別れと出会い

 嫌になるほど透き通った青空、心地よい潮風、昼寝にはうってつけの陽気の中、観光客で騒がしい公園の隣、島の内陸側にある墓所で、葬儀は執り行われていた。


 ただ石を並べて名を掘っただけの墓石の列、その中心辺りにそびえてる何かの石のモニュメント、その前の開けたところに棺が、地面に直に、まるでベットのように置かれていた。


 だからか、そこに横たわる母さんは、静かに寝ているようにしか見えなかった。


 ウェーブのかかった綺麗な金色の長髪を左右に流して、臍の上あたりで手を合わせてあって、瞼は閉じて、いつもベットではこんな感じで寝息を立てていたんだ。


 思い出して、耐えられなくて、信じられなくて、夢だと思って、そっと、母さんの肩に手を伸ばしてみた。


 ……けど、冷たくて、硬い感触で、間違いなく死んでいた。


 母さんは死んでいた。


 母さんは、死んでしまったんだ。


 ◇


「スター、先に寝ててね」


 ……これが、母さんの最後の言葉になるなんて夢にも思わなかった。


 一昨日の夜のことだ。


 いつもと変わらない夜だった。


 いつも通りの学校、さっさと終った宿題、母さんの仕事を手伝って、これと言って思い出しても何もない、しいて言うなら夕ご飯がデリバリーだったことと、母さんの仕事が早めに終わりそうだと話してくれたこと、そしてお祭りには一緒に行けそうだと話してくれたことぐらいだった。


 お祭り、年に一度の独立記念祭、まだ先の話なのに楽しみで楽しみで、興奮してなかなか寝付けなくて、母さんが出来上がった服を、目に刺さるような真っ赤なドレスを、お客様へ届けに出るのを見送ってから、一人先にベットに入っても、なかなか寝付けなかった。


 母さん、忙しい人で、休みなんか滅多になくて、だから一緒に行けるだけで嬉しくて、夢の中までそのことでいっぱいだった。


 ……それで、朝目覚めて、だけども母さんは家にいなくて、心配になって探しに出て、だけども見つからなくて、仕事の関係先回って、だけど会えなくて、もう帰ってるかもと家に帰ったら、大人が集まってた。


 そこで初めて……母さんが死んだと知らされた。


 『何で?』とか『どこで?』とか『どうして?』とか、沢山訊いたのは覚えてる。


 けれど、そのどれにも答えは貰えずに、ただ今日、ここで葬儀が行われるとだけ知らされて、ほっとかれた。


 …………母さんに再会できたのも、ついさっきだった。


 ◇


 長々と続いた、よくわからない祈りの言葉がやっと終わって、大人たちから形だけのお悔やみの言葉をかけられて、それで葬儀は終わった。


 祈りの言葉を垂れ流してた神父は何も言わずに立ち去って、仕事関係の人達は仕事があるからと謝りながらすぐに帰って、学校関係の連中はそもそも参加すらしてなかった。


 俺は母さんの前、一人にされた。


 これからどうするべきか、何をしなければならないか、何もなかった。


 ……残った大人たちが、遠くで何か話してる。


 そのどの人も見覚えのない顔だった。


 ただ、擦り切れたズボンに袖のないシャツで何かしらで汚れている『村派』と、スーツにネクタイときっちりしているようでサイズの合ってない『町派』の両方が集まっているようだった。


 何で対立する両方が集まってるのかはわからないけど、話している内容は母さんのことで、だけども悲しんでるわけでもないことは、嫌でもわかった。


 ……あいつらは、このドレスを、着て出てきた俺を見て笑った。


 葬儀についての礼儀だ作法だ何も教えてくれなかったくせに、それどころかただじっとしてることすらできてないくせに、俺の格好だけは口をそろえてぼろくそ言いやがる。


『これが母さんの最後、だったら最高の作品をみんなに見せておきたい』


 そう何度も説明しても、ただ顔をしかめ、適当に返事して、俺から離れた後でも陰でひそひそしてるだけだった。


 彼らに訊きたいこと、言いたいこと、訴えたいことは山ほどあった。


 その中の筆頭、今一番に何とかしたいのは、母さんの、酷い服だった。


 黒のズボンに白のシャツ、その上に赤のジャケット、ノーネクタイで裸足、色合いもちぐはぐでサイズも合ってない上に、そもそもボタンが左前、男物だった。


 ダサくて、センスなくて、酷い格好これが最後の格好とは、侮辱としか思えない。


 そもそもの話、母さんはこんな格好で出かけてったわけじゃなかった。


 最後に見た姿は大きく胸の開いた白色のワンピース、それにサンダル、荷物として仕立て終わった洋服一式だ。


 指摘したらこれがこの島の文化だと言われ、食い下がったら子供は生意気言うなと怒鳴られ、それでもと突っかかったら頬を叩かれた。あとはじっと睨まれて、そしたらもう、何も言えなかった。


 ……こんな格好で、埋められるんだ。


 思うのは悲しみよりも怒り、悔しさだ。


 何もできない自分、何も知らない自分が、心底腹が立った。


 胸だかお腹だかでグルグルしてる感情が、涙を枯らしてた。


「うぇえええええい!」


 ……奇声は、公園の方からだった。


「うぇえええええい!」


「うぇい?」


「うぇい」


「「うぇええええええい!」」


 昼間からご機嫌に盛り上がってる男が五人、どこからともかく現れた。


 着ている服はベージュのズボンに紺色のブレザー、サイズも合ってるし肌も日に焼けてないから観光客だろう。歳は大人と呼ぶには若くて、だけども子供と言えるほどではない、ギリギリ子供と言ったところか。


