事務仕事

 揉めに揉めて、騒ぐクベスにワサビさんは平謝りしながら双子を、まだ病み上がりだから長いは無粋と促して、三人はあっさりと帰ってしまった。


 夢のような食事の幕切れとしては最低だったがそれでも帰り際に「「またね」」と言ってもらえたことは希望をつないだ。


 満腹になると人は眠くなるもので、クベスはなんやかんや言ってたけど、それを適当にあしらってベットに戻ると、一日が終わった。


 ◇


 翌朝、少し遅めに起きると、治ってた。


 熱も痛みもきれいさっぱり消え去って、体も動く、お腹も空く。


 いつも風邪はこんなもんだった。


 それで、一階に降りると当然のようにクベスも起きていて、また買って来たらしい焼き魚やバナナをテーブルの上に、だらだらと食事していた。


 そして俺を見るや不機嫌そうに、フン、と鼻を鳴らした。


「元気そうだな」


「はい。その、ご心配かけました。もう大丈夫、でれます」


「知るか、今日もお休みだ」


 まんま不機嫌に言って、クベスはバナナの皮を食い破り、中の身を舐めるように飲み込む。


「あの糞使用人、ワサビっつったか? あいつ風邪のお前を連れだしたら労働保険法で告発するとか抜かしやがる。んな程度じゃ資格は盗られねぇが、審査の間は赤船が仕事しねぇ。だから大目に見て、休んでやるよ」


 静かながら捲し立てる感じだった。


「あの、すみません」


 謝ると、またフンと鼻を鳴らした。


「そう思うなら書類見ろ。お前の母親が残したやつ、そういう話だったろうが。出かけねぇんだから問題もねぇだろ?」


「はい、じゃあ、そうします」


「んの前に飯だ。食え」


 そう言ってクベスが差し出してきたのは、鮫の串焼きだった。


 ……昨日の今日、ここでの会話、人の気も知らないで、それでも食えるクベス、これは素であり、嫌味でも何でもないんだろう。


「定価で買ってきたがあれだ、この不味さは焼き冷ましだからとかじゃねぇな」


 そう言ってクベスは、別の鮫に齧りついた。


 ◇


 ……熱が出そうだった。


 水分とバナナだけお腹に入れて入った母さんの部屋、ベット以外はほぼ荷物置き場で、迫るような棚と棚の間で俺は頭を抱えていた。


 目の前には母さんが残した書類、納品書に納税書に注文書に受注書に領収書、何度目を通してもよくわからない。わかるのは母さんのサインだけ、それ以外は、そもそも何のための書類なのかもさっぱりだ。


 どこかで活版印刷され、印鑑の押された書類の束はさほど厚くはない。記された内容は種類ごとにほぼ同じで、違いは手書きの金額と名前だけ、しかもそのどれもが見知ったもので、少なくとも俺にわかる不自然さはなかった。


 注文しているお客様も、大半がホテルか客船経由での注文で、ここに何か怪しいのがあっても仲介役がいるのだから母さんだけ狙う意味が薄い。


 個人のお客様もいるにはいるけど、ボタン直しに破けた袖直し、小銭にもならない安い仕事ばかり、唯一目を引いたのはあのブレンダさんのお店、『レストラン・グリフォンダンス』からの注文、ただこれも、食べすぎてズボンが入らなくなったお客様のためにあたらしいズボンを届けただけだった。


 少なくとも、こんなので殺されるなら、島で働く大半の人たちが危ないことになる。


 ……母さんが、殺される理由なんかなかった。


 それはそれで当然のことだけど、問題はクベスで、あれだけ引っ張といて何にもなかったなんて、納得しないだろうし、しなかったら何をしでかすか、わかったものじゃなかった。


 ……どうしよう。


 思い悩み、こんな時に思い出すのは、母さんの教えだった。


 やれることからやろう。いつもやってることからやろう。


 その通りにする。


 いつもやってたこと、お店がお休みな時にやっていたのは、備品や在庫品の確認だった。


 布、糸、ボタンにゴム、皮や鎖や金属の輪なんかもある。道具も針は錆びやすくて折れやすいから消耗品で、それなりの頻度で補充が必要だった。その中から使ったもの、変わらずのもの、減ったもの、数を数えてリストに数字を書いていく。


