移動開始と一人目

 クベスが道にも迷わず、真っ先に向かったのは港、魚市場だった。


 水揚げにはまだ早く、魚はまだ並んでなくて、それでも準備やら掃除やらでそれなりに賑わっていた。


 その中を割って入り、突き進み、すれ違う人々の影を踏みつつやって来たのは通り抜けた外れだった。


 並ぶのは木箱に、網に、樽、昨日の売れ残りらしい腐った魚の山、その一角で、クベスが足を止める。


「おい、そいつをくれ」


 そう言って指さしたのは、一台の荷車だった。


 木の上の開いた大きな箱に、大きな車輪が一対、それに引っ張る用の持ち手のある、普通の荷車だ。ただし長い間魚を運んで来たらしく、臭いが木目に染みついていた。内側にところどころ見えるのは血か、カビか、ただの汚れには見えない。


 はっきり言って、これに載せて運ばれた魚なんか口に運びたくはない。


 そんな荷車の持ち主らしい中年の男、淡い茶色の麻のズボンにバナナの葉を編んだ日よけ帽、上半身は裸で、日に焼けた肌には黒い墨で渦巻きのような入れ墨が彫られてあった。


「売りもんに見えってか?」


 前歯のない口から吐き出される声は酒臭く、煙草臭かった。


「そいつは値段しだいだろ?」


 言ってクベスは、札の束を取り出し、投げ渡す。


「へ、へへ、物好きもいたもんだぜ」


「ついでと言っちゃあなんだが、そっちの樽もいくつか貰ってくぜ」


「好きにしな」


 金額を数えるのに忙しい中年を通り過ぎ、クベスは樽を三つばかし、俺がすっぽりと入れそうなサイズのを選んで運んで荷車に積み込む。


「ワシの車になにしっとっかきさんら!」


 訛りか活舌が悪いのか、それでも怒ってるとわかる怒声、見ればまた別の中年男、同じような淡い茶色の麻のズボンにバナナの葉を編んだ日よけ帽、上半身は裸で、日に焼けた肌、けどそこに入れ墨はなかった。


「あ? 今買ったんだよそいつから」


「まぁまて若いの、ここは任せろ」


 そう言って持ち主だと思ってたけど違ったらしい中年男が、本当の持ち主らしい中年男へ、そそくさと遠くに誘導し、何やらひそひそと話し始める。


 何を話してるか俺には聞こえてないが、それでもそっと、その手に札の何枚かを渡し、握らせたのを見た。


 ……ひょっとして、中抜きされた?


「夜までだかんな! 返さなかったらただじゃおかねぇぞ!」


 しかも買えてないとか、完全に騙されてる感じだ。


 にもかかわらず、クベスは平然としていた。


「夜か、まぁ妥当だな」


 笑うクベスは、騙されたばかりとは思えないほど自信満々で、だからこそ不安しかなかった。


「じゃあさっそく道案内だ。は、じ、め、は、ここだな」


 そう言って取り出した一枚の紙、そこには賞金首と、その似顔絵があった。


「……この人って、まさか」


 まさか知ってる顔を出されるとは思わなかった。


 ◇


 東の村と中央の町、その狭間に、この島唯一の学校があった。


 広い校庭の奥にある二階建ての校舎は座礁した船の残骸でできていて、舐めると潮の味がするらしい。いざというときは避難所となるここは、当然のように生徒が登校してるところだった。


 ……そう、今日は平日、学校があったのだ。


 まだ学生な俺は行かなきゃいけないわけで、そうでないなら家で仮病を演じてなきゃいけないわけで、なのに勉強道具も持たず、代わりに怪しいコボルトと臭う荷車を引き連れて現れれば、当然目立つ。


