不浄のベール
この島に結婚式を上げに来る人はかなり多いと思う。
異国情緒、というらしいけど、普段とは異なる島の感じが神聖っぽく感じるらしく、朝日をバックに砂浜での披露宴は毎日のように開かれていた。
そんな新郎新婦や式に出席する親戚縁者のドレスコードを整えるのも、実は母さんの仕事だ。
流石に一からドレスを作ることはめったにないけど、着るのを手伝ったり、丈を直したりというのはちょくちょくとあった。
その流れで、俺も会場への案内や式で指輪や花束を運んだりなんかの手伝いすることが何度かあった。大方は退屈だったけど、綺麗なウェディングドレスを間近で見れたり、ごちそうが食べれたのは嬉しかった。
だから俺にはウェディングケーキは見慣れたものだった。
円柱状でそびえるほどに大きく、一番安いのでも俺なんかがすっぽりと入れるほど、頂上の砂糖人形はカップルごとに手作りで、そっくりにするのが人気だった。
その内部は実は食べれないハリボテだ。
中心の軸は木製、その一部が欠けてて、そこへケーキ入刀時に入刀できるようにしてある。そこも含めて周辺に薄切りしたケーキを張り付け、クリームで誤魔化し、果物や砂糖菓子でデコレーションするのが一般的だ。
ケーキがこうなった歴史は、スポンジの材料となる小麦粉や砂糖が島では貴重で手に入らないからという実用的な理由からだったらしい。けど、交易が安定した今でもハリボテで続けているのは、単純に全部がケーキだと食べきれないからだった。
普通はそれは怒られそうなものだけど『神聖な祝い事の食べ物を残して捨てるのは罰当たり』的なことを言っとけば納得し、島側は材料を削減できて、誰も不幸になってないんだと、そんなことを誰かが言っていたのを思い出してた。
……あそこに放置されているケーキも、そんな風に作られて、忘れられたのだろうか?
もう一度角から覗こうとしてクベスの手に遮られた。
「あんま見るな。相手がどこから見ってかわかんねーんだぞ」
「見るって、ウェディングケーキがですか?」
「ケーキ?」
あ、クベスなんかは結婚式とは無関係か。
「あれですよ。道の真ん中にあるやつ」
「んだよ。この島は、あんな腐ったの食うのかよ」
「食べませんよ。でもあれほど大きなのは、この島では結婚式に出すやつぐらいなんです」
「だったらなおさらだ。思い出せ、俺たちは今、結婚詐欺師を追ってるんだ。なら結婚式に使うなんたらケーキもあいつんのに決まってんだろ」
「……はぁ?」
それは違うだろう、と思う。
それがどう違うか説明できる前に、クベスは続ける。
「役割分担だ。これから俺は行って、あれを見てくる。その間お前はここにいて、後ろを見張れ」
「え! あれだけ言っといて置いてけぼりですか? 資質どうなったんですか?」
これにはさすがに声が出る。
「っせぇな。ついてこられても邪魔なんだよ。命かかってんだ。遊びじゃねぇんだよ」
「それは俺だって」
「じゃあ後ろを見張ってろ。背中を任せられんのは実力を認めた奴だけだ。いいな?」
それっぽいこと、だけども心にもないこと、ほざきやがる。
「びびんなって、ハサミもってんな?」
「……持ってますけど」
見せてないはずなのに持ってきてたのバレてた。
「じゃあそれ見せつけてビビらせろ。ビビった隙に足刺せ」
「だから」
「ダメでも振り回せ。とにかく戦う意思を見せろ。でかく、派手に、先にやらかしたやつが場を支配する。支配してる間は、実力差なんざうやむやになんだよ。背中見せて逃げ出すよかよっぽど安全ってもんだ」
そういわれると、何となくそうなのかという気もしてきた。
「散々やられてきたからな、やりにくさは保証してやるよ」
説得力があるような無いような感じとなった。
「ビビってねぇんだろ? 先にこいつ見つけたら勇み足で襲い掛かって返り討ちに合って命乞いがてらに泣き叫んで俺を呼べ。そしたら『だから言っただろ』っていいながら助けてやるよ。俺はやさしーからなぁ」
笑いながらざっくりとネタ晴らしして、クベスは角を飛び出していった。
……一人残されて、急に静かになって、これが素質がないやつ扱いだとようやく気が付いた。
