決着と対立
クベスの足がケーキにめり込んだ瞬間、黒い霧が膨らみ弾けた。
音もなく足が側面に触れ、めり込み、飲み込まれ、同時に中心が傾いて、ゆっくりとケーキは向こう側へと倒れていった。
ズシン、と音が響いて、ケーキが浮ずれて散らばり、表面が伸びて、動き回った。
それで理解してしまった。
あのケーキ、その表面にあった濃い茶色は、蠢く沢山のゴキブリだった。
ならば周りにあった靄は、蠅?
そんな虫の湧いた生ごみへ、躊躇なく蹴り入れたクベスは悶絶していた。
「うぉえっぷ! うぉ!」
ケーキは全部ケーキだったのか、土台の木まで腐ってたのか、クベスは膝までべっとりと沈んでいた。
場の空気を読めてない蛮行、それに一番ブチ切れたのが異形だった。
「ばああああちゅううううううらあああああああああ!!!」
意味不明の絶叫、意訳は殺すとわかる一鳴き、そして駆けた。
壁を地面に、地面を坂に、まるで影のように滑らかに、ウェディングドレスのヒラヒラを風に広げながら、まっすぐ蹴り潰されたケーキの元へと流れ飛ぶ。
これに、クベスが立ち直り、怒鳴り返す。
「応さ! 俺はここだ! 俺は! お前の! 敵だ!」
絶叫、合わせて右の槍をぶっ放した。
飛び出る残像、目にも止まらない速度で飛ぶ槍を、しかし巨乳な異形は止まらず、それどころか左手一振りで弾かれた。
同時に舞い散るのは茶色い断片、左手に握られてたのは、どこから取り出したのか、枯れた花々を束ねた花束、ブーケに見えた。
「マジかよ」
驚きながらもクベスの二本目左手の槍、しかしまた、今度は右手一振りで弾かれた。
銀色に輝く片刃の刀身、腕が倍に伸びたと錯覚させるほどに長い。鍔に当たる部分に色褪せたリボンが結んである。ウェディングケーキへ入刀するためのナイフに見えた。
「糞が!」
絶叫、クベスも異形へ走り寄る。同時に右袖内側より銀色を引き抜いた。
煌くのは刀身、母さんの服を引き裂いたナイフ、だけども異形の入刀ナイフに比べたら、長さは半分、切れ味も劣って見える。
短く、弱そうな武器で、それでも異形へ立ち向かえるクベスの勇気、だけどもそれは蛮勇に見えた。
駆け寄り合う両者、間合いはすぐに縮まり、接触から一閃、火花が散った。
弾き合う両者、それでも更に一歩踏み出し鼻息吹けば届く距離、至近距離にて互いに足を止めての、刻み合いが始まった。
ナイフとナイフ、金属と金属、斬撃と斬撃、股を開いて重心を落とし、逃げず退かず、上半身の動きだけで刃を振るい、刻み合う。
斬り、突き、叩き、揺れて、いなし、受けて、弾く。
右へ左へ流れる動き、弾ける火花、飛び散る血、刈り取られる灰毛、暴れ揺れる胸、目で追うのも難しい速度での打ち合い、斬り合い、殺し合いだった。
素人の俺にさえ伝わるギリギリの攻防、それが無限の一瞬に繰り広げられる。
一手遅れれば、一手間違えれば、一手外せば、一手逃せば、一手負ければ、刻まれ死ぬ。わかりやすくて複雑な闘いが目の前にあった。
火花、残像、剣音、気迫、前にして、俺には、恥ずかしながら固唾を飲みながら感じることしかできなかった。
……そして、大きく揺れて弾かれた。
クベスは左腕を、異形は右腕を、かがみ合わせのように外側へと弾き合い、広げ合った。
産まれた隙、できた空間、滑り込んだのは異形だった。
空いていた左、ブーケ、それが枯れた花弁を散らしながらクベスの長い鼻へ殴りつけた。
衝撃、大きく崩れるクベス、体ごと流され、倒れ掛かりながらもなんとか踏みとどまって、だけども見逃せない隙の中にいた。
戻る異形の右手の刃、斬撃、狙いはクベス、その喉、必殺の一斬りが迫る。
絶対の絶命、だけどもその刹那に、クベスは笑って見せた。
そして笑ったまま、その口を、大きく開らいた。
ガジン!
