怒りと資質

 思ったよりもマフィアたちの手際は良かった。


 完全に元通り、というほどではないけど、お客さんだったら怒られない程度まで黙々と片づけて、そそくさと帰っていった。


 彼らは終始無言、だけどもクベスと俺を見る眼差しはブチ切れていた。


 そして最後、彼らが撤収する時、またもやラトップとクベスが向かい合い、睨み合ったのを覚えてる。


「おぼーえてなさぁい。今日とゆーひは必ずあなーたーの記念日になーります」


 ラトップからクベスへの言葉、その返事は、またあの屁だった。


 ……幸いにも、空腹だったからか、せき込む程度で前に比べたらそんなに臭くなかった。


 彼らが立ち去った後、もう一度ゆっくりと店内を確認したけど、盗まれたもの、壊されたものは何もなかった。ただ、ドアの鍵穴周りがこじ開けられてたらしく、いくつかの引っ掻き傷が残されていた。


 正直、ショックだった。


 この島は治安が良くて、泥棒騒ぎなんかなくて、あって子供のいたずらレベルで、それなのにこんな、ドアをこじ開ける人がいるとは、ましてやマフィアがいるだなんて、思いもしなかった。


 そして、そんな彼らに喧嘩を売られたというのは、もっとショックだった。


「な? 何も盗られてなかったろ?」


 当たり前のように、クベスが戻ってきた。


 外に置きっぱなしだったらしい買い出ししてきた品をせっせと運び込んでる。


 その姿に、また別の意味で、ショックだった。


 左手には買わされたらしい買い物籠、一番目立つのがバナナ、その影に隠れてるのが見覚えのある麻袋、小麦粉の小袋だ。拳ほどの大きさで、パンじゃなくムニエル用だろう。料理するわけでもないのに買ってきて、これにも言いたいことはあるけれど、使えばいいだけの話で、まだいい。


 籠を通した左手の先、指の間には新たな酒瓶が二つ、母さんも俺も酒は飲まないから良し悪しなんかわからないけど、それにもとやかく言うつもりはなかった。


 問題は反対の腕、右の腋の下、そこには魚の串焼きが何匹か分を束にして、直に、挟んで運んでることだった。


 ……ショックだった。


 雑に、食べ物じゃないみたいに、まるで薪を運ぶように、それも清潔とは言い難いコートで、だ。


 衛生観念の何もない運び方、それを、これから食べる。もっと言えば、そんな衛生観念のクベスが持ち込んだお茶を飲んでしまってた。


 思うと、血の気が引いて胃がおかしくなる。


「んな顔すんな。あいつらはもう来ねぇよ」


 勘違いしてクベスが言う。


「何かされたとしても、だ。あいつらが堅気に手を出すにゃ、上にお伺いを立てる必要がある。が、この島じゃあまともな連絡手段がないから、往復考えて一月、そこまで手間かけるほど暇じゃねぇ」


 慰められてるんだろうけど、そうじゃないと言いたかった。


「それにこれから先、泥棒もねぇよ。これでまた誰かが入ったら、真っ先に疑われんのはやつらだ。余計なトラブル嫌うのはどこのマフィアも同じ、だから安心して飯だ。食うぞ」


色々言いたいことはあったけど、でてきたのはため息だけだった。


 ◇


 キッチンのテーブル、クベスと俺とで向かい合って座り、夕食を食べる。


 テーブルの上に並べられてるのは大半が串焼きの魚、だけども鮫はなく、代わりカラフルで不気味な、に島で暮らす俺ですら名前も知らないような、黄色と青の縞模様でやたらとでかいやつや、目に刺さるようなピンク色の長いやつが並べられていた。


 その一匹を手に取り、黙々と、皮を剥ぐ。


 種類にもよるけど、魚の美味しい部分は皮と肉の間に挟まれた脂身だと島の人はみんな知っていた。


 だから気持ち悪いとか食べにくいとかで皮を食べない観光客を内心では馬鹿にしてきた。


 だけども、いくら美味しくても、あの腋に触れた部分は食べられない部分だった。


「んだよ。お前、みみっちぃ食い方だな?」


「えぇ、まぁ」


 誰のせいだと思ってるんだとの言葉を飲み込みながら、名前も知らない『薄い青色に赤の血管のような模様の浮かんだよくわからない魚』のむき身に齧る。口の中に広がるのは見た目とは違って淡白な味、不味くはないけど美味くもなくて、味も塩味もしない、パサパサだった。


