警告された本当の意味
「この車置いてくっから、先に戻って茶わかしてろ」
赤船を後にして暫く後、いきなりクベスに言われた。
「大丈夫ですか?」
「あ? あぁお前の店の場所なら流石に道覚えた。マーキング無しでも帰れんよ。ついでに晩飯買って帰るが、何がいい?」
流石にまたブレンダさんのところ、とはいかないらしい。
「……鮫以外なら」
別に俺には好き嫌いはないけど、鮫だけは、分け合って苦手だった。
「わーった。適当に買ってきてやるよ」
言い残して、クベスは一人で市場へと別れて行った。
その背中、不安ではあるが、買い物程度なら、クベスでもできるだろう。
思って一人、お店の前の通りまで戻ってきた。
もう空は暗くなりつつあって、周囲の建物からは灯りが漏れ出ている。
それは母さんのお店も同じだった。
……火の始末はして出てきたはずだ。
そもそも出たのは昼間で、灯りには触れてもないはずだ。
だのに、何で?
疑問に思いつつお店のドアまで……開いていた。
絶対にカギはかけた。不自然だ。
嫌な予感、それ以上の好奇心に負けて、俺はドアを開いていた。
……中には見知らぬ男たちがいた。
数は、四人、みなラフな格好、短パンにカラフルなシャツを羽織っただけで、だけどもそれ以上に目につくのは、肌に渦巻く渦巻きの黒色タトゥー、それに交差する数多の傷、目つき鋭くガラ悪く、これぞ危ない人という風貌の男たち、恐らくはこの島出身じゃないだろう。
そんな男らがお店にいた。
あるものは棚の生地を床へ引きずり落し、あるものはカウンターに腰かけ、あるものは床の上に座り込みクベスのアタッシュケースをこじ開けようとしていた。
……何が目的かはわからないが、彼らが犯罪者なのはわかった。
恐怖、緊張、あれだけクベスに続いて賞金首を捕まえて回ったのに、今更になって足がすくむ。
「お帰りなさーい」
引けない動けない俺の背後で声、思考が追いつく前に突き飛ばされ、店内に押し込められた。
振り返ればまた同じような男、ただ顔に大きな火傷の跡がある男が、どこに隠れていたのか立っていた。
その男が、後ろ手でドアを閉める。
閉じ込められた、と同時に奥にいた男らの腕が伸びてきて、俺は左右の腕を掴まれ、取り押さえられた。
「頭! 戻ってきましたぜ!」
男のどれかが奥へ声をかけると、ほどなくして男が一人、違うけど似ている男が、他と同じような男を二人背後に連れて、現れた。
一見すればただのスーツだ。
背は低いが筋肉質な体で着こなしてる。デザインは良いものだが、色が悪い。靴もズボンもジャケットもネクタイも胸のハンカチーフも、クドイとしか言いようのない紫色一色で、ジャケット下のシャツだけが真っ赤だった。シャツ、ジャケットのボタンとベルトのバックルは金色で、カフスには赤い宝石を、両手には銀色の太い指はを五本の指全てにはめていた。派手で奇抜な色合いのファッション、悪趣味だ。
それを笑えないのは、顔の半分が蛇革だからだ。
丸顔の右半分、スキンヘッドのてっぺんから、喉の中ほどまで、反対は耳の付け根から顎のラインに沿って、肌が異なっていた。
左は普通に、色白な人の肌の色で、だけど右は、茶色に黒の輪の模様、ざらつく鱗の、蛇の皮だった。光沢、母さんが仕事でバックの修理してたのを見たことあるから、見間違いようがなかった。
そんな男が、部屋に入るのとほぼ同時に、俺は引っ立てられ、男の前へと引きずり立たされる。
「お邪魔ぁしてまぁすよぉ」
独特のイントネーション、それを変だと笑える空気じゃなかった。
「彼はぁまぁだみたいでぇすねぇ」
それがクベスのことだと察した。
「まぁいいでしょう。も少しィ待ちましょうぅ。ここには良いおもちゃぁもありますしねぇ」
そう言って半分蛇な男が取り出したのは、長い刃のハサミ、布裁ちばさみ、母さんのだ。
