一言では言い表せない格好
……コボルト、犬の頭と毛皮を持つ獣人の一種、ワードックとかハーフドックとか、あるいはドックヘッドとか呼ばれている種族だと、習った。
獣人の中ではメジャーらしいが、少なくともこの島の住民には全くいなくて、観光客も滅多に見ない。
俺が実際に見てきたのもほぼ全員が船乗りで、それも下っ端ばかり、だからか勤勉で従順とは思えても、あんまり金持ちとか、優れているとかはなかった。
そんなコボルトに、助けられた。
だから、その恩人の、その、一言では言い表せられない服装を『ダサイ』と思うのは恩知らずだろう。
でもダサイものはダサイ。
まずコート、真っ黒で見るからに安物の布地、絶対に木綿だ。皺から厚手だとわかるのに表面が擦れて毛羽立ってる。その上でサイズが大きすぎてブカブカで、袖口なんかズボンにできそうなほどに太い。下の裾も、膝より高い位置にあるにも関わらず踏みつけてるのかほつれて糸に戻りかかってる。両手を突っ込んだポケットも、左右それぞれ何か大きくて重い物を入れてるらしく、変に膨らんでしまってバランスが悪い。
コートの下はベコベコに凹んだ銀色の胸当て、防具の良し悪しは流石にわからないけど、それでもちゃんと結べてない肩紐とか、表面の汚れとか、それ以前に上下が逆さまだとかはわかる。
次にズボン、黒色のこちらのサイズも大きすぎるし、裾も裂けてるのにほったらかしだ。前後ろ反対に履いているが、これはまだ男性服特有の前空きの部分を後ろに回して長い尻尾を出しているのだと理解はできる。ただしだからといってダサくないわけではない。ベルトに鎖使うとかもう、センスが壊滅的だ。
靴も酷い。足首までスッポリと入る金属のブーツ、鎧の足の部分だけを持ってきたのだろうが、それでも凹み、錆、汚れ、泥、張り付いた葉っぱ、手入れがなされてない。しかも縛る靴紐が長すぎて、それを無理やり巻き付けて縛っていて、みっともない。
極めがアクセサリー、顔を隠しているサングラスは、最悪だった。黒いレンズに黒ぶちで、端がつり上がってて、似合ってない。しかもコボルト用ではなく普通の人用のを長い鼻に載せて、蔓をこめかみに挟み込んでつけているだけだ。そんなんだからちょっとの動きでピコピコと動いてる。
全体として、ファッションに統一性は辛うじて認められる。実用性重視なのもわかる。その上でサイズも灰色の毛に対する色合いも合ってなくて、ただそれっぽく、カッコいい服装を部分的に、上っ面だけをまねて身に着けている。
総合評価は子供の俺でもわかる、子供のおままごとだ。
これら全てをまとめての『ダサイ』服装の、コボルトだった。
……ここまでくると、逆に笑いを取ろうとわざとやってるんじゃないかとさえ思えてきた。
そんなコボルトは、牙を見せた笑みのまま、ずかずかと歩み寄って来る。
「おら、わかったらさっさと消えろ。今日の俺は機嫌がいいからな、雑魚なお前らなんぞ見逃してやるよ。ただし、ちゃーーんと去り際に忘れず叫べよ? 覚えてろよーってな」
絵に描いたような挑発、これにデブ男を除いた四人は、これに乗ったようだった。
各々持っていた酒瓶を棍棒のように握り直し、無言でコボルトを取り囲む。
ひりついた空気、向けられる殺気に、けれどもコボルトは笑みを崩さない。
息飲む静寂、破ったのはコボルト左前の男だった。
「死ねやうぇい!」
酒瓶を振り上げ、中身をこぼしながら突撃する。
これに対して、コボルトは一度肩を竦めてから、左腕をまっすぐと伸ばした。奇妙にも、手首を内側に曲げて、五本の指はまっすぐ伸ばして下へと向けて、肘を伸ばしきる。
刹那、飛び出したのは影、次には酒瓶を砕き、母さんの棺を飛び越え、何かのモニュメントにズガリと突き刺さった。
……それは、槍、だと思う。
長さは、それこそコボルトの肘から手首までぐらいで、材質は何かの金属、鈍く銀色に輝いてる。
そんなのが、コボルトの袖口から飛び出したのだ。
突然の攻撃に呆然とする男たち、あれだけ威張り散らしてウェーイしてたのが嘘のように静まり返る残り四人、戦いの空気は消えていた。
たった一撃での決着だった。
次々と酒瓶を投げ捨て、伸びてるデブ男を引きずり、そそくさと退散していく。
「おい。なんか忘れてねぇか?」
