身近な外国

 結局、クベスにかかりっきりで、彼女らとはあれ以上話もできなかったし、水着姿も見れなかった。


 年寄りのマネが脱水症状起こして危なかったんだから、しょうがないとはいえ、おしいという気持ちが強かった。


 ただ、二人もワサビさんも大変満足してくれたみたいで、チップ含めてかなりの額を頂いてしまった。


 流石にお返ししようと思ったら、「お母様への御花代に」と言われてしまったら、もう受け取るしかなかった。


 それで、三人をお見送りして、書類とお金をしまって、再び鍵をかけて外に出ると、日が傾きかけていた。夕焼けの手前の手前、と言ったところだろうか。


「んじゃ、行くか」


 クベス、三人にまるで魚に餌をやるように、カップの水を飲ませてるんだかかけてるんだかしてた。


「あー日が暮れちまって、こりゃ、今日の仕事は出荷して終わりだな」


 そう言って再び荷車を引き出す。


「あの、向かう先は?」


「あ? あぁあそこだあそこ」


 左手人差し指で空をぐるぐる指さしながら、クベスが思い出す。


「出荷先は島の人間なら『赤船』つったらわかんだろ?」


 知ってる、けど俺には縁遠い名前だった。


 ◇


『赤船』は名の通り赤い船団だ。


 見上げるほど大きな船体、マスト、帆、デッキまで、外装全てが赤一色だった。


 そんなのが六隻並んで、港の一番目立つ場所に停泊していた。ただ厳密には港には接岸しておらず、間にはまだ海があって、そこに小舟を浮かべて板を渡して橋を作り、島との間に海を挟んでいた。


 この海が、距離があるからこそ『外国』としての立場があるのだと、いつかの学校の授業で習ったような覚えがあった。


 それが、どのような理屈なのかはまだ教わってないけれど、外交とか、観光客が起こしたトラブルとか、そういうのに対処するために派遣されている出張の大使館、という扱いなんだそうだ。そして、観光客のトラブルには、賞金首関連も含まれるらしかった。


 つまり、この赤い外国が、賞金首を引き渡す場所だった。


 夕焼けに照らされてなお赤とわかるシルエット、この船と関わる日が来るとは夢にも思わなかった。


 ただやはり中に入ることはできず、クベスが怒鳴りつけて人が降りて来てもらう必要があった。


「おら! 賞金首持ってきたぞ! さっさと金よこせ沈めんぞごら!」


 品のない呼び出しに、橋のこちら側で見張りをしていた人たち、白いズボンに首周り襟が大きく紺色な白のシャツ、どちらの黄色いボタンでシンプルなデザイン、頭にはつばがなくまんまるな帽子を乗せて、腰にはサーベルを刺して、恐らくは海兵さんだろう。


 屈強な体に日焼けした肌、立派できちんとして見える。だからこそ皺とか、擦り切れとか、取れかかったボタンとかが気になる。何より汗臭く、垢臭く、フケが白く見えて、洗濯してないのがわかった。


 水が貴重な船の上なら洗濯もお風呂も贅沢で、だから落ちない汚れ、知ってるから汚いとはののしれないし、何よりも辛いはずの本人たちが平然としてるのだから、余計なことは言わない。


 そんな海兵さんたちが慌ただしく反応する。


 けど、それは追い出す動きじゃなくて、船内に誰かを呼びに行く動き、それで慌ただしく船から降りてきたのは四人が書類やら何やらをもって降りてきた。


「おら、引き渡しだ。確認しろ」


 言いながらクベスは荷台から樽を一つづつ蹴り落し、転がして船の橋の端までもっていく。


「ご苦労様です。確認します」


 応じて続くのは難しい専門用語の応酬だった。


 何言ってるかさっぱりわからない。


 ただクベスが樽の中の顔を見せ、海岸線を挟んで向こうの海兵さんがそれを確認すると書類を見せ、クベスが何かをあの独特の、親指だけで挟んで残り四本を真っすぐなままのペンの持ち方で書き込むと、それを持って一人が船内に戻って、その人が戻ってきて……笑えない厚さのお札をクベスへ手渡し、確認すると、樽ごと向こうへと移す。


 賞金首と賞金との交換、それを三人分、三回繰り返した。


「こいつら軍人だからおいそれとは島に上陸できんのだとさ。国際法を使ったサボり、まさに税金泥棒だな」


 愚痴りながらクベスは、受け取った札束をまとめて分厚い札束にしていく。数えなくても金とわかる厚さだ。


 これは、これだけ儲かるなら、細かな金勘定も吹き飛ぶだろう。


 最後の一人、まだ騒いでたゲーリーが積み上げられ、賞金を貰い、クベスは挨拶もそぞろに背を向ける。


 対して海兵さんたちは人の入った樽を、人数と力任せで船上へと上げ始めた。


 無駄口を叩かない淡々とした仕事ぶりは、嫌いじゃなかった。


「あっくっそ、この車戻すんだったか?」


 札束をしまい、クベスは嫌そうに言う。


 それに返事する前に、船から降りてくる影があった。


 ゆっくりとした足取りでタラップを降りて橋へ、小舟まできて立ち止まった人は、白い服を着ていた。


 軍服、だけども海兵さんたちよりもきっちりしていた。


 真っ白な布地の詰襟でボタンも白く、その右胸には大きなポケット、その左の上にはカラフルな勲章が光ってる。腰のサーベルも青色の宝石をはめた立派なもので、加えて目立つ黒の革靴、白色の手袋、そして頭に乗せた帽子には、五角形の華をあしらった金色の刺繍があった。そして当然のように、染みもほつれもなく、ボタンの糸もきちんと揃っていた。


