エピローグ 白のドレスと赤のコート
ドレス、と呼ぶにはあまりにも飾り気のなく、ただ真っ白なだけの服だった。
足は白いシューズ、ゆったりとしたズボンの裾は細い紐で絞られ、その上にまたふんわりとした、本当にただ布を巻いただけのようなスカートを乗せている。
上半身には胸当てだけ、首と腰とでそれぞれ伸びる紐で後ろで縛り、肩から伸びた白い紐が肘から先の袖だけと止めている。
そしてそれに合わせて髪を縛るリボンも真っ白だった。
それだけではただダボっとした服、だけど動いたり風に吹かれたりして不意に肌に張り付き、その隠されていたシルエットを瞬間的に浮かび上がらせて、その曲線美を際立たせていた。
……癪だけど、この母さんが作ったんじゃないドレスは、これはこれで素敵だった。
「ドレスを着させて欲しい」
昔から、学校の女子から頼まれることがあった。
それを母さんに伝えると、一生に一度、一日限り、本人に限って特別な日にだけ、と言って貸してあげてた。
「いい宣伝になるし、気に入ったら将来買いに来てくれるかもしれないじゃない?」
母さんは笑ってそんなこと言ってたけど、サイズ合わせとか、時には型紙から作ったりとか、一切妥協せずに、だけど楽しそうに仕立てていた。
……だけど、流石にこれは母さんでも難しいと思う。
「やっぱり難しいか?」
番長に、これまで見せたことないような表情でそう尋ねられて、俺はできると頷いていた。
なんで頷いたかは後から思い出した。
あの赤船で助けられた手前、恩義があるし、それにドレスを着たいという女の子な番長を突き放すことは、母さんならしないだろうとの判断、だから引き受けた。
だけど、実際、難しかった。
番長、大人を超える背丈、真っ黒な肌、ここまではいい。
頰の十字傷、長くてボサボサな黒髪、太い眉毛、手を加えればいいだけだ。
問題は、筋肉だった。
足のように太い腕、それを二本束ねたほどの足、割れた腹筋、浮き出る血管、全体としてスタイル良く、整えられていて美しい体ではあるけれど、それは肉体美というより筋肉美だ。そしてカテゴリーは限りなく男性に近い。
にもかかわらず本人の望みは女性らしいドレス、これを機に女の子であることをみんなに見てもらいたいとのことで、だから男らしい服装は全部却下となった。
そうなると、まず着れる服がない。
私服でさえ男女問わずサイズが合わず、辛うじて着れたのがあの半袖短パンだったのに、真っ当な人用のドレスなど入るわけなかった。それでも探して見つけたのは太め体型の女性のもの、だけど当然フィットせず、ただダボっとした布を被っただけだった。
かといって新たに作るにしても、時間も生地も技術も足りず、そもそもこの筋肉に似合う女性らしいデザインなど想像もつかなかった。
人伝に聞いた筋肉女子用の衣装があると聞き、借りて見たら水着だった。ダメ元で訊いてみたらやっぱりダメで、水着はドレスじゃないし、肌の露出はイヤ、と乙女チックに断られてしまった。
八方ふさがり、途方にくれてた時に助けてくれたのは、ダーシャさんとマーシャさん、だった。
「「これなんてどう?」」
俺のところまでわざわざ足を運んで見せてくれたのが、あの白いドレスだった。
元は、踊り子の衣装らしい。
それも名前は忘れたけれど、手足を大きく伸ばして優雅に踊るものらしく、男性用だったけれどもその引き締まった体を優雅に美しく見せるものだと説明された。
それで実際に試着してもらったら、あれだけ悩んだのが嘘のようにぴったりで、サイズ直しなんかほとんどしなくて済んだ。
そうして今日、今、青い空の下、番長は晴れの舞台で風を受け、輝いていた。
あぁいう風な、動くことを前提とした、決まった形のないドレス、母さんからは教わってないデザイン、俺は知らないことが多いのだと、知らしめられた。
