五人でご飯

 手を洗って入ったキッチンは、不思議な感じだった。


 いつもなら俺と母さんだけの食卓、人がきてもクベスぐらいで、俺の知る限りここに二人以上でいた覚えがない。


 それが五人、俺にクベスに、ワサビさんにマーシャさんにダーシャさん、そんなに大きくないテーブルに、家にあった椅子全部を並べて、ぎちぎちだった。


 こんなに沢山で、にぎやかな食卓は、この家では初めてな風景だった。


 そんな中で、一番目立ってるのはやはりクベスだった。


「おい、その樽どうするつもりだ」


「失礼、クベス様。ですが、中の傷んでいるようなので、外に出した方がよろしいかと」


「知るか勝手に決めるな。それを買ったのは俺だ。俺のもんだ。勝手に動かすんじゃねぇ」


「ですが、その、言いにくいのですが、最早食べられる状態ではないようでして」


「だから何だってんだよ」


 ワサビさんから樽を奪い取るクベス、その振動に反応してか、中から、低く、小さな、いくつもの羽音が、静かに響いた。


 ……大繁殖しているようだった。


 「くっそ」


 ……流石のクベスも室内で開け放つ暴挙はせず、黙って裏口から外へと樽を運んで行った。


 それを厳しい目線で見送ったワサビさん、だけど俺に気がつくと笑顔となった。


「これはスター様、勝手ながら台所をお借りさせていただきました。ただ材料はこちらで買い足させていただきましたのでご心配なく」


「いえそんな」


 竈から熱々で湯気の上がってる鍋をかき混ぜてるワサビさん、双子の二人はコロコロ笑いながらスプーンとか配ってる。


 お客様にさせていいことではない、とは頭ではわかっていても、熱のせいか具体的に何をどう行動するのが正しいか考えが及ばないでいた。


 ぼんやり立ってると、多分マーシャさんの方に見つかり促される。


「さ、座って」


「座って、いつもはどこなの?」


「あ、ここです」


「じゃほら」


「ほら、まだ本調子じゃないんだから」


 二人に優しく言われてしまって、甘えてしまう。


 この状況、母さんに言われるまでもなく不味い状況だ。


 何かしなければとおろおろする俺、その真ん前の席に、外から戻ったクベスがドカリと座る。


「さっさと食え。休んだら午後からでもでるぞ」


「ダメよ」


「駄目です」


「ダメよ。安静にしてなきゃ」


 三人に一斉に言われ、クベスはいら立ちを表すように頬を引きつらせる。


 けど、それだけで、後はそっぽを向くだけに留まった。


「さ、配りますよ」


 湯気の上る鍋を持ってくると、素早く、多分ダーシャさんが鍋敷きを置き、マーシャさんがお皿を持ってきて、それをワサビさんが受け取りよそうと、ダーシャさんが配る。


 慣れた連携だった。


「ワサビの料理はおいしいのよ」


「おしいのよ。簡単だけど」


「簡単だけどねー」


「だったらお二人も、その簡単なご飯で構いませんから、ご自分で作れるようになってください」


「「はーーい」」


 砕けた会話は、俺と母さんの間にあったのと同じで、こういうところは島の外でも、お嬢様でも、同じなんだと感心してしまった。


 そうして、配られたのは、ごろりと具材の入ったスープだった。


 少し白濁したスープの中に固まりの肉、多分塩漬け肉がいくつかとくし切りされた丸ネギ、賽の目に切られた白ニンジン、何種類かの豆が沈んでる。立ち上る香りはスパイシーで、贅沢にも香辛料がふりかけてあった。


 一緒に並べられているのは塩ビスケット、俺の手のひらぐらいの大きさで真四角く、硬く焼き固められた石みたいなパンだった。こいつは観光船が、保存の効く非常食として持ち込んでくるものだった。