 見るからにフォーマルな服装、なのにシンプルで動きやすそうで、ただ単純に手間暇かけただけとは一線を画した機能美があった。


 そんな軍服の男は、歳はそれなりに高く、俺ぐらいの孫がいても驚けないだろう。白い眉毛、髭も髪も短く刈り揃えてあって、深い皺含めて無駄なものが無いような顔立ち、まじめで怖そうだけど、悪ささえしなければ、といった印象だった。渋い、と言うのも当てはまると思う。


 その、渋い軍服の人は、帽子をとると、きっちりとしたしぐさでまっすぐ俺にお辞儀した。


 よくわからないけど礼には礼を返すのが礼儀と母さんに教わっている。だからお辞儀し返した。


 何だろう?


 不思議に思って頭を上げると、クベスが俺の視線を辿ってやっと男の存在に気づき、びくりと跳ねてから一歩引いて、睨みつけていた。


「君が、クベス君、だね?」


 睨まれながらも思ってたよりも優しげな声、軍服の人に呼ばれてクベスが見せたのは、だけどあの手首を下に曲げて向ける、槍を飛ばす前の仕草だった。


 クベスは彼を敵と見ているらしかった。


 それを感じてか、軍服の人が右手を上げる。


「そんな怖い顔しないでくれたまえ。ただ私は、噂の賞金稼ぎを一目見に来ただけなんだよ」


 言いながら海岸線ギリギリまで歩いて止まる。


「なるほど、我流ながら腕がいいというのは、本当らしいね」


「あんたは、船長か?」


「失礼、自己紹介が先だったね。私はジグルベル・ファフロツキーズ、この船団の代表をさせてもらっている」


 ジグルベル船長は上げた右手で帽子をなおす。


「怖い顔をしないでくれたまえ、私はただ、君に一言お礼を言いたかっただけなのだよ」


 その船長の言葉、俺には裏表ない真実に聞こえた。


「この船から一歩も出られない我々の代わりに、君らが賞金稼ぎが正義を行い悪人どもを連れてくれる。賞金が出るとはいえそこは命がけだ。正直、感謝している」


「そうかよ」


 ぶっきらぼうに応えるクベス、興味を失くしたのか、槍の狙いを外し、そのまま行こうとする背中に、ジグルベル船長は続けた。


「日に四件、単独でなら、私の知る限り最高記録、一週間でも記録的だ」


「そりゃあ、やったな」


「これは警告だ、と言えは、君にもわかるだろ?」


 きついジグルベル船長の声、それが真面目に大変な警告なのだと、俺には聞こえた。


 だけどクベスは変わらず左手を振るだけだった。


「なら、改めて言葉にしておこう。もうやめておけ。十分な金額が手に入っただろう? なら引退しろ。でなければせめて長い休暇に出ろ。でなければ」


「んだよ?」


 振り返り様に放たれたクベスの声に怒気があった。


 これに怯んだわけではないだろうけど、船長は右手を伸ばし、帽子を深くかぶりなおした。


「……生き急いでどうする? これだけが人生でもあるまい。時には立ち止まって考える。年寄りからもアドバイスだよ」


 静かで、疲れたような声だった。


 それに対して、クベスは返事をするようにその尾を跳ねた。


 見覚えがあった行為、それが何だったか思い出す前に、手遅れだった。


 ブボ!


 小さな破裂音が重さを飛ばす。


 刹那、ジグルベル船長の表情から渋さが飛んだ。


「うぉぼほおおおおほああああああ?」


 しゃがれた悲鳴を上げ、次に咳き込んで、帽子を取って辺りを扇ぎ、涙目で咳き込み始める。


 その臭いが潮風に乗ってこちらに流れてきた。刹那、嗅覚を感じた瞬間に吐き気が破裂した。


 あの悪臭、形容するだけでも苦痛を伴う、クベスの屁、最低な返事だった。


 このタイミング、シリアスなこと言ってたのに、返事がこの屁だった。


「クッソ、良いもん食っちまって逆にパンチがねぇ」


 ……咳き込みむせ続ける船長へ、向けるその笑みはあざ笑うものだった。


「行くぞ。出したら腹が減った」


 出した本人は相変わらず平然としていて、平然と町の方へと歩きはじめた。


 この場に留まるわけにもいかず、仕方なく、船長に一礼してから、車を引くその後に続く。


 ……先行くクベスの残す足跡さえもが、強烈に臭った。

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