変身して武装して

 本当にいた仇、まさかの正体、母さんを殺した、真犯人、その自白、告白に、変わらないのは飛び回る黒い粒だけだった。


「しかし、うぅーむ、あともう少しで言いくるめられたんだが、まさかボタンとは、盲点だったな」


 これまでと同じような変わらぬ態度、その背後に、クベスが迫っていた。


 身を屈め、長い口を突き出し、左手のナイフを煌かせ、襲い掛かる。


 刹那、俺に左腕が引っ張られ、世界が回る。そして背中を掴まれ止まった目の前に、クベスがいた。


 この位置、俺は壁にされた。


 不味い。思い、逃げようと一歩踏み出す。


 ミシリ、途端に背中で音がしか。


 感触、音の感じ、母さんのドレスが、少し破けた。


 そう察したらもう、俺は動けなくなっていた。


 チッ!


 動けない俺へのクベスの舌打ち、同時に迫る足を雑に踏ん張り踏みとどまった。


 その顔面へ、俺の顔の横ギリギリ掠めてサーベルが突き出された。


 ガッ!


 激突音、したのはクベスの顔面、だけど当たったのは食いしばった前歯、出血はない。けれども大きく弾き飛ばされた。


 それでも踏ん張り、経ちなおすクベス、怒りか、闘争本能か、牙を剥いて食いしばるその唇からは、血が滴っていた。


 対するジグルベル、サーベルを引っ込めると同時に俺の着ているドレスの背を掴む。


 そして俺を挟んでそれぞれ四歩ぐらいの間合い、向かい合い、睨み合う。


「やはり、切れないか」


 ジグルベルの声、落ち着いていた。


「自身の潔白を証明するならむしろこんなところに来ず、島のどこかでバカ騒ぎすればいいだけの話だ。加えてこの飛び回ってるのは、蠅だろ? 樽が臭くてかなわんし汚いが、一応は無害だ。この心遣いが人質の価値を証明している」


「だが生かして帰さない。どーせ殺されんだろ?  だったらお前が殺そうが俺が巻き込もうが関係ねぇだろが」


 そう応え、だけどもクベスが見つめるのは、俺だった。


 言われるまでもなく、覚悟なら、できてる。


 こんな風に組仇を前にしてクベスの足引っ張った挙句、殺されるなんてまっぴらだ。


 だから命なんか惜しくない。


 けど、このドレスは別だった。


 例え俺が死んでも、殺されても、このドレスだけは無事であってほしかった。


 それをどう伝えるか、どうすれば叶うのか、考えつくより先にジグルベルが応える。


「何、この子はすぐに放すさ。人質は私の戦い方に合わない。ただ、代わりに少し時間が欲しいのでね」


 そう言いながらジグルベルはズポリズポリと両足の靴を踵を踏んで脱ぎ捨てる。


「君の想像通り、私はワービーストだ。そしてワービーストには変身するためのきっかけが必要でね。これには、個人差がある」


 同時に聞こえてくるガサコソと、ボタンを外す音、そしてサーベルの鞘が投げ捨てられた。


「君が捕らえてきたゼグシィのきっかけは『緊張』だった。それが『トキメキ』だろうが『恐怖』だろうが鼓動が早まると変身する。不便極まりない。一方で、私のきっかけはこれだ」


 そう言って俺の足すぐ横の床に、サーベルを突きたてると、空いた右手で懐から引っ張り出したのは、白い粉の入った小瓶だった。


「やっぱ麻薬がらみか」


 クベスの一言に、見えてないのにジグルベルが笑ったのを感じられた。


「ご名答。実は今回の騒動もこれが目的だ、とは、わかってたって顔だね」


「煙草畑の隣に堂々と赤い花があったからな。で、煙草に紛れ込ませてコボルト税関の鼻を誤魔化すってか?」


「概ね正解。ただ税関は関係ないよ。そもそも私が税関側、スルーはいつでも出来るからね。私が今回、コボルトネズミまで用いて求めたのは、安定した供給源、プライベートプラント、とでもいうのかな」


 そう言ってジグルベルは親指で小瓶の蓋を弾き飛ばすと鼻に押し付け一気に吸い込んだ。


 ゲハァ!


 軽くせき込んだジグルベルは小瓶を投げ捨てる。


 そして伝わる異様な震え、高熱、荒い息、振り返って見上げる俺の前で、ジグルベルの変身が始まった。


「当然金なら沢山持ってるさ。麻薬も買える。だがね、麻薬の売人というやつは、すぐに人を薬中と見下して、薬に混ぜ物を入れたがる。中には何を勘違いしたのか私を脅迫してくるものまでいる」


 喋り続ける口はメキメキと持ち上がり、歯茎、前歯、唇と前にせり出てくる。


「コストも中抜きばかり、無駄に関係者が多く、そのどれかが捕まれば私まで巻き込まれる。だったら全部を最小限に、私の手の打ちで完成させる。そのためにこの島を求めたのだよ」


 右の頬が引きつり、耳がせり上がり、首が盛り上がって毛が生え始めると左も変わり始めた。


「余ったら船上限定で転売しても良い。同じように上質の薬を求める上流階級は多いし、そうでなくても一度この魅力に取りつかれたら、あの双子でもメロメロだろう。子供の方が欲望に忠実だからね」


 手の変身はあっという間、ただ太く、爪が鋭く、そして毛深くなった。


「だが、それはまだまだ先の話だ。まずは君を、それからこの子を殺さなければ。大丈夫、苦しめたりはしないよ。ただ海に捨てて鮫の餌にはするがね」


 そして足、軽くつま先立ちになったかと思えば踵が上にせり上がり、足の関節が逆に組み替えられ、太くなり、爪も鋭く尖ると、その足が、跳ねた。


 ドン!