 見るからに頭の悪いウェーイ系がウェーイしながら、酒瓶を片手に、振らりふらりとこちらにやってきていた。


 この島じゃ珍しくもない観光客だ。


 いつもなら、見かけてもそれだけで何も思わないけど、今日は止めて欲しかった。


 なのに男らはまっすぐこっちにきて、止める間もなく母さんの棺を覗き込んだ。


「おい、おいおいおい、見ろよ見ろよ。スゲー。べっぴんべっぴん」


 ここまで届く酒臭さ、それに煙草の臭いに、何か甘い臭いもする。


「きみぃかわうぃーねぇーーー! 一緒に盛り上がろーよぉー!」


「おいバカそれってば死体だってば」


「なぁーーに言ってんだ。いいか? 眠れるお姫様は王子様のキッスで目覚めるウェーイ!」


「うっそだー!」


 勝手に盛り上がってる五人、あっという間に棺を囲い、酒をあおって盛り上がる。


 止めて欲しい。


 今はとにかく、俺も母さんも、そっとして欲しかった。


 そんなの気にせず盛り上がり続ける五人、何とかしてほしいと期待をこめて遠くの大人たちに視線を向ければ、彼らは露骨に目をそらした。


 ……この島はいつもそうだ。


 なんだかんだ言って観光客に弱く、島の人間は何もできない。そのくせ、よそ者と言って、もう十年も暮らしてる母さんに未だに陰口を叩く。


 もう、島の奴らには何も期待できない。


 諦め、目線を戻せば、ウェーイの一人、脂ぎったデブが、その汚い手を母さんへ伸ばしやがった。


「すみません!」


 止めるべく、声が出た。けど、デブ男の手は止まらず、髪を弄り始める。


「冷てぇ」


「ばっか、髪は生きてても冷てぇウェーイ」


「止めてください!」


「じゃああっため直すウェイ」


「ウェーーーイ!」


 無視され、続行される、酷い冒涜、それに、俺の中の何かが弾けて、気が付いたら全力で突き飛ばしてた。


「うぇ?」


 間抜けな声、酔いに油断が手伝って、突き飛ばされたデブ男はその向こうの男を巻き込み派手に巻き込んで転がった。


 思った以上の効果、でもやれたことはそれだけ、なのに俺の息が上がってた。胸にはやってしまったという緊張、だけど後悔は全然なかった。


 対して、男らは初めきょとんとしていた。


 それから思い出したように酒で赤かった顔をより赤くして、デブ男はガバリと立ち上がった。


 何か言われる、身構えた俺を、デブ男は無言で拳を振り下ろしてた。


 今度は俺がきょとんとする番、帽子越しの衝撃、痛み、感じてる間にまた衝撃、今度は地面に突き倒され、むき出しの背中が地面にこすれて痛む。


 いきなりの攻撃、緊張に似た恐怖、そんなことよりも母さんの服が汚れて破けてないかが頭によぎった。


 そして体を起こして確認する前に、頭の帽子が弾き飛ばされた。


 デブ男の、蹴りだった。


「……お前、何汚い手で触ってんだよ」


 既にウェーイ空気は消えていた。


 代わりに怒気の気配、残る四人も近寄ってきている。


「おい」


「わかってる。汚名は、ここで雪ぐ」


 デブ男の静かな怒りの籠った声に、思わず身が強張る。


「違う、おいまて」


 と、男の一人、巻き込まれたのが止める。


 それから意味ありげな目くばせ、意味は分からないが、許せという意味じゃないのはわかった。


「あ……あぁ」


 ……返事、何故だかデブ男から怒気が冷める。


 代わりに、気色の悪い笑みを浮かべ、それは瞬く間に他の男らに伝染した。


「なぁおい」


 デブ男が俺に言う。


「汚した分、弁償してもらおうか」


「あ?」


 思わず出た声は怒りからじゃない。緊張と、むかつくけど恐怖からだった。


 それを悟られたのか、男らは一層笑う。


「いぃね、気が強いのは好きだ。何より調教のしがいがある」


「後ろは俺ウェーイ」


「おうウェーイ」


「なんだぁ、ついてないねぇ。けど、恨むなら、お楽しみの店置いてない、しけたこの島を恨むんだなぁ」


 何を、言ってるかわからない。


 わからないけど、良くないことだということだけはわかる。


 こんな、自分勝手なやつら、そんなやつらに屈したくない。


 屈したら、次は母さんが危なくなる。


 絶対に、守る。


 何をしようというのか、俺の胸倉を掴もうとするデブ男の手、綺麗に爪が切りそろえられた指を見て、噛みついてやろうと、心に決めた。


 「ではお楽しみうべぇ」


 デブ男の声を遮り、顔にめり込んだのは大きな四角だった。


 そして派手にぶっ飛ぶデブ男、打ちどころが悪かったらしく白目剥いて気絶してるようだった。


 その顔からぱたりと倒れて落ちた四角は、革製のアタッシュケース、観光客が持つような旅行鞄だった。


「なぁあにしやがんんだゴラァ!」


 残る男四人と俺、同時にアタッシュケースが飛んできた方を見る。


 …………そこにはいつの間にか、一人の獣人、コボルトが立っていた。


 灰色の毛、犬に似た頭、大きめのサングラス、服装は、一言では言い表せられなかった。


「てめぇなにもんじゃぁごぉらぁ!」


 男のどれかの叫びに、コボルトは一瞬間を開けて、それから牙を剥いて笑った。


「俺か?」


 コボルトが言う。


「俺は、お前らの、敵だよ」


 そして牙を見せて、コボルトは凶悪に笑った。

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