 外れ魚、それも売れ残り、きっと安売りされてたんだろう、ただ大きさだけは俺の腕ほどあって、半分も食べきれるか自信がなかった。


「……食欲ねぇか」


 クベスから、らしくない声をかけられてしまう。


「やっぱ、お前、抜けるか」


 ぼそりと、言われて俺は思わず顔を上げた。。


「今なら悪くないタイミングだ。あのマフィア共も俺が離れればメンツが立って後腐れもない。結果が知りたいだけなら、後でこっそり教えてやる。だからもう抜けろお前」


 一方的に言われて、慌てて口の中の魚肉を飲み込み、返事を吐き出す。


「嫌です」


 はっきりと、クベスの目を見て言ってやる。


「俺は、絶対に逃げたりしません」


「おい」


「確かに、マフィアは怖かったです。入られたのも、ショックでした。だけどそれ以上に、腹が立った。何で平和に暮らしてて、悪いことしてない俺が、母さんが、あんな連中に怯えてなきゃならないんだ。日の下に出て堂々と、自分がやったことを言えない連中なんか、絶対に許さない」


 体が熱い。


 頭に血が上ってる。


 だけども俺は冷静だった。


「クベスが抜けたいなら止めないです。これまでありがとうございました。だけど、俺は一人でも続けます。書類もまだ見れてないし、やれることもあります。例え時間がかかっても、俺はあきらめたりしない。一人でも母さんの敵を、とります」


 ガタリ、俺の言葉を聞いたクベスが席を立った。


 無表情、言葉のない眼差し、怒らせたらしい。


 思わず身を強張らせる俺の目の前で、クベスは右腕をまっすぐ伸ばすと、バスリ、とあの槍を放ち、テーブルの真ん中で邪魔になってた、でかい魚へ、突き刺した。


 黄色と青色の皮が弾けて中から飛び散る肉汁と美味しそうな香り、味だけならこれが当たりだったんだろうけど今はどうでもいい。


「……脅しても無駄ですよ」


 強張る体を無理やり動かし、クベスを見返す。


 これに、クベスはその右手を俺に差し出した。


「握手だ」


 ……その意味が分からない。


けど、俺が動くまでクベスは動こうとしないようだった。


きっと握手されるまでこのままだろうと思い、俺は右手を掴んだ。


 ……感触に、驚きを顔に出さないので精一杯だった。


 クベスの指は、固く、冷たかった。


「踏みつぶされた」


 クベスが言う。


「関節は砕けて神経も切れて、辛うじて親指が曲がるかどうかだ。そのくせ感覚だけは鋭敏で、痛みとか必要以上に響きやがんの」


 そう言って、クベスは右手を引っ込める。


「やったのは前にも話したモルタルネズミ、そこのボスだ。激闘、と言いたいとこだが、ボコボコにされた挙句にこの様だ。似たような傷がこの服の下にビッチり、刃物、鈍器、骨折、火傷、命にかかわるのが四つ、未だに痛むのが五つか六つか」