 合わせてシンプル、簡単に見えるご飯、だけど結構手間がかかってて、特に香辛料とか、それなりに値の張る食材が使われて、しかも隙なく、最後のお皿によそい終わるとぴったり、お鍋は空っぽとなっていた。


 こんなのをさらりと作れるのは、やはりお嬢様の世界だった。


 だからと言うわけじゃないけれど、俺のお腹がキュウと鳴った。


「さ、冷めないうちにお召し上がりください」


「あ、はい、それじゃあ、遠慮なく、頂きます」


 細かく考えるのは止めて、俺は欲望に従うことにした。


 それでスプーンに手を伸ばす刹那、ワサビさんと双子の二人が、手を合わせ祈りをささげるのが見えた。


 食事の前には頂きますを、と母さんには言われてるけど、ここまでがっつりなのは初めてで、だけど先に手を付けるのは気が引けて、だから見よう見まねで手を合わせて見る。


 ……それが暫く、どのタイミングで終わるのか、訊くようなものではないので、待った。待つしかなかった。


 待てないのはクベスだった。


 べちゃん、べちゃん、水しぶきの上がる音、見ればスープに塩ビスケットを投げ入れると、スプーンを逆さに持ってガシガシと叩きつけて砕き始めた。


 乱雑、乱暴、その姿に、俺や、他の三人の視線が集まる。


 ……別に、スープに浸して柔らかくして食べること自体は普通だ。そうでもしないとこの石のように硬いビスケットには歯が立たない。


 だから、まぁ、なんだけど、この赤ん坊が食べ物を叩いて遊んでるような、食事ともいえない行為は、唖然とさせた。


 それに飽きたのか、クベスはスプーンをテーブルに放り投げる。


 一度見た光景、予想はできた。


 そしてその予想通り、クベスは椅子から軽く身を上げると、首を伸ばし、垂れて、その長い鼻を、スープへと突っ込んだ。


 べちゃりべちゃり、犬食いだった。


 長い鼻を皿の中へと突っ込んで、その皿を両手で抱え上げて、置いてあるスプーンを袖で擦りつつ、口の周りの灰色の毛を汚しながら、長い舌で肉や豆を掬い上げ、噛まずに飲み込み、一心不乱に喰らう喰らう。


 テーブルマナー以前に、人ではない食事、ましてやこんな、二人がいる前で、クベスはやらかしやがった。


 あのブレンダさんのレストランでできるなら、ここでもできるだろうけど、他人事のはずなのに俺が恥ずかしい。


 ワサビさんが、双子さんが、どんな目で見てるか、怖くて見れもしない。


 そもそもクベスの顎なら浸さなくても齧り砕けるだろうに、ふやけて柔らかくなった塩ビスケットをじゅるりと飲み込んで、皿の底をなめとり、ようやく息を吐いた。


 一気食いだった。


「……悪くねぇがうす味だな」


 ゲプリとガスを挟みながら、クベスは俺の為の病人食にケチをつける。


「だめだやっぱ足りねぇ。なんか蛆湧いてねぇのねぇか?」


 誰からの返事も待たずにガバリと立ち上がると、席を立った。


「おい! 俺の小麦粉の袋どこやった! あれも使うんだから勝手に捨ててんじゃねぇぞどこだ出せやこら!」


 ……なんか、もう、クベスだった。


 ◇


 食事が何とか終わって、ワサビさんはお茶まで入れてくれた。


 濃い琥珀色の紅茶、きっと高価なものなんだろうけど、風邪の鼻では香りが楽しめないのが残念だった。


「すみません何から何まで、ありがとうございました」


「何をおっしゃいます。あなたはまだ子供なのですから、大人にもっと甘えてください」


「んな大したもんじゃねぇだろ?」


 何故だかクベスが応える。


 これにワサビさんはむっとしたようだった。


「お言葉ですがクベスさん、あなたは保護者失格です」


「保護者じゃねぇよ」


「何をおっしゃいますか、明らかに年上、しかも同じ家に住まわせてもらっておいて、だというのに食事時に起きてこないのに声もかけないでほっておくなど、あなたという人は」