軽く響く音、クベスの牙が、ヤシを食い千切る顎が、異形のナイフを噛み捕らえた音だった。
無茶な受け、イヌ科の長い口だからできた暴挙、それでも絶命は凌いだ。
固定され、動かせない異形のナイフ、引こうとしたのか押そうとしたのか判断付く刹那に、だけども今度はクベスが速かった。
下から上へ、クベスはナイフを突き上げ、異形の右腕、ナイフを持つ腕の肘のそばへ、ぶすりと刺し貫いた。
「ひぃぎゃああああああああああああああああああああああああ!!!」
絶叫、悲鳴、それでも人にない声を上げ、異形は胸を揺らし、ナイフを放し、ブーケを捨てて、血飛沫を撒きながらくるくる回りながら左手で右手の傷を必死に抑えていた。
汚れたウェディングドレスが赤黒く染まる。
想像したくない痛みに流石の異形も耐えきれずにしゃがみ込む。体を丸めて全身縮こまって、全力で出血を押さえようと肘の辺りを必死に抑えていた。
そのお腹に、クベスは雑な前蹴りをめり込ませた。
無情な一蹴り、異形は丸まっていた体を蹴り飛ばされた。
「あああああ」
干からびたような声を上げ、血まみれの腕を抱え、それでも地面を蹴って逃れようとするしぐさは、異形であっても、完全に戦意を失った姿だった。
それを見下ろすクベスは、拳を開いて咥えてたナイフを左手に持ちなおす。
「まっず、これんだよ。何切ったらこんな味になんだよ糞が……まさか糞か?」
舌を出し、表面を上の前歯でこすって唾を吐き捨てる。この風景、何でもない風に行動して見えた。
それからナイフを見直し、軽く素振りをして、それから改めて、異形を見下ろした。
「悪いが、樽忘れちまってよ」
不吉な一言、クベスが牙を剥いて笑う。
何をするのか、わざわざ言わなくても、酷いことだと想像できる。
恐らく同じ想像に怯える異形へ、クベスの影がかかる。
そして左腕が振り上げられ、風邪を切って銀の刃が弾いたのは……俺が投げたハサミだった。
◇
クベスは間違いなく怒っていた。
サングラスで隠されててもわかる。その雰囲気、これまで対峙してきたクベスの中で一番怒ってることだろう。
それだけのことを俺はした。
俺は、当たれば危ないハサミを、味方であるはずのクベスに、投げつけたのだ。
それは無意識で狙いは適当ではあっても、後先など考えない暴挙、様々な意味で危険な行為、怒られても仕方ないことだった。
だけども、俺は怒られる気も、謝る気もなかった。
それだけ俺も、キレていた。
今にも口から吐き出されそうな思いを、奥歯で噛みしめ、ただ大股に歩いてクベスの前に、対峙する。
見下ろしてくるクベス、無言、漂う憤怒の熱気、だけども怯む気はない。
「これ以上は、やめてください」
先に口を開いたのは俺、一言、これが言いたいことの全てでもあった。
対してクベスは、ゆっくりと首を傾ける。
「何が言いたいか、わかんねぇな?」
クベスの声は、これまで賞金首に向けてた声のものとなった。つまり俺は、敵に見られているということ、危険であるということだ。
だけど、こればっかりは、怯むわけにはいかなかった。
「これ以上、不必要に危害を加えるな、と言いたいんです」
「聞こえてなかったのか? 樽忘れたんだよ」
「だからどうするんです」
「足ぶっ刺して歩けなくする」
「やめて下さい!」
想像が想像通りだった怒りに、声を荒げる。
対してクベスは、あくまで声だけは冷静だった。
「んな心配すんなこいつは『ワービースト』ってやつだ。知ってるか?」
「知りませんよそんなの」
「じゃあ教えてやるよ」
笑い、おどける。
「この広い世界には沢山の『獣人』ってのがいる。普通は俺らみたいに半分半分に混ざり合ってる『ハーフビースト』またの名を『ビーストマン』だ。それより少し少ないので、体の一部分が獣な『ビーストヘッド』がいる。そしてごく少数、例外に人だったり獣だったり変身できる奴rがいる。それが『ワービースト』こいつだ」
そう言ってクベスは長い鼻で異形を指す。
「普段はただの人、だが一定の刺激を、それが何かは個体差あるらしいが、受け続けると体に獣が追加されるんだと。わかるか? 人の力に獣分が上乗せされんだ。単純な身体能力はもちろん、生命力、再生能力も跳ね上がる。知らないだろ? だから今見せてやるよ」
言ってクベスがその足を異形に向けるのと、俺が一歩踏み出したのはほぼ同時だった。
チラリと振り返ったクベスのサングラスに、振り上げた俺の右拳が映って見えた。
全力だった拳、顔に届かず胸を狙った一撃、だけどもクベスの右手は難なく受け止めやがった。
「……お前、やっぱりわかってねぇだろ?」
「……何がです」
手と手が触れ合ったまま、にらみ合い、言葉を交わす。
「いいか? こいつはさっき見た通りナイフで襲ってきた。ドジったら俺かお前か両方か、死んでたかもしれん。そんなやつを縛りもしないでほっとけってか?」
「だからって戦意のない相手を必要以上に痛めつけてもいいって?」
「念には念をいれてんだ。それのどこが悪い」
「悪いにきまってるでしょうが」
「だから何が悪いってんだよ!」
「女を無駄に傷つけんなつってんだよ!」
「……ぁあ!?」
クベスの、驚いたような呆れたような、というよりもよくわかってないような声が響き、手と手が離れた。
続いたのは何とも言えない空気と、終わりの見えない睨み合い、言葉はなく接触もなく、ただ視線を合わせ続けるだけ、だけども反らしたら負けだと本能がわかる戦いでもあった。
そして、俺は負けるつもりもなかった。
「これ以上やるなら、俺は」
「なんだよ」
軽く牙を剥き、底が最後の一線だと、サングラス越しに伝えてくるクベス、知ったことか。
「おれは、お前の敵だ」
思わず口に出たセリフ、皮肉とも侮辱ともとれる一言に、クベスは大きく驚いた表情を見せて、そしてすぐに笑顔に変わった。
これまで見せた中で一番、邪悪で、凶暴な笑顔だった。
そんなクベスが、何かを言いかけて、だけどそれを別の声が遮った。
「…………えっ、えっ、えっ、えっ、えっ、えっ」
……よくわからない、笑ってるかのような声だった。
これに、クベスは視線を切って、振り返る。
そこで、顔を両手で覆い、泣いていたのは異形だった。
いや、もうそこには、異形ではなくなった巨乳だけが、地面に座って泣いていた。
恐怖なんかもうなくて、ただ痛々しい姿だけがそこにあった。
「…………あぁ糞、興醒めだ」
クベスが小さく吐き捨てた。
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