「それは、脅し、ですか」


「あぁ脅しだ。それと忠告だな、お前は賞金稼ぎに向いてない」


「子供だからですか?」


「いや、違う」


 らしくなく、クベスはまじめくさって言いやがる。


「お前がビビってないからだ」


 一言、言葉に詰まる。冗談かと思った。


 だけど、クベスはまじめらしかった。


「わかんねぇか?」


「わかりませんよ。恐怖がないのはいいことじゃないですか?」


「……明日また狩りに出る。お前がいたから後回しにしてたが、やってやる。それで資質があるか、お前が見極めろ」


 偉そうに言って席に座りなおすクベス、そのまま食事に戻った。


 いいさ、だったら見せてやる。


 思い、魚を齧りなおした。


 ……余計に味がしなかった。


 ◇


 本来、島で最も獲れる魚は鯨だった。


 厳密には、鯨は魚じゃなくて動物らしくて、だから呼吸の度に海面に出る必要があって、そこを船で追って囲んで叩いて殺せば比較的簡単に、一頭で大量の肉が手に入った。


 けれども、またもやここに町と村との対立が産まれた。


 町が重視する観光客たちは可愛そう、と鯨を殺すのを嫌い、可愛い、と船から見るのを好んだ。


 一方の村は伝統的な漁と料理を守ろうとした。感情的な価値では腹は膨れないと鯨を獲り続けていた。


 それが暫く続いて、小競り合いも合って、今現在勝ったのは町の方だった。


 勝因は国外からやって来た動物愛護団体、彼らの攻撃的な説得だった。その結果、島の西北側にあった捕鯨基地は壊滅し、今では廃墟となった。


 そこが、朝一でクベスに連れてこられた、次なる賞金首が潜む場所だった。


 ◇


 道は知ってたけど、ここに来るのは初めてだった。


 もっと小さかった時、ここに探検に出ようというイベントがあったけど、その時は手前で大人に見つかって、こっびどく怒られたのが唯一の思い出だった。


 それで、初めて踏み入れた島の北東、捕鯨基地は想像通りに廃墟だった。


 雑草の生えた広い道は肉の運搬を考えてだろう。雑草が生えてるけど砂利で固めて舗装されいた。


 それを左右から挟む建物は石造りで、大きく、どれも三階建て以上ありそうだった。


 ガラスを外された窓の向こうを覗けば中にはまだ色々と残されていた。


 赤黒く染まった木の台に、天井からは錆びた鎖にフック、床には据え付けられた大きな丸鋸、鯨を引き上げるためらしいレールに、カビか何かで汚れた樽と木箱が転がっている。ここで獲ってきた鯨を食肉に解体してたのだろう。


 まだ朝なのに暗く、静かで、確かに犯罪者が潜むにはうってつけの場所に思えた。


 そこをクベスに続いて進む。


 クベスは初めてのはずなのに、その歩みには迷いがなかった。


 その背を見ながら、唾を飲み、ズボンの後ろに刺したハサミに手を伸ばす。


 あの、口の中に入れられた布裁ちばさみ、拭いてはあるけど精神的に、お客様の布を断つのに抵抗があって、だったら護身用にと持ってきた。


 使えるかどうかはわからないけど、無いよりはましだと思った。


「ほらよ」


 振り返り様、クベスに渡された紙は賞金首が載ってあるもの、名前には『ゼグシィ・ジューンブライド』とあった。描かれている姿は髪が長くて眉毛が薄いぐらいしか特徴のない、普通の女の人で、罪状は結婚詐欺とあった。後は難しくて読めない。


「詐欺師、ですか?」


「あぁ、結婚詐欺師だ。拍子抜けか?」


「えぇ、まぁ」


 そう言われてしまえば、裏に何があるとは嫌でもわかった。


「こいつの手口は、男に近づいて仲良くなって、結婚まで話を進めて、だ。いざ結婚式の本番で正体を現す。で、破談にさせてお別れ賃を、を?」


 突如として足を止めるクベス、この先は建物の切れ目、曲がり角だった。


 その手前で長い鼻を縦に上げ、鼻をひくつかせる。


「おい。お前も嗅いでみろ。普通の鼻でもこの腐敗臭はわかんだろ?」


 言われたからじゃないけれど、その瞬間、思わず鼻を押さえる。


 悪臭、クベスの屁ほどじゃないけれど、確かにここは臭い。それが、角の向こうから来てるような気がした。


「んだよ、殺人鬼じゃねぇよな。金額低いし」


 言って角の向こうを覗いたクベスが固まった。心持、尻尾が萎えた気がした。


「……こりゃあ、思ってた以上に面倒そうだ」


 そう言って覗いてた頭を戻すクベス、その口調からは緊張感が感じられた。


「お前も見とけ。身を屈めて下からそっと、出すのは片目だけだぞ」


 言われて立ち位置変わって、言われた通りに角から顔を出して覗く。


 ……角の向こう、道の真ん中、建物二つ分の距離に、茶色い山があった。


 見る限り高さは建物一階分、一番下は樽ほどの太さで上に行くほど細くなり、一番上には片手で掴めそうな大きさの白とピンクの何かが乗っていた。


 何だろう? 見覚えがあるような無いような形をしている。


 表面は薄い茶色、その上に濃い茶色の何かがへばりついているように見えるが、何故だか良く見えない。


 まるでその周囲だけが黒い靄に覆われるようで、輪郭がぼやけてる。


 ……なんだかわからないけど、わかりたくない物の山が、そこにあった。


「あぁ糞、俺も腑抜けてた。この臭い、こいつぁ肉が腐ったんじゃねぇな」


 クベスが小声でぼやく。


「こいつは、牛乳の類が腐ったやつだ」


 ぼそりと言われて、あれが何か閃いた。そして閃いた途端、そうとしか見えなくなった。


 大きさ、形、上にあるは砂糖菓子の花婿と花嫁、塗りたくったのはクリーム、あれは、あの山は、腐ったウェディングケーキだった。

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