「あーあーあー看病なんざ縁がない生活だったんでね。グチグチ言われたってわかんねぇよ。その分跪いてお願いしたんだからごちゃごちゃ引きずんじゃねぇ」


 クベスはクベスなりに動いてくれたんだろう。それにお礼を言わないと、と思ってた目の前でクベスは太い薪をどこからか引っ張り出した。


 凶器、緊張、暴力の気配、空気が張り詰める。


 が、クベスはそのまま薪にかじりついた。


 食べる、わけではなく、ただ噛みつきたかっただけらしく、ミキミキを軋ませ牙を食いこませては外して噛みなおしてる。


 意味は分からないが害意がないようだった。


「……あの、そのすみません。今日はお店に何か御用だったのでしょうか?」


 今更の質問にワサビさんの緊張は少しだけほぐれたようだった。


「実は」


「「遊びに来たの」」


 双子が揃って応えてくれた。


「海がだめになっちゃったの」


「鮫が出たんだって」


 あぁ雨が降ったから、と言いかけて口を閉ざす。


 あれは、はっきり言って知らない方が良いことだと思う。


「泳げないから島に探検に来たの」


「だったら一緒にって誘いに来たの」


「もしかしたらまた賞金首が見れるかもって」


「ねー」


 二人の言葉は合図もないのに綺麗に重ねられていた。


「ご迷惑になると思ったのですが、どうしてもと聞きませんで、ですが幸いでした」


「あぁはい、大丈夫です。雨の後は毎回海が閉鎖されるので、そう言うお客様には馴れてますから」


 カップに口を付け、飲みながら言葉を選ぶ。


「あ! あれか! 鮫出たの! ウンコが流れたからか!」


 げほっ!


 せき込む。


 クベス、そのものずばりを言いやがる。


「違うか?」


 噛んでた薪から牙を離し、間に涎の糸を引きながらクベスが続ける。


 それに、双子はお茶のカップを口に付けたまま固まってしまってる。


「だってよ、ここのトイレ全部ボットンの汲み取り式だろ? そこに雨水流れ込めば溢れる。畑も大してねぇんだ。だったら流れるままに海に投棄したほうが合理的だろ?」


 知ってる。それで合ってる。


 地元の人間は仕事でもない限り海の水に触れたりしない。あの透き通った水がどれだけ汚いか知ってるからだ。


 海の水に無邪気に戯れるのは、何も知らない観光客ぐらいだった。


 言わないでいた不文律、気が付いてもわからなさそうなことをはっきりと、クベスは言い放った。


「あのーーー」


 恐る恐る、ダーシャさん、だと思う方が手を挙げる。


「それと、鮫と、どう関係あるんですの?」


「あぁ、あいつらウンコ食うんだよ」


 再び、固まる。


 俺も、固まる。


 これも知ってた。合っていた。


 鮫に限らず、この辺の海は餌が少ない。だから透明度が高いらしいんだけど、だからちょっとしたものでもバクバク食べる。特に、肥料になるようなものはバナナの皮でも奪い合いで、それで一番強いのが鮫だった。


 だから、この辺の人は、俺を含めて、鮫を食べなかった。


「お前らだってこの島まで船だろ? その途中で垂れ流してたの見てねぇのか? ばら撒くたびにワラワラ集まってバクバクやってじゃねぇか。なんだよあんな面白れぇもん見ねぇで何やって時間潰してたんだよ?」


 首も横に触れない双子たち、お嬢様な女の子に、この手の話題は、絶対にアウトだと俺でもわかる。


「そういやウンコで思い出したけどよわちゃあああ!!!」


 嫌なこと口走りそうなクベスを黙らせたのは、ワサビさんがぶっかけたお茶だった。


「でめごらくぞがぁ!」


「これはいけない! すぐに水で冷やさないと!」


 クベスは外へと連れ出され、俺たちは余計なことを聞かずに済んだ。

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