 珍しいもの高いものは輸入しなければならないけれど、少なくともお店で仕立てた服の残り布やボタンのストックは急ぎで必要になるかもと、余裕をもって母さんは注文していた。


 だけども売れなければ在庫で、負債で、赤字で、貧乏になる原因だと、部屋の角に置かれた二つの樽が訴えてくる。


 この二つは、このお店の、小さな歴史だった。


 その一つには未だに鋼鉄のボタンが溢れてた。


 ……まだ俺が小さかったころ、母さんはこのボタンを沢山輸入した。


 何でも、本土の方では最先端の流行ファッションだったそうで、鉄を鋳造した四つ穴のボタンは、見た目よりも軽く、でも丈夫で、メダルやコインのように模様が刻まれていて、だから個々に個性があった。それらを自分で選んで身に着けるのがあちらでのトレンドだと、母さんは自慢げに言っていた。


 けども、全く売れなくて、今もこうして山盛り残ってた。


 考えれば当然で、そもそも本場から着てる観光客がわざわざこんなところで買う必要がなく、島の人からは重くて海に沈むと不評で、まったくと言うほどに売れなかった。


 在庫を抱え、経済的に困窮して、明日のご飯もどうしようかという生活、母さんは笑ってたけど、お腹は空いてて、だからあの日も、日が沈んだ後、人の目を盗んで、屋台裏のまだ食べられるのに捨てられた海産物を漁ってた。


 それを持ち帰って、母さんにも食べさせようと思って、だけど見せた途端に見せた母さんの表情に、しまったと思った。


 ゴミ漁りまでさせてしまったという罪悪感、母さんに抱かせてしまった罪悪感から、咄嗟についた嘘がもう一つの空の樽だ。


「これでボタンを作ろうよ」


 差し出したのは、この島で獲れる二枚貝の貝殻だった。


 つながってたのを引きちぎって一枚にし、その白くて滑らかな内側を表に、石で削って丸くして、太い針で穴を開けて、俺らの手で作ったボタン、最初のころは作りも雑で、研磨も十分じゃなくて、商品としては下の下、自分で作っておきながら売れるようなものじゃない。


 だけどそれが逆にこの島っぽいと人気となった。


 観光客は珍しいとお土産に、島の人たちも地元愛からか買っていって、このお店始まって以来のヒット商品となった。


 それで、作る腕も上がって、綺麗な丸に貝殻の光沢を表現できるようになって、それが評判になって、いつの間にか勝手に他のお店が真似して売るようになって、そしたら貝殻の値段が採算が取れないぐらいに高騰して、だったら他の島から貝殻を輸入する人が現れて、しかも独占販売になって、気が付いたら島を上げたブランド商品にされて、権利はどっかの誰かに奪い去られた。


 島の人たちと揉めたくなかった母さんは、貝殻のボタンを売るのを止めてしまって、だからもう一つの樽には、残り物のボタンが少しは残っていた。


 だけど、それを勿体ないと思わなくてもいいぐらい、ボタンで切り開いた信頼と実績で、普通に暮らせるぐらい店は繁盛するようになった。


 ……思い出、それから思い出すのは現実、母さんの死、いつの間にか滲む涙、頭の中は過去の幸せだった記憶に溢れて、まるで夢のようだった。


 目覚めたくない夢だった。


 ……だけど、そんな俺を目覚めさせたのは、廊下の外から臭ってくる臭いだった。


 汗と酒、それに混じる獣の臭い、クベス、入ってこないのは遠慮してるからなのか、それでも外に待つのは見張ってるからなのか、いるのがわかる。


 慌てて涙を拭う。


 クベスとは別に、内情を知らせている程度には近しいけれど、心情を吐露するほどには親しくはない。


 ぐっとこらえて、手を動かし、さっさと仕事を終わらせよう。


 そう思って手を動かし、部屋中ひっくり返してみたけれど特に何もなくて、クベスの期待に応えられそうなものは見つけられなかった。


 一番大事そうな最後の仕事の注文票、いくら探しても見つからなくて、そう言えばそれと照らし合わせて仕立てた服の最終確認をするものだと思い出す。だったら、きっと最後に仕立てたドレスと共に奪われてしまったんだろう。


