仕事の話

 化粧を落とし、髪を束ね、着替えた。


 白のシャツに茶色のズボン、茶色い革靴、いつもお店に出る格好だ。


 脱いだドレスをちゃんとしておきたいとか、もっとちゃんとした格好でとか、そもそも母さんがいないのにどうするのかとか、考えたいことは沢山あったけど、そんな暇もなかった。


 できるだけ急いで、だけど音が響かないよう階段を下りて、作業場を抜けて、お店への扉の前で一度止まって、深呼吸する。


 母さんのマネ、それでも落ち着きを取り戻して、よし、ノックする。


「お待たせしました」


 ドアを開け、声をかけ、店内へ。


 お世辞にも広くない店内、棚には見本の布が積み重ね、真ん中の机には見本のボタンと糸とラフスケッチの本、窓際にはマネキンが三体、その内の一体が裸なのは、そのドレスをさっきまで俺が着ていたからだ。レジを乗せたカウンターに、その裏には島では珍しいゼンマイ時計が時を刻んでる。その横には、母さんが持つ資格の証書や感謝状なんかが額で飾られてあった。


 これが母さんのお店だった。


 完全なオーダーメイド、サイズごとの量産品や古着ではない、そのお客様のみを目的とした服の仕立て、それが母さんの仕事だった。


 この店内で、お客様と交渉したり、寸法を測ったり、笑顔を絶やさず接客してる母さんは、俺の知ってる母さんの三分の一だった。


 そんな店内、面倒なことになっていた。


 クベス、賞金稼ぎのコボルト、コートのポケットに両手を突っ込んだまま積み重ねられた布を端から見て、いや臭いを嗅いで回っていた。


 一方の執事さんと女の子たち、出入り口前のドアから離れず、クベスに身構えていた。


 執事の人は鋭いまなざしをクベスから反らさず、身構えて、緊張感があった。


 ……こんな両者をどうやって同室に入れたのか、自分でやっておきながらよく覚えてなかった。


 ただどちらもお客様で、順次対応しますから店内でお待ちください、とかなんとか言ったのは覚えてる。


 それで鍵を開けて、中に入れて、急いで二階で着替えて降りてきたのが今だ。


 まだ店内は屁の悪臭に溢れてなかった。


 せめてもの幸いは双子の二人、クベスに対して怖がらず、むしろ面白がってる風であること、それが救いだった。


「こっちは後で構わんぞ」


 クベスは振り向きもせず言い放つ。少なくとも順番で揉めることはなさそうだった。


「……彼は、仕事関係の方ですか?」


「あ、いえ」


 怪訝な顔の執事さんに曖昧な返事、一瞬考えてから、程よく正直に話すことにした。


「実は、このお店のオーナーの母が先日亡くなりまして、その事後手続きで来てもらってるんです」


 すらりと出てきた言葉、嘘は、言ってない、つもりだ。


「……そうでしたか」


 執事さんは納得した、というよりも察した、という感じだった。


「なのであまり難しいお仕事は、今はお受け出来ないのですが」


 応えると、執事さんは一瞬驚いた顔を見せた。


「実は、こちらのお直しをお願いしたかったのですが」


 そう言いつつ布をどかせて見せたのは、水着だった。


 ……緑色の、女の子物の、上と下とが一体化した、水着だった。


 想定外に、固まる。


「ここの肩紐が伸びてしまって、ですがゴムを取り扱っているのがこの島ではこちらだけと伺ってまして」


「ハイ、取り扱ってます」


 声を裏返らせながら、落ち着きを取り戻す。落ち着け、俺、こんなの中身の入ってないただの布切れじゃないか。


 やれる。平気だ。


 それにゴムも、ある。使える。というか今も、このズボンを止めてるのはゴムの紐だ。


 自慢じゃないけど、この島でゴムを取り扱ってるのはここだけで、俺も扱いを教えられてるから、慣れたものだ。


 だから、やれる。いや、やれると思う前に見ないと。


「それで、そちら、拝見させていただいても?」


「どうぞ。お願いします」


 言って手を差し伸べると、執事さんはあっさりと水着を差し出した。


 受け取り、確認すると、確かに右肩の部分が伸びてる。これでは泳いでいる時に脱げてしまうだろう。もう使えないが、ただ交換すればいいだけで、その交換するゴムもある。そんな難しい作業ではない。これなら、俺でもできた。


「これ位なら、一日頂ければ」


 答えて後悔する。


 母さんは、いない。俺でもこれぐらいならば、技術的には直せる。けど、男だし、色々と問題があるはずだ。


「これはどなたがお直しになられるのでしょう?」


 執事さんの質問にドキリとする。


「あの、彼ではなく?」


 声を出せずに狼狽える俺に気づかず、執事さんは目線も向けずに言う。彼とはクベスで、その意図は流石にわかった。


「彼は、お、私個人のプライベートなことをお願いしてるので、裁縫の仕事とは無関係です。なのでこちらには触れさせませんし、もちろん個人情報は一切渡しません」


 ……仕立て屋は、お客様の秘密を多く知る。


 体格や体形だけじゃ無くて、その健康状態や、趣味趣向や、時にはもっと深い所も知ることがあると母さんは言っていた。だから腕も必要だけど信用もなのよと、口癖みたいに言っていた。