「……あれは何か? どこかの部族の戦いの装束か?」
ぼそりとクベスに言われて、さっきまで優雅だ綺麗だと思ってた俺なのに、もうそんな風にしか見えなかった。
「……今の、他の人の前では言わないでくださいね」
「言うかよ。俺はもうこの島出んだ。余計なトラブルはごめんだ」
「もう少しいたらいいじゃないですか。まだ傷も本調子じゃないんでしょ?」
「馬鹿言え、この二週間、ベットから出られないのをいいことにブレンダにしこたま食わされた。いくら味が良かろうがあの量は、ありゃ絶対俺を太らせて食おうとしてんだ」
「それだけ心配してたんですよ」
「それがアニェキの悪い癖だ。おせっかいで面倒見が良すぎる。お前の面倒も見るんだろ?」
「はいその、この島の学校卒業するまでお世話になることになりました」
「で、卒業したらあの双子のとこへってか?」
「それはまだ、言ってもらえてるだけですよ」
「はぁん。しっかし、あの二人、お前のこと女だと思ってるっぽいが、なんかやったのか?」
「やってないですよ。むしろ、やってないままずるずると来ちゃったと言うか」
「何で女だと勘違いできるかね。しょんべんの臭いで一発だろうが」
「わかんないですよ普通の人は」
「あ、そだ。あのワサビ結婚したの聞いたか?」
「は? 何で? いや、ゼグシィさん?」
「そうだ。なんか結婚して戸籍変わって、だけど賞金はそのまんまですって説明を受けましたよー書類にサインしたからそうなんだろ。つーかあのワサビはどの面下げてまだ生きてんだ?」
「反省はしてるみたいですよ。首輪に鎖も繋いでますし、それでもハッピーエンドに向かってるとは聞いてましたが、そうですか」
驚いているとファンファーレが鳴った。
見れば舞台上、番長が勲章を授与してのクライマックスだった。
「……良いんですか、あれで?」
「何がだ?」
「全部ですよ。赤船襲撃はモルタルネズミ団残党ボスの仕業、そのボスの獣人とジグルベル船長は激戦の末に相打ち、ボスは死に、船長は海に消えて行方不明に、そして最も活躍したのが番長で、この勲章をもって万事解決、真相は闇の中」
「それにこの事件を皮切りに来年からは恨みで石投げんのやめて死者を称える祭りにすんだろ? 憎しみの連鎖から解き放たれて亡き人を悼む美しい光景じゃないか。そこに口出すのは野暮ってもんだ。全部皮肉だからな」
「わかってますよ」
「構うもんか。俺は復讐を果たした。それで十分、これで次の復讐に行ける」
「次?」
「あぁ、アニキの復讐の後は俺の復讐だ。ブレンダに俺の過去を聞いたんだろ? 今度は国相手だが、やってやるさ」
「あんまり無茶しないでくださいよ」
「なぁに、やり方は覚えた。今度は効率的にやるさ」
「だったら、いいですけど」
「……髪、切ったんだな」
「あ、えぇこれ、切るしかなかったんですよ。あの、臭いが染みついちゃって」
「まぁあれはなぁ、俺でもきつい」
「そうですよ。それをダイレクトに受けたドレスももう、母さんの形見なのに臭い落ちなくって。脱臭エーテル漬けてたら臭いより先に色が抜けちゃって」
「そりゃ、悪かったな」
ぼそりと、クベスの一声、それは皮肉でも拗ねてるのでもなく、本当に悪いことをしたという風に、しょげている風に見えた。
「そんな、あの状況、最前かどうかは知りませんが、助けてもらったんですし、感謝こそしてもそんな責める気はないですよ」
そう答えて、だけどクベスに返事は無くて、だから続くのは沈黙だった。
もっと話していたい。もっと一緒にいたい。そう思っても、話題が出てこない。
じりじりとした、気まずい沈黙だけが続いた。
と、クベスの尾が跳ねた。
ぶぶぶぶぷうぷぷぷぷぷぷっぷうぷぷぶううううううううう!
