雨が降ればぬかるむ

「ナイフは抜くな。血が噴き出る。肩のあたり縛って止血して、後は船までもってきゃ向こうが勝手にやんだろ」


 これだけ言って、後のクベスはダンマリだった。


 だから俺は言われたまま、髪を縛ってた紐で血に染まった二の腕を縛る。


 巨乳、異形、ゼグシィさんは、泣き止んで、抵抗もなくされるがままで、そのまま大人しいまま、船まですんなりとついてきてくれた。


「……アリガト」


 別れ際、小さくお礼を残して、ゼグシィさんは自分の足で船へと入っていった。


 何となくその背を見送る俺とクベス、互いに言葉なく、立ち去ったのも、雨が降り出したからに過ぎなかった。


 傘も持ってない俺とクベスは濡れながら、黙って家まで帰った。


 冷たくて土砂降りな雨は、色んな意味で恵みの雨だった。


 この島で雨は貴重な真水が大量に手に入る貴重なチャンスだ。だから島民はみな作業の手を止め、水瓶に雨水を溜め、流れる雨で食器を洗って、桶に雨水を受けて洗濯し、最後に服を脱いで体を洗う。


 当然、裸は人に見られないように敷居のある裏庭でやるもので、場合によっては交代制になるのだが、まだ腹に怒りの残ってた俺は、クベスには黙っていた。


 それで一人、水瓶を出し、食器を洗って、洗濯ものを洗い、着てた服を脱いで洗って、体を洗って髪を洗った。


 いつもなら時間のかかる大変な作業、だけどあっさりと終ってしまった。


 ……いつもなら母さんと分担する仕事、だけど母さんの服もなくて、水浴びも一人だけで時間もかからなくて、だからあっさりだった。


 改めて母さんがいなくなったことに心を静めながら、バスローブを羽織っていつもの通り二階に干そう洗濯物を籠に入れて階段に向かったらクベスがいた。


 一階と二階とのちょうど中間あたりで椅子みたいに腰を下ろして、横の壁に頭を付けて舌を出して、寝息も静かに寝ていた。


 静かだと思ってたらこんなところにいたんだ。


 そこをわざわざおこして煩わしくなるぐらいならとほっといて、どうせお店も開けないのだからと店内に洗濯紐を張った。


 全部干し終わったらなんだか眠たくなってきて、どうせクベスも階段で寝てるならと、その横をすり抜け二階に上がって、バスローブを投げ捨ててベットに入った。


 ◇


 ぱちりと目を開いて、チラリと見た窓の外は晴れた朝、昼寝のつもりが丸一日眠ってしまったらしい。


 昼食も夕食も食べてないけど食欲無くて、ただトイレと、喉の乾きがあった。


 水は、ある。昨日汲んだ。思い、ベットから起き上がると、ふらついた。


 肌が熱を持ってる。悪寒にけだるさ、それと喉に関節も痛い。


 どうやら風邪ひいたらしい。


 やっぱり母さんの言う通り、裸で眠るのは間違いだったな。


 後悔しながらいそいそとパンツとシャツとズボンを着て、部屋を出た。


 ……階段にクベスはいなかった。


 続くキッチンも無人、テーブルの上にはあれを全部食べたのか串焼きの串に、バナナが何本か、カップに残ったお茶は冷めてた。席を立ったのは大分前らしい。


 どこへ行ったのか、一人で仕事に出たのか、空いそう尽かせて出てったのか、色々考えるけどそれより先にトイレへ。


 ふらつきながら出すもの出して、手を洗って、すっきりしして、もう一度降りてくるの面倒だからバナナとか上に持っていこうかと思って出たら、お店の方から音がした。


 クベス、こっちにいるらしい。


 正直、昨日の今日で、こんな弱った姿を見せるのは気が引けたけど、それでも一応声をかけねばと思い、もたれかかるようにドアを開けた。


 …………視界に入ったのは、更に熱が上がりそうな光景だった。


 まずカウンター、その上に雑に積み重ねられてるのは洗濯ものだ。しわくちゃながら乾いてるらしく、これは問題ない。