「お道具のぉ手入れが行き届いてぇます。おかぁさまぁはさーぞーや、良いお仕事をなさってたのでぇしょ」
一言で、何もかもが吹き飛んだ。
「おい」
恐怖、緊張、邪魔だ。
「そのハサミから手を放せ」
俺の一言に一瞬静まり返って、それから男らは爆笑し始めた。
耳障りだ。
「聞いてるのか? さっさとそのハサミを置いて、この母さんの店から消えろって言ってんだ。蛇の皮に脳まで食われてわけじゃねぇだろ?」
爆笑にあらがう程度の大きな声、これに蛇革の男は笑いながら、でも素早く手を動かし、開いたハサミの片刃を俺の口の中へと突き入れた。
カチリと歯に刃が当たり、右の頬の内側に冷たい感触、外へと引っ張り伸ばされた。
「お転婆ぁ娘はぁ、好みじゃぁありまぁせん」
ニタリと、それこそトカゲみたいに笑う半分蛇、だけども他の男らからは笑いが消えていた。
「何でもぉこうぅいうぅ布を切るはーさーみーはぁ、紙を切るとぉ、切れ味が落ちるぅそうでぇ、それはぁ、紙が布より固いぃ、からだそーで。なーらーばー、柔らかぁいお肉ならぁ、大丈夫ぅでしょうか?」
これが脅しだと俺でもわかる。
「ひゃれよ」
だから何だ。
「ひってひりゃいて、ふちひゃひらひやすぅくなっちゃら、おみゃえのはにゃくいちぎってやる」
俺は頭に血が上っていた。
俺は冷静じゃない。
だから何だ。
こいつらは理由は何であれ、母さんの店を荒らした。
脅したければ脅すがいい。顔を切りたければ切り裂けばいい。
そんなことでこいつらを許してはやらない。
絶対に、報いは受けさせる。
煮えたぎる全身の力をただ視線に集め、蛇革の男を睨みつける。
「……なぁんて、恐ろしぃ目をぉ」
ハサミを引き抜く半分蛇、その眼差しには恐れではなく好奇心が見えた。
と、がらりと外へのドアが開いた。
「んだよ、んでこっち来てんだよ」
クベスだった。
「わざわざ車戻すついでに単独行動してやったってのに、手間かけさせやがって」
言いながら、手ぶらな両手をコートのポケットに入れながらずかずかと入って来る。
そして店の中心で首を巡らし、男らの顔を見回る。
「やーーっと帰ってきぃましたねぇ。あぁんまり遅いんでぇ心配してたぁとこでしたよぉ」
半分蛇の言葉を聞いてか聞き流してか、巡らしてたクベスの視線が、一人の男、
棚の生地を引きずり落してた男に定まり、定めたままその前までつかつかと、周りを無視して歩き、迫る。
「……おい。なんだよ」
迫られた男は火傷の男、どうしていいかわからずとりあえずと言った感じで声を出す。
そんな男の前で立ち止まると、クベスは首をひねってボキリと関節を鳴らした。
「ロブ・ブット、お前は脅迫と暴行での賞金首、だよなぁ?」
一言、一瞬の沈黙の後、クベスはポケットから素早く両手を引き抜いた。
これにロブと呼ばれた男は素早く反応した。両腕を引っ込め折りたたみ防御の姿勢、顔をがっちりと守った。
だが、クベスが放ったのは蹴りだった。
膝を上げ、つま先を突き上げるような一撃は、又の間、玉にめり込んだ。
「ぁが」
声にならない声を上げて前かがみに股を抑えるロブ、その頭をクベスの両手が挟むように捕まえると、今度は膝蹴りが、顔面をぐしゃりと潰し上げた。
今度は、悲鳴も上げずに崩れ落ちるロブ、一気に店内の菌と湯が跳ね上がった。
「何やってんじゃボケ!」
「ぶっ殺してやる!」
「鍋にしちゃるわこのがきぃ!」
怒声、罵声、同時の男らはどこからかぎらつくナイフを引き抜き構える。
「貴ぃ様ぁ、誰を敵に回してるかぁわかってぇるのでぇすか?」
蛇革の声に、クベスはくるりとこっちを向いて、そして歩きよる。
カツカツカツカツカツカツ。
刻むような力強い足音、誰も止める間もなく、男らの中をまたも横切る。
「そりゃ、俺のセリフだラトップ」
カツ!