「何でこんな時にぶっ放すんですか!」
「うるせぇ! 俺たちはんなとこで何なやってんだ! お空の下でお喋りとか女々しいんだよ! ツーかお前が用事あっからんな興味ないセレモニー見てんだろが! 何の用なんだよゴラ!」
忘れてた。
「これですよ」
臭いにせき込みながらずっと持ってた赤をクベスに渡す。
「んだよ」
不満げに受け取り、持ち上げて広げると、その目が一瞬にして輝いた。
……とにかく丈夫さだけを追求した。
表の生地はこの島で手に入る一番厚手で丈夫な船の帆のものを、裏の生地は逆に柔らかなシーツのものを使った。
デザインは可能な限りシンプルに、サイズはクベスの残した衣服から、加えて袖口は広くしてあの槍を隠しやすいように、背の下側の合わせの切りこみを深くして尾が飛び出るように、ボタンも大きなものを用いて片手で扱えるようにしてあった。
一枚布の方がずっと丈夫だから鋏も縫い合わせるのは最小限に務め、縫い糸は丈夫なテグスを、それを一番太い針で力任せに貫いて、一か所が切れても他に繋がらないよう一針事に縛って、小さな輪が連続するように縫い上げた。
更に内外のポケットや生地の合わせてある部分の角がほつれやすいので、焼け残った金属のボタンを縫い付けてそれても大丈夫なように補強した。それと襟は厚くて硬い方が掴まれにくいとブレンダさんに教わって、その通りに重ねて嵩増しした。
最後に、あの煙草畑の横の赤い花をかっぱらってきて、コート全体を染め上げた。どうせ麻薬、焼くぐらいなら染料に使えば、花の方も本望だろう。
……色合いとしては薄く、ムラがあるけれど、それでも目立つ赤に染め上げられた。
「お礼、ってわけじゃないですけど、良かったら着て行ってください」
俺の言葉に返事もせずクベスはコートに袖を通す。
サイズはぴったり、尾もちゃんと出て、曲がる腕、足踏みする足、捻る腰、どれにも対応して引っ掛かりもないようだった。
「良ーじゃねぇか」
クベス、ご満悦だった。
「これは、俺の最初の作品です」
俺の言葉にクベス、ピタリと止まる。
「全部一人でってか?」
「はい。あ、いえ正確にはボタン付けとかは、ダーシャさんとマーシャさんにも手伝ってもらいましたが、おおむね一人で、仕上げました」
「……その様子じゃ、賞金稼ぎには興味なさそうだな」
「……はい。俺は、母さんみたいな、母さんを超えるような、仕立て屋になりたいと思います」
「そうか」
これが、別れの言葉だと何となくわかった。
クベス、一度コートの襟を正すと置きっぱなしだったアタッシュケースを拾い上げた。
「それじゃあ、ありがたくこいつは貰っていくぜ」
「あんまり汚さないでください。染めが甘いんで洗うと色落ちしますから」
「あ? コートって洗うのか?」
「……汚れてると布の強度も落ちるんですよ?」
「破けたらまた直しにこの島に来てやるよ。それから逆になんかあったらあの情報屋に言え。そしたら俺に連絡ぐらいはできんだろ。ほら、あれだ」
こほん、クベスが喉を鳴らす。
「俺は、お前の、アニキだから」
……言った本人が恥ずかしかったのか、クベスはくるりと俺に背を向け歩き出す。
「達者でなスター」
背中越し、振り返りもしない一言だった。
「アニキも、お元気で」
俺も、その背中に一言を返した。
それからその赤が見えなくなるまで、一度も振り返らずに、その代わりに腕を振るように、その尾を盛大に降って、クベスは去っていった。
〈了〉
He looked like a droppings of dog.(意訳:ウンコ) 負け犬アベンジャー @myoumu
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