 材料に使われた生地とか糸とかなら、仕入れたものと仕立てた服と残った在庫で照らし合わせればある程度は出せるけど、それはそれで時間のかかる作業だった。


 唯一、これはと思えたのは、一つのボタンだった。


 初めはさっきの貝殻のボタンかと思ったけど、触れて見ると軽くて、木製のようだった。色は同じような白色、綺麗な新品だけど、空いた四つの穴は不ぞろいで、完全な安物、高級路線のこのお店には似つかわしくないボタンではあった。


 ただ、それだけ、特別何か意味がある風には思えなかった。


 ただ落ちてるのを拾っただけかもしれないし、仕入れ業者から渡されたサンプル品かもしれない。あるいは普通のボタン付けを頼まれたのかもしれない。ともかく、殺される原因には思えなかった。


 と、ドアの外で音がした。


 足音、だけどこれは遠ざかる音、階段をドタバタと降りて行って、お店を通り抜け、外への扉を力任せに開けたまで音でわかった。


「おらぁ、今日も休みだ。あいつも風邪治ってっからもうお前らは用済みなんだよ。わーったらさっさと帰れや俺がかけんのはお上品なお茶じゃねぇぞ」


 慌てて下へと駆け下りた。


 ◇


 変わらず邪魔な位置に樽が置かれた店内に三人を通すと、双子は待ちきれないように喋り出した。


「お風邪、治ったんでしょ?」


「だったらお外でましょ? 引きこもってるより体にいいわよ」


「でも遊ぶのはまだ早いから「ピクニック!」」


 そろって笑う姿は、二人とも可愛いい。


 黄色のダーシャさんに緑色のマーシャさん、シャツの色以外はそっくりで、大きく厚手のズボンにサスペンダー、靴も丈夫そうなもの、農作業の服に見えた。けどこれも悪いものじゃない。


「せっかく水着を直してもらったのに」


「海はあれだから遊べなくて」


「でも着てきたわよ?」


「着てきたのよ。ほら」


 そう言って二人、シャツのボタンを上から三つ、あっという間に開けてはだけて見せてくれた。黄色と緑色の水着、胸の部分、わずかな膨らみ、その姿を、俺は必死に瞼に焼き付ける。


「だめですはしたない。閉じてください」


「「はーーい」」


 ワサビさんに咎められ、二人はさっさと閉じてしまう。


「だから島で遊ぶの」


「だから島を探検、お弁当持って」


「サンドイッチ、作ったの」


「一緒に食べよ食べよ?」


 燥ぐ姿は元気が溢れてた。


 対して、お付きのワサビさんは静かだった。


 変わらず執事の服、違いはその腕に大きなバスケットを下げてることぐらいだろうか。


「申し訳ありません。まだ本調子じゃないのでは、とはお話したのですが、どうしても聞きませんで」


 苦労した感じに小さくため息をつく。


「でも大丈夫そうでしょ?」


「だめでもお見舞いになるでしょ?」


「それを決めるのはお嬢様方ではありませんよ」


「あ、いえ、もう大丈夫ですから」


 応えながら、ちらりとクベスを見る。


 黙って時計を見上げるクベスは、俺のせいで足止めを喰らってる。ならば遊んでる暇はないと不満を爆発させるかと思ったが、何を考えてるか、大きく鼻の穴を広げて臭いを嗅いでいた。