 遅れて衝突音、返信したジグルベルの右足が蹴り飛ばしたのは、クベスの腹だった。


 変身が未だに完了してない状態で、四歩分あったはずの間合いを、たった一歩で突き抜け、限界まで突き出したつま先が、決して軽くないクベスの体を貫くや、その体を吹き飛んでいた。


「まさか、自分が待っていたから相手も待つだろう、なんて甘い考えはないだろうね?」


 おちょくりの言葉、そして変身は完了した。


 全体としてはクベスに似た獣人、だけども背は頭二つ高く、肩幅も胸の厚さも、一回りも二回りも太く、たくましい。逆に足はひょろ長い印象、だけどもクベスを蹴りぬいたつま先は細く鋭く、引き締まった感じだった。


 そして長く突き出した口からは太くがっちりとした牙が並び、その目はどろりと淀んでいた。


 ……クベスよりも、鮫や天災に近い、言葉の通じない邪悪さが溢れていた。


「やはり鍛えられてる。女と違って即死は無理だったか」


 声だけは変わってないジグルベルに応じるように、クベスが顎を上げる。


 あの一撃、体を吹き飛ばされながらもクベスは着地し、踏ん張り、倒れずにいた。


 ……だけども、その腹には、はっきりと、横に等間隔に並んだ四つの傷があった。


 あの、母さんのお腹にあったのと、同じ傷だった。


 その穴からどろりと漏れ出る赤黒い血を、曲がらぬ指の右手で押さえ、そして赤に染まった掌を見た。


 く、くははははははははははっはははあはっははははははははははははははははっは!!!


 見るや、クベスは笑い出した。


 牙を剥き、涎を撒き、腹からなお血を溢れさせ、それでも止まらない馬鹿笑い。ぐらりと身を揺らしてから、左手に握る銀のナイフを、ジグルベルへ向ける。


「なぁ、もう、殺しちまってもいいよな?」


 一瞬、何を言ってるかわからなかった。


「自白は得た。変身も見た。凶器も見つけた。もういいよな? 死体はなんも喋んねぇし、きっとまともな証拠も残ってねぇだろーから、モロモロ調べられんのは今のうちだけどよぉお。これ以上知りたいこともないよな?」


 クベスが訪ねてるのは、俺にだった。


 狂った、とも思ったが、笑うクベスの目は、これまでと同じで、だから初めから狂っていた。


 だから、その問いに、俺は何度も首を縦に振っていた。


 知りたいことはおおよそわかった。これ以上は、命を、クベスの命と釣り合うものじゃあない。


 だから、もういい。


 そう頷いて、頷かれて、クベスは笑いを弱め、代わりに尻尾を荒らぶらせた。


「じゃあ殺すか」


「悪い冗談だ」


 ジグルベル、不機嫌な声を上げ、同時に背を掴んでた指が離れ、代わりに俺の体を、がっしりと鷲掴みにした。握力とは思えない凄まじい力、肩とアバラの骨がきしませ、そのまま片手で、まるでバナナのように、俺の体を持ち上げる。


「君は、その右手が使えなんだろ? 何、船でサインしたのを見させてもらってね。私が踏みつぶしたらしいが、まぁ君が言うのならそうなんだろう。で、指が曲がらないから拳も作れない。実質片手のみ、そんな君に、私が倒される? これでもか?」


 放してる間も俺は足をばたつかせ、手は食い込む爪を引きはがそうともがくも、びくともせず、そのまま軽々と掲げられる。


 そしていつの間にか持ち換えてた左手で、ジグルベルは床に刺さってたサーベルを掴んで引き抜いた。


 ナックルガードの上から覆いかぶさる雑な掴み方、だけど軽く素振りすればしっくりと馴染んでいるようで、難なく使えるようだった。


 そして俺を胸の高さで前に、サーベルを腰の位置で構えれば、絵物語で見た、騎士が盾と剣で行う構えとなった。


「右手の盾で君の左手のナイフを押さえ、左手のサーベルでその曲がらない右手を切り落とす。我ながら隙が無いが、それでも私に勝てると?」


「あぁ、すぐに、殺してやる。だがその前に、これだけは言っといてやる」


 コキリと首を鳴らすと、クベスは言い放った。


「俺は、お前の、敵だ。それだけ覚えて地獄に行け」


 ぶりゅぶりぶぶぶぶぶぷりりりりりりゅぶぶぷぷぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ!!!

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