 次にお店の真ん中、いつも置いてある見本のある机が端どかされ、代わり何故だか樽が置かれていた。


 その前に立つクベスは、パンツ一丁だった。


 黒一色のブリーフ、俺が履いてたのとお揃いのデザイン、それも尻尾のせいで後ろが下ろされて、けむくじゃなら尻が半分見えてて、無駄にセクシーだった。


 靴もコートも無しで、それでもサングラスだけはしてるそのまなざしが見つめるのはお店の出入り口、半開きの向こうから入ろうとして固まってる執事のワサビさんと、その陰からそっと覗き込むダーシャさんとマーシャさん、三人は完全に固まっていた。


 ……あぁ、終わった。


 目の前が真っ白になって、俺はずるりと崩れ落ちた。


 ◇


 また、ベットにいた。


 あれは、夢だったんだ。思い、目線を動かすと、俺を覗き込む影が二つあった。


「目覚めまして?」


「目覚めましたわ」


 くすぐるような声、ダーシャさんとマーシャさんだった。


「下にお知らせしてきますね」


「お願いしますわダーシャ」


 そう言って一人、ダーシャさんはパタパタと部屋を出ていく。


 その後ろ姿が見たくって、体を起こそうとしたら止められた。


「まだ寝てなくては駄目よ」


 マーシャさんに言われて、横になりなおす。


「今、ワサビがお料理してますの。それまで安静になさって」


 言われて耳を澄ませば、確かに下から何やら音がする。


「すみません」


 お客様に、こんな醜態を見せて、挙句世話になるとか、母さんに知られたら絶対に怒られる。


 だけども、それを断れないほど、俺の体は弱ってるみたいだった。


 その上で、どうしても気になることがあった。


「あの、クベスは?」


 絶対に迷惑をかけてる。揺るぎない自信、そして不安から、訊かずにはいられなかった。


 これに、マーシャさんは困った顔をする。


「それは、ご自身の目で見た方が早いですわ」


 そう言って体をどかすと、そこにクベスがいた。


 正座だった。


 きっちりと、綺麗に伸ばした背筋で、そこに座っていた。


「……言っとくが、反省してるわけじゃねぇからな」


 クベスがまさしく不貞腐れたみたいに呟く。


「これは契約だ。お前らの言う通りお座りしてやる。代わりに」


「代わりに、看病してください?」


 続きをマーシャさんに言われて、クベスはそっぽを向く。


「目の前で倒れられて、慌てふためいてたのは誰だったかしら?」


 いたずらっぽく言われて、クベスはフン、と鼻を鳴らす。


 あぁそうか、助けられたのか。


「その、ありがとうございました」


 双子たちとかワサビさんとか、お礼を言うべき相手は他にいるのに、不覚にも、クベスに真っ先にお礼を言ってしまった。


 これに、クベスは魚の腸をかみつぶしたような顔になった。


「……昨日は俺が言い過ぎたらしい」


 そっぽを向くクベス、この感じは、今までと同じだった。仲直りできた、ということなんだろう。


 それを確認するのは、マーシャさんの前だからってわけじゃないけど、気恥ずかしくて無理だった。


 と、パタパタと足音、ダーシャさんが戻ってきた。


「お料理、できましてよ」


「ですって、食べられます?」


「あ、はい。いただきます」


 応えて俺が起き上がるのと、クベスがガバリと立ち上がるのとほぼ同意だった。


 どれぐらい正座してたのかは知らないけれど、板の上で座ってた割に痺れていないようで、きびきびとした動きだった。


「すみません」


 そんなクベスに、声をかけずにはいられなかった。


「その前に、何か着てください」


 俺が言うと、クベスはパンツ一丁なままな自分の体を見下ろした。

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