「豚のハム、キュウリの酢漬け、バナナはブランデーで焼いてあんな」


 すらりと語るや尻尾を一振り、そしてにやりと笑った。


「俺の分はあるんだろうな?」


「ございますよ。それからこちらもどうぞ」


 ワサビさん、不思議とその口ぶりは待ってましたと言う感じだった。


 それで、差し出したのは、青色のガラスの小瓶だった。


「酒なら間に合ってっぞ」


 そんなことを言いながらしっかりと受け取ってる。


「いえ、消臭エーテルです」


「あ?」


「その名の通り臭いを消すエーテルです。長い航海でお風呂になかなか入れない船員さんには必須のものだそうで、譲っていただきました」


 それをを差し出したということは、暗に臭うと言ってるようなもの、それを真顔で垂れるあたり、ワサビさんもただものじゃないのかもしれない。


 そんな微妙な空気、だけども気にする風もなくクベスはビンを受け取り、歯でコルクな蓋を開けるや中の臭いを嗅ぐ。


「一本で約半年分だそうです。少量を香水のように手首につけて……」


 ワサビさんの説明が終わる前に、クベスは蓋を吐き捨て、そのまま中身を一気に飲み干した。


「……大丈夫ですか?」


 思わず訊いてしまった俺に、クベスはゲップで応えた。


 その息は、一応、臭くはなかった。


 ◇


 ピクニックとは晴れた日に少し遠くの広場なんかに出かけてお弁当を食べることらしかった。


 それで思いつく場所は一か所だけ、そこへと案内する。


 島の北側、町を抜け、まばらな林を抜けて、四人を引き連れて、向かった先は、畑を一望できる丘の上だった。


「「わぁ」」


 俺を追い越し真っ先に上った二人からいい感じの声を頂けた。


 ちょっと満足しながら追いつくと、たどり着いたのは平野、そこそこの広さに簡単な柵に丸太を倒しただけの椅子、端には捨てられた酒瓶がいくつか、それだけの空き地だった。


 そして一望できるのは広がる二色の畑だった。


 片方、西側は背の高い木々、間に黄色が見えるバナナ畑だ。


 もう片方、東側は背の低く大きな葉の草、煙草畑だ。


 それが真ん中の道でくっきりと、二色に分かれていた。


「なかなかの絶景、島民だからこそ知る穴場ですね」


「えぇ、まぁ」


 ワサビさんにあいまいに返事してしまう。


 ここは、始めは森から伐採した材木置き場で、その森が消えると狩猟小屋に、狩る対象の猿とかネズミとかが絶滅した後は、こうして畑仕事の休憩所となった。


 それが、バナナと煙草で割れて揉めてから、ここをどちらが使うかでも揉めに揉めて、結果どちらもつかなわなくなったのだ。


 だからか、ここはタブー扱いされていて、滅多に人が来ない場所でもあった。


 俺も久しぶりに来たけど、あのころと違って比率が煙草優勢になっていた。


「おい、あっちはなんだ?」


 クベスが指さしたのは煙草畑の向こう側、より西側だった。


 そこは、目に刺さるように赤い花畑となっていた。


「あれは……わかりません」


「あぁ?」


 不機嫌なクベスの声、出されてもわからないものはわからなかった。


 前に来た時はあんな花なんかなかったし、まとまって生えてるなら誰かが育ててるのだろう。育ててるなら売り物なのだろうが町でも見覚えがない。


 ならば染め物か、あるいは芋みたいに土の下に何か埋まってるのか、想像もつかなかった。


 と、クベスがガバリとその長い鼻を真上に向ける。


 そして鼻をひくつかせると、大股でワサビさんの元へと向かう。


「飯を出せ。いや今すぐ隠せ」


 何を言い出すのか、わからないでいると足音がした。


 それも沢山、今来た道から、思わず振り返り、目が合った。


「「あ!」」


 俺と声が重なったのは、学校のビャアンだった。


 そしてその周りには学校の連中が、島の知り合いが、顔見知り、そして俺がレシー先生を逮捕させ、学校をさぼりまくってると知っている連中が、ぞろりと揃っていた。


 気まずさに、また熱が出る思い、声も出ない。


「おう、元気そうじゃねぇかスターよぉ」


 その気まずさに緊張を加えたのは、凄みのある『番長』の一声だった。

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