 それを破るつもりは当然なかった。


「「お願いしましょうよ」」


 重なる声は双子からだ。


「水着はいるでしょ?」


「早い方がいいのでしょ?」


「だったらお願いしましょうよ」


「このお店なら、問題なくて?」


 燥ぐようにつなげる双子に、執事さんは折れたようにため息をついた。


「……わかりました」


 執事さんの言葉に、二人は嬉しそうに微笑んだ。


 どの笑顔を見てしまったら、断るなんてことはできなかった。


「でしたら料金表を」


 嘘を抱えて仕事をる進める。


「いえ、大丈夫です」


 出す前に遮られた。


「さほど掛かりはしないのでしょ?」


「えぇ、まぁ。取り換えるだけですし、ゴムもそんなにはお高くないですし」


 ざっと計算、頑張ってもお昼の一食代にも届かない。その分本当に朝飯前で終わらせられそうで、手軽で安い仕事だった。


「でしたらお願いします」


「……わかりました。ではこちら二枚にお名前をお願いします」


 母さんの見よう見まね、カウンターの下から書類セットを取り出し、ペンとインク壺と共に差し出す。


『ピカンテ・ワサビ』


 受け取ってさらりと書いた名前は、達筆な字だった。


「これでよろしいでしょうか?」


「確かに、それではお預かりします。そちらは引き換え書なので、お持ちください。明日の今ぐらいの時間ならできていると思います。お代はその時、納得いただければ」


「わかりました。それではお願いします」


 時計をチラリと見ながら、引き換え書をきっちり三つ折りにすると懐にしまって、執事さんは綺麗なお辞儀をした。


「それではまた明日、受け取りに参ります。お嬢様方、参りましょうか」


 そうってきびきびした動作で先に行き、ドアを開けて二歩を待つ。


「「はーい」」


 返事して続く双子たち、だけど出る直前で立ち止まり、クルリと回って振り返った。


「私はダーシャ・ハブーフ」


「私はマーシャ・ハブーフ」


 名乗ってスカートの裾を持ち上げ、優雅にお辞儀してくれた。


「あ、え、スターです。スターリング・ミストラルです」


 慌てて名乗り返し、お辞儀返す。


「「ごきげんようミス・スターリング。またお会いしましょう」」


 小鳥がさえずるような綺麗な声を残して、二人と執事さんは店を後にした。


 ……可愛かった。


 この島にはいない、別世界から来た、まさにお嬢様、夢のような時間だった。


「やっと行ったかなよなよしい眼鏡エルフ、それに喧しい双子ども。やーーっと真面目な話ができるな。な!」


 夢のような時間が終わった。


 ◇


「初めに言っておくが、何でお前の母親が殺されたのか、俺にはわからねぇ。そもそも本当にやつらなのかの確証もあるかっつったら、ぶっちゃけねぇ」


 ラフスケッチの本をペラペラめくりながらクベスは本末転倒なことを言う。


「断言できるのはモルタルネズミの連中がここに来てるってことと、やつらが何かしら酷ぇことをやらかそうとしてるってことだけだ。葬儀に行ったのも、最近変わったことないか、の答えがあれだったから行っただけで、確信があったわけじゃねぇ」


 本をめくるのは止めてないが、それでもクベスの語調が本当だと言っていた。


「でも、母さんのおなかを見たら、当たりだったんですよね」


「まぁな。真正面からでかい刃物で腹を刺す。それも防御創、抵抗した時にできる腕の傷が無しってなると素人じゃ考えられん。だがモルタルネズミにそうするのが得意な奴がいてな、だったら無関係とは考えにくいが、無関係じゃないとも言い切れんのだ」


「つまり、証拠がない?」


「確証、だな。どっちみち証拠は残ってないだろうさ」


 あっさりと言われた。


 それで、俺の中に、一つの思いが現れた。


 突拍子もない、夢のような話、その夢から目覚めさせるように、パタリ、と本が閉じられる。


「さっきのやり取りだが、他の客でもあぁなのか?」


「あぁって?」


「書類だよ。控えとか、残ってんのかって話だよ」


「あります、が」


「……俺には出さないって顔だな」


 これに、少し迷ってから頷いて返した。


 顧客情報はお店の信用、それをいくら母さんのためとはいえ、明かすことができない。


 確固たる、なんて言ったら笑われるかもしれないけれど、見せるつもりはなかった。


 「……あぁそうかよ。糞」


 露骨に悔しがるクベス、それだけ重要なことが書かれているのだろう。


 ……それで、一つ、夢を現実にする手を、思いついた。


「……お見せすることはできません。ですが」


「ですが?」


「俺は読むことができます」


 ……サングラス越しでもよくわからないって顔だとわかった。


 だから、説明する。


「そうでなくても、書かれているのは元々こちらの業界のことなので、部外者が読んで理解できる代物じゃあないです。量も膨大ですし、正直母さんの字は、癖が強いので、ですから、俺が読んで、教えます。何が重要で、どこが怪しいか、俺が調べるんです」