一際大きな足音を踏み止まり、クベスはラトップと呼んだ蛇革の前に立つ。
「お前、俺相手に何やらかしてんだよ」
吠えるでも怒鳴るでもない一言、だけども怒気はこの上なく濃厚で、それを吐き出すクベスは、大きく見えた。
「……私ぃを知っててぇのこれ、ですか?」
変わらぬように見えて、それでもラトップには緊張がほんの僅か感じられた。
「ラトップ・『ナーガフェイス』・ネイチャー、悪名高きマフィアの『トゥース・ディケイ・ファミリー』にて若くして支部担当幹部に上り詰めた男、そのくせ清廉潔白、賞金どころか前科も無し、立てた手柄はただ一つ、下っ端時代にファミリーのボスを庇って顔を負傷したことだけだとか。その革はそん時のヒットマンのだったか?」
「よぉくご存じぃで」
「あぁ、ついでに内情も知ってるぞ。逃亡犯の裏コミュニティの顔役、だがそこでの掟の第一行が堅気には手を出さない』違うか?」
「そのとぉうりでぇす。でぇすが、例外がありまぁす」
「手を出されたら、やり返す、だろ? で、俺はお前らに手を出したか?」
クベスは笑い、両腕を広げる。
「こっちでやったのは三人、どれも単独犯、お前らとは無関係、違うか?」
「……それぇは」
「それからもう一つ、今のだ」
左手の人差し指を一本、ラトップの鼻先に向け話を遮る。駆けてもいい、今のはわざとだ。
「お前のここでの役割は他のマフィア連中の逃げ場所の確保と安全管理だ。そんなお前がまさか部下とはいえ賞金首を賞金稼ぎの来る場所に連れてきたりなんざ、しねぇよな?」
……脅しに近い一言に、ラトップは黙る。
だがクベスは黙らなかった。
「大方、噂だけ聞いて、暇だからおちょくりに来たんだろうが、余計なお世話だ。こっちは賞金もかかってねぇ、ましてやお返しに上からのお伺いをしなきゃならねぇ雑魚相手にしてる暇ねぇんだよ。だから今日は見逃してやる。さっさと消えな」
これは、挑発だ。
話から、彼らがあまり大騒ぎできないことはわかった。
だから大騒ぎになる前にここで脅して大人しくさせよう、という計算だったんだろう。
計算外は、クベスが全部見越した上でやらかすやつということだった。
「……糞犬が」
ラトップの訛りの無い言葉、それがやっとでた本心だろう。
くぃ、と顎を上げると、俺を捕らえててた男らが手を放した。
「いぃいでしょう。今日はこのぐらいで」
「おい。なに勝手に終わりにしてんだよ」
立ち去ろうとする彼らをクベスはわざわざ呼び止めた。
「散らかした分はかたずけていけ、奥に入られた分、盗まれたものがねぇか確認すっからそれまでどいつも出んな。それからお前」
クベスの左手が素早く動き、誰かが反応するよりも先に、ラトップの胸からハンカチーフを引き抜き、目の前に突き出す。
「ハサミ、綺麗に拭いていけ」
有無を言わせない威圧感、ただ正しいことを言っているようで、それは命令だった。
傲慢な、怖いものを知らない、不遜な態度に、ラトップはもぎ取るようにハンカチーフを手に取り、開いたハサミの刃を拭く。
「貴様、この日のこと、忘れんじゃねぇぞ」
クベスの背後、ラトップと一緒に入ってきた男の右側が吠える。
同時に、クベスが振り向き、牙を剥いて笑った。
「それはこちらのセリフだ。俺はクベス、俺は、お前らの、敵なんだよ」
揺るがない狂気がそこにあった。
張り詰めた空気が続いて……折れたのはマフィアの方だった。
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