俺だって一晩眠って、クベスの言いたかったことぐらいはわかる。
ビビってない、怖いもの知らずで、突っ走って失敗しかねない。特に訓練もしてない子供が、凶悪な大人に戦いを挑むなど、番長でもない限り無謀だろう。
だから適度にビビッて、冷静に慎重に行動しろ、と言いたかったんだろう。
けど俺は冷静だし、その上で恐怖もなかった。
無駄に痛い目に合うのは嫌だけど、母さんの敵討ちのために相打ちになれるのなら、それでもかまわない。
これはビビってないんじゃなくて覚悟の問題だ。
その覚悟が素質云々にかかわるのなら、構わない。俺は一人でもやってやる。
……ただ、だからと言ってこんな本筋でもないところで捨て身になる気もない。
相手は大人とはいえ結婚詐欺師の女、勝てないまでも負ける気はない。その上で冷静に、逃がさないように立ち塞がりつつ賢く言われた通りにクベスを呼べば、文句もないだろう。
決めて深呼吸、壁に背を付けて立ち、向こうを伺いながら周囲も見回す。
異常なし。異常なし。何度見返しても変化ない風景、動いているのはケーキへ進むクベスだけ、異常なしだ。
考えてみれば、先走り過ぎている。今、ここにあるのは情報とあのケーキだけ、まだ本当に賞金首本人がここにいるかはわかってないのだ。
ふぅ、と息を吐いて、俺は肩から力を抜いた。
……と、その肩に、ベトリと何かが滴った。
見れば透明な液体、触れると糸を引き、臭いを嗅げば、生臭い。
恐怖より疑問が優って、俺は上を見上げた。
そんな俺の顔に、影が迫るのとはほぼ同時だった。
……視界いっぱいに見えるのは、薄汚れたベールだった。
向こうが透けて見えるほど薄い布、花嫁さんが頭から被るやつ、それが黄ばんで汚れて、悪臭を放ってる。
そんな、薄汚れたベールの向こう、透かして見えるのは、人ではない何かの顔だった。
目に当たる部分は長い前髪に隠れて見えない。鼻も、耳も隠れていて、ただ口だけがはっきりと見える。クベスほどではないが、前に突き出て左右に裂けた口、軽く開いたその中から出鱈目に鋭い歯が並んで、間からはやたらと長い舌が飛び出ている。捲れた唇の端からは絶え間なく粘液が滴っていた。
そんなのが、壁に張り付いていた。
まるで蜘蛛かヤモリのように、人に似た四肢を広げて、抱き着くように壁の窓枠と角とに手と足を引っかけて体を固定していた。
目の離せない俺、だけども視界の端では、その体に張り付いた薄汚れた布が、風になびいてるのが見えた。刺繍、裾の上げ方、辛うじて原形をとどめている部分から推測するに、着ているのはウェディングドレスの残骸らしかった。その敗れたスカートを長い尾が揺らしていた。
一切の情報が、危険だと叫んでいた。
とるべき行動も頭に浮かぶ。
戦う。逃げる。助けを呼ぶ。
だけど、どれもできなかった。
予想にもしてなった危険な存在、異形としか呼べない何かの登場に、想像をはるかに上回る、恐怖が、体から時間を奪い去っていた。
対して異形は、ゆっくりと、まるではちみつの中を泳ぐかのような速度で、その顔を、俺へと近づけてくる。
人、会話、コミュニケーション、命乞い、頭に閃くも、動いたのは異形が先だった。
「まあああああありぃいいいいいいみいいいいいいいいいい」
……人のものではない音、この世のものではない声、叫んでるわけでもないのに魂に響く恐怖、すくみ凍り付いた俺は、辛うじて視線だけが動かせた。
…………すごい、胸が大きかった。
逆さになってるから余計そう見えるのか、母さんよりも今まで見てきたどんな人よりも、ウエディングドレスで寄せて上げた大きな谷間を持っていた。
恐怖になんか変な感情が絡まって体の芯が熱くなってく。
と、その巨乳な異形が首を跳ね上げた。
「ばあぁんこ?」
一鳴き、そして壁を移動して角を、まるで下へと覗き込むように、覗き込んだ。
途端へたり込む俺、みっともないとか考えながらも這いずって逃げた先は、角の向こうだった。。
そして見えたのは、クベスの背中、全力で走り、飛んで、ケーキへ飛び蹴りをかます、その瞬間だった。
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