 ざわめく生徒たち、ひそひそ話しながら左右に道を開ける中、クベスは堂々と荷車を引いて校庭を横断してく。


 そして校舎の入口の真ん前に、クベスは荷車を止めた。


「ここで待ってろ」


 そう言ってずかずかと校舎へと入っていく。


 残された俺は、ものすごく気まずかった。


「おいスターどうしたんだよ?」


 声をかけられびくりとする。


 振り返れば知ってる顔、ビャアンだ。いつもと同じタンクトップに淡い茶色の半ズボンで、上に尖がった前髪に長い襟足で、いつもと変りないようだった。


「あぁ、うん」


 そうとしか返事できなかった。


 話したいことはいくつかある。


 けど、こいつも、学校も、何も変わってなくて、母さんが変わって色々変わった俺としては、そこに俺のことを持ち込むのは何だが気が引けた。


「なぁ、大丈夫か?」


「まぁ、なんとか」


 なんかもう、いたたまれない会話ばかりになってた。


 と、校舎が急に騒がしくなる。


 騒ぎ声に悲鳴に、誰かが走るドタバタという音、そして生徒を突き飛ばし、飛び出てきたのは、長い金髪の女だった。


「「あ」」


 俺とビャアン、同時に声が出る。


 出てきたのは知ってる顔、俺らのクラスの担任のレシー先生だった。


 白いブラウスに黒のスカート、長い金髪をポニーテールにして、母さんには負けるけど、白い肌に大きな胸、青い目で相変わらず綺麗だった。


 だけど今日は、その髪も顔も服も乱れて、全力で走ってた。


 その走りの一歩前、踏み出した足のすぐ先の地面に見覚えのあるジャベリンがつきたてられた。


 これに驚いたレシー先生、駆ける足が乱れて躓き、受け身も取れずに胸と顎を地面にぶつけて派手に転んだ。


「あぁ糞が、安いくせに手間かけさせんなよ」


 射ったのは、当然ながらクベスだった。


 息も切らせず、ずかずかと校舎から出てくる。


 その表情、女性相手に手荒なことをしておきながら、気負いのようなものは全く見られず、むしろ注目を楽しんでるかのように、胸を張っているようにさえ見えた。


 そんなクベス、顎先を擦りむいてせっかくな美人が痛そうになってるレシー先生の元へ、しゃがんで懐から何かのメダルを取り出し、見せる。


「レシー・ウェストプレーン、業務上横領で指名手配中だな。この通り権限をもってお前を拘束、輸送する」


「そんな、あれくらい誰だってやってるじゃない!」


 罪人だと信じられなかった俺の前で、先生はあっさりと罪を認めた。


 そんなレシー先生を、メダルをしまったクベスは無言で捕らえて、いわゆるお姫様抱っこで抱き上げた。


 周りから、特に女子からよくわからない悲鳴が上がる。


 それを無視してクベスはレシー先生を運び、そしてここまで運んできた樽に、お尻からするりと入れた。


 ……足は膝まで、体は脇の下辺りまで、すっぽりと、文字通りはまって、手足をばたつかせるけど、抜け出せないようだった。


 間抜けな、だけど実際脱出困難な拘束に、樽は化していた。


「おーーーしこれで一人目、次行くぞ」


 そう言ってクベスは、槍を引き抜きコートの内側にしまうと、レシー先生のはまった樽を乗せた荷車を引いて、来た道を戻り始める。


 その前に、何人もの生徒が立ちふさがった。


 声もなく、手も上げてないけど、それは確実に行く手を遮る行為、男子、女子、ビャアンもいて、無言でクベスを睨んでいた。


 他にも校舎へ走るものも、きっと誰かを、番長か先生を呼びに行ったんだろう。


 みんな、レシー先生を助けようとしていた。


 俺も、正直、その生徒の一人に混ざりたい心情だった。


 それに、クベスは足を止める。


 そして一度小さく息を吐くと、大きく吸い込んで、そして吐き出した。


「わおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんんんんんん!!!」


 絶叫、皮膚ですら感じられるほど、響き渡る遠吠え、その音量、その迫力に、俺だけでなくこの場の全ての生徒が、怯えた。


 未知の、恐ろしい大人の存在、いくら人数がいて、勇気があろうとも、勝てないという現実、これら全てが残酷なほど、一声に集約されていた。


 「ガキ共、俺を敵に回すにゃ十年はえぇよ」


 吐き捨てて、歩を進める。


 ……最早行く手を遮ようと試みる者はおらず、クベスの完全勝利だった。


「おいスター! 行くぞ! まだまだ仕事は残ってんだ!」


 名を呼ばれ、もうその後を、俺もついてくしかなかった。


 これでもう、俺の学校生活は永久に変わってしまった。


 暗い気持ちで、俺は、ビャアンの顔も見れなかった。

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