その背に、コボルトはなお言葉の追い打ちをかける。
「…………覚えてろよ」
男のどれかが小さく呟いて、それにコボルトが吠えて応える。
「覚えんのはお前らの方だ! 俺は! お前らの! 敵だ! おい名前ぐらい聞いてけ!」
なお大声で、更に追いかけようとするコボルトに、男らは転がるように逃げ出した。
「んだよ、終わりとか、歯ごたえねぇのな」
その背に興味を失くした、といった感じでぶつくさ言い放つと、大きくあくびをしながらモニュメントまで行って、刺さった槍へ手を伸ばして引き抜いて、それから振り返りながら鼻を天に向け、ひくつかせた。
臭いを嗅いでるのだと、漠然とだけどわかった。
と、ガバリとコボルトは顔を下げ、その目を母さんの棺に向けると、ずかずかと、母さんの棺の前まで歩み寄った。
「何を」
と俺が言い切る前にコボルトが、その犬の長い鼻を、棺の中へと突っ込んだ。
「ちょっとまってやめてください!」
やっと声が出て、立ち上がり、恩人まコボルトのコートを引っ張るも、びくともしなかった。同時に立ち上る酒と垢の悪臭、長い船旅で体を洗えないのは知ってるけど、それでも鼻が曲がりそうに、臭い。
「…………んだよ。やっぱ、殺されてんじゃねぇか」
「……え?」
俺の声にやっとコボルトが鼻を抜く。
そして俺を見返す。
「あぁ? 違うのか?」
「いや、何も、知らされてないです」
焦りすぎて思わず敬語が出てしまう。
「んなら、見た方が早い」
そう言ってコボルトは母さんのシャツの裾をズボンから引き抜いて、お腹を露にした。
……言葉が出なかった。
そこに……大きな傷が、四つもあった。
臍の下、等間隔に、四つも真横に並んだ、酷い傷、それもナイフのような鋭利な刃物じゃなくて、荒い尖った何かでぐりぐりとやられた感じ、そいつを、無理やり引っ張って、くっつけて、釣り糸で、力任せに縫い付けてあった。それも、半端に端を縫おうとして失敗して、肉とか皮とか、千切れて、ビロビロになって、それからより深くに糸を通していた。
吐き気よりも恐怖よりも怒りよりも悲しみよりも、これが何なのか、理解しきるのに頭がいっぱいだった。
呆然と、見てるだけの俺の目の前で、コボルトはガバリと乗り出し、その傷口へ、長い鼻を押し付けると大きく息を吸いこんだ。
暴挙、辱め、母さんを守らねばという意思にようやくたどり着いて俺が止める前に、コボルトは鼻を離した。
「……血と肉と糞、なのに金属も何も臭わねぇ。代わりに若干の……この手口は、当たりだな」
何が、と訊き返す前に沢山の足音が近づいてきた。
「何をしている!」
厳しい声、見上げれば遠くにいたはずの大人たち、生臭い臭いと煙草の匂い、ぐるりと囲んでいた。
その空気、逃げ出す前のあの四人に似ていた。
「なぁあに、ちょっと仕事をね」
コボルトは笑う。だが周りは一切笑ってなかった。
「これは死者を悼む神聖な儀式だ。部外者はお引き取り願おう」
今更の命令だった。
これに、コボルトは肩を竦めて立ち上がり、無言で立ち去るべく一歩踏み出した。
「……犬ころが、余計なことを」
大人の誰かが呟く。
これに、コボルトの足が止まった。
背を向けてるから顔は見えない。けれど、良くない雰囲気があった。
それが伝染し、大人みなも身構えはじめる。
緊迫した空気、弾ける手前、パサリとコボルトの尾が跳ねた。
ぶぶぶぶうぶぶぶううううううううううう。
長く長く長く鳴り響く、コボルトの、屁に、緊張が緩む。
間抜けな、なんて悠長に思えたのは初めだけだった。
「ふぎょおえええええええええええええ!」
誰かの絶叫、俺のかと思った。
それほど、叫びたくなるほどに、屁が臭い。
濃密、濃厚、最悪、最低、鼻の奥底を突き突き抜け頭に響くほどの強烈な悪臭だった。
俺も大人たちも苦しみ悶える中で、平然としてるのはコボルト一人だけ、しかも鼻をひくつかせて、あえて臭いを嗅いでやがる。
「乾燥豆にビスケット、保存食じゃやっぱダメだな、パンチが足りねぇ」
ぼそりと捨てセリフ、アタッシュケースを回収すると、コボルトは行ってしまった。
追いかけるとかの思考は全部、悪臭が燻し殺した。
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