど、あれはただの暴力だったよ」
「……それで、あんなんになっちゃったんですか?」
俺の質問に、ブレンダさんは首を横に振った。
「意外かもしれないけど、こいつはそれでもなついてたんだよ。殴られても殴られても、それこそ尻尾を振ってついていく。それで懸命に、一途に、気に入られようと毎日頑張る。あいつのことを『アニキ』なんて呼んでさ。はっきり言って、見てて痛々しいほどだった」
またブレンダさんの表情が曇る。けどこれは苦々しいというよりも、恥じてる表情に見えた。
「あいつは体がでかくて、格闘技もやってて、キャラバンのまとめ役でなくても普通に逆らい辛い感じでね。多少の暴力なら、はっきり言って見逃してたんだよ。だけどあんまりだったから、そろそろ止めないとって話してたんだよ。そしたらそれを聞いてたクベスが止めるんだよ。俺はアニキのことが好きだから、やめてくれって」
小さく、力なく、ブレンダさんは笑う。
「聞いたらさ。あいつは血統書付きの高級ペットだったんだとさ。それでご主人様を喜ばせるためにマナーとか、歌とか、踊りとか、色々芸を覚えて、気に入られようとしてた。命じられたら何でもやって、本人はそれが普通だと思ってた。なのにあくる日いきなり捨てられた。何でだか、わかるかい?」
わかるわけない。首を横に振る。
「あいつはね。大きくなりすぎたんだよ」
「はい?」
「成長しすぎた。大人になった。だから価値がなくなって捨てられた。同じようにハイハイしてても、赤ちゃんとおっさんとじゃ印象違うだろ? あいつは赤ちゃんとも子供ともいえない年頃になって、大きくなって、もう可愛くなくなったから捨てられた。あそこは、そういうところだったんだよ」
……驚きすぎて言葉も出なかった。
何か、こう、間に言葉が抜けてるんじゃないかと反復し、だけどこれだけで、それだけだった。
「成長なんかどうしようもない。本人はその分を芸とか磨いて、努力してたのに、もうどうしようもなくて、あくる日いきなり捨てられてのたれ死ぬしかないって時に、拾われた。拾ってくれたんだって、あの時アニキに買われなかったらとっくの昔に死んでたんだって、あそこに比べたらここは天国なんだって、真っすぐな目で、こいつは言い返してくるんだよ」
どんな場面か、どんな感じか、全然そうできなかった。けど、そのまっすぐな目だけは、何故か容易に想像できた。
「こいつにとって、殴られ続けても、こっちの方がいいんだって、こっちはまだ、俺を人と思ってくれるって、だからこのままにしてくれって、必死に頭下げられちゃあ、もう何も言い返せなかったよ」
地獄、想像のつかない世界、そこからクベスはやって来た。
「……そんなキャラバンが解散させられたのが、それから三回目の旅の途中だったよ。そこで、やつらに出くわして、クベスの言う天国も消えたんだ」
ギリ、とブレンダさんが奥歯を噛む。
「あの、忌々しいモルタルネズミ共が、全部を壊したんだよ」
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