「……代わりに? いくらだ?」


「代わりに、俺も連れて行ってください」


「……あ?」


 呆れた感じの反応、当然だと思う。だけど引く気はない。


「母さんは、優しい人です。まじめで、仕事ができて、一人で俺を育ててくれて……決して殺されるような人じゃない。なのに殺された。何故か、俺は知りたいんです。そして、犯人に罰を与えたい」


「……復讐か?」


 冷たく、刺すような声に、怯む。けど、引く気はなかった。


「いえ。俺が欲しいのは……多分、真実です。殺されたことを隠す大人より、それを暴くあなたが信用できる。だから付いて行って、真実が知りたいんです。その後は、正当に法の下で捌かれるなら、それ以上何も望まないです。賞金も、いらないです」


 正直な思いだった。


「お願いします。邪魔はしませんから」


 頭を下げる。


「冗談だろ?」


 当然のように、反応は悪かった。


「素人のガキ連れて? 荒事で邪魔にならんと? んな子守りしてまで、やる価値あんのかよ?」


 ざっくりと言い返されて、返事に詰まる。


 あるかないか、この場で断言できない。だけど、この場で逃したら、二度目がない気がした。


 だから、弱みを突くことにする。


「……夜、どうなさるつもりですか?」


「……泊めるって話じゃなかったか?」


「そうは言ってませんよ」


あそこで話を聞きたいと言っただけ、泊めるとは言ってない、はずだ。


「ホテルの件、見てましたから。宿無いなら、ここで過ごしてください。二階ならベットもありますし」


 ……寝かせるなら俺のベット、俺は母さんのベットだ。


「……つーか、なんだ、この家に? お前と?」


 クベス、頭を掻いて、考えてる。感触は悪くない気がした。


 だから捲し立てる。


「その他にも島の案内とか、できることはあります。なんでもします。できなかったら覚えます。ですから」


「……あーったよ」


 クベス、折れた。思ったよりあっさりだった。


「その代わり、危ないのは無しだ。絶対に前に出るな、俺の話聞いて後ろにいろ。ヤバくなったらまず逃げろ。保身が第一だ。いいな?」


「はい!」


 自分でもびっくりするほど良い返事だった。


「それからもう一つ、俺のことは『アニキ』と呼べ」


「アニキ?」


「そうだ。じゃあ決まりだな。ま、一応やるべきことやっとくか」


 言うやクベスはずっと持ったままだったアタッシュケースをドカリとカウンターの上に置いて開く。


 ちらりと見えた中身は布袋やら木箱やらが雑に詰め込まれて混雑していた。その中のどこからか白くて、だけどもしわくちゃな紙を二枚、引っ張り出す。


「名前は、書けてたよな」


 言いながらカウンターの開いたスペースに紙を置き、さらにどこからか銀色の棒を取り出すと、カポリと先端を取り外した。


 先端は黒い綿、これは綿ペンだった。


 金属の筒に硬めに綿を詰めて、インクをしみ込ませた最先端のペン、高級品で、見たことはあったけど使うところは初めて見た。


 珍しい光景、それ以上に、クベスのペンの持ち方が奇抜だった。


 親指と手の平だけで筆を挟んで、残りの指はまっすぐに、そして手首は動かさないで肘と肩と使って動かして、さらさらと書き上げた。


「ほらよ。それで問題なけりゃ、一番下に名前かきな」


 渡された紙、息を飲むほど達筆だった。


 まるで活版印刷みたいな整った字、それがきちんと真っすぐ、同じ大きさで書かれていた。


 あんなへんな持ち方でかかれた書類、一番上には『契約書』と、そして一番下には『クベス・ブラックタン』とあった。


 ……間の文面は難しすぎて何を書いてるのかさっぱりだった。


「こっちは控えだ。内容一緒、問題なければこっちにも名前な」


 そう言って二枚目を、これもまた達筆で、まったく同じ書面、皺や織目が無ければ区別付かないだろう。それどころか、重ねて透かしたら全く同じで、もはや不気味だった。


 ……わざわざ書類を手渡してるのだ。変なことは書かれてないだろう。そう信じて、どちらともに自分のペンとインク壺で名前を書いて渡した。


「ま、いいだろう。こっち、しまってこい。さっそく出るぞ」


「あ、え? 今からですか?」


「行きたい場所が二か所もあんだよ。特に情報屋、こいつのと話が半端でな、ちゃんと詰めておきたい。何、日暮れ前までには戻れる。それ、切羽詰まった仕事でもねぇだろ?」


 それ、と鼻で刺された水着はアタッシュケースの下、肩紐だけが見えていた。


「書類しまったら店は閉めとけ。どうせロクな仕事できねぇんだろ?」


 言いながらアタッシュケースに自分の書類をいれて閉じるクベス、出発の準備はできてるようだ。


「少し待っててください」


 慌てて奥へ、俺は書類を置きに行った。


 これが、契約の始まりだった。

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