騒がしい夕と眠れない夜と慌ただしい朝
「いつでもまたおいで、美味しもんいつでもご馳走してやるよ」
そうブレンダさんには言ってもらえたけど、当分行く勇気は、俺にはなかった。
そんなこんなでやっとお店に帰ってこれたのは夜の一歩手前だった。
鍵を開け、中へと入る。
「ただいま」
いつものように挨拶して、だけど返事はなくて、お店に灯りはなく、人の気配もない。
いつもなら、まだお客さんがいたり、あるいはもう店じまいして、夕食の匂いがしたり、母さんが玄関で迎えてくれたりしてくれてた。
けど、もうそういうのはないんだ。
母さんは、死んでしまった。
思い、思って、愕然として、立ちすくむ。
あぁもう、一人なんだ。
「おら、さっさと中は入れや」
後ろでクベス、一瞬だけどいたことを忘れてた。
慌てて道を譲るとザクザクとクベスは中へと入る。
「おい茶!」
アタッシュケースを確認しながら、自由というか、まるで自分の家であるかのようにリラックスした態度で、クベスは言う。
「ないですよお茶なんて」
「あ?」
「この島でお茶とか高いんですよ。ほとんど観光客用で、コーヒーとかならまだ買えますけど、今ちょうど切らしてるんです」
「んだよ、じゃ自前の出すしかねぇのかよ」
ぐちぐち言いながらクベス、アタッシュケースに向かうと開いて、中から皮袋を取り出すと、俺へ投げ渡してきた。
「二人分な。湯ぐらい沸かせんだろ」
雑に言われ、自分でやれと言いかけて、勝手に台所弄られたくないと思い、結局俺がやることにした。
ヤカンに水瓶から水を汲んで、竃に乗せて、薪をひと束放り込み、背中を掻くのに丁度いいぐらいの長さの鉄の棒を引きずり出す。
断面が六角で表面に難しい文字が並んで、先端には赤い宝石がはめ込まれてある。
こいつは火付け用のアーティファクトだった。
握って、意識を集中させると、自分の魔力が流れていくのがわかる。その流れを意識して、力むように流れを強めて、宝石まで届いたら、一気に噴出させる。
ぽ、と小さな火が先端に灯った。
便利な道具だった。
コツがあるけど火打ち石もいらないから便利でもあるが、それは即ちすぐ燃やせるということで、学校なんかでは危なすぎるから持たせるなと散々言ってきた。
そのくせ料理の手伝いはやたらと推奨するあたり、危ないのではなくて、単純にこれが高価な物だから雑に扱って失くすな、ということなんだろう。
思いながら薪に押し付け、火を移しながら、ふとこれが武器にならないかと考える。
火の付いた棒、というだけでもかなり危険で、刃物よりもぐっと強そうだ。
けど、長さがナイフほどしかなくて、それで自分も焼ける恐れがあるのなら、辞めた方が良いだろう。
思って魔力を切ってアーティファクトの火を消し、竃の前から立ち上がり、カップの準備、俺は母さんのを使って、クベスには俺のをと考える。
そうしてる間に湯が沸いて、鍋掴みで掴んでポットに、クベスから渡された中身を一つかみ、緑色の茶葉、変わった香り、だけどいい香りだった。
まとめてお盆にのせてお店の方に、こっちは飲食禁止だったのも思い出したけど、今更だった。
ポットから緑色に煮だされたお茶をカップに入れてクベスに差し出すと例もいわずに受け取り、ずずずと飲んだ。
「で、明日だ」
俺が座る前にクベス、始める。
「つってもお前も訊いてた通りだ。リスト貰って、バイトして、調査して、情報屋せっついて、まぁ島中駆けずり回るわけだな」
聞きながら、今更ちょっと迷ってからクベスのお茶を啜って見る。
……鼻から抜けるいい香り、若干の渋み、クベスのくせに、美味しいお茶だった。
「そいつが当分続く。店は閉めとけ。やってる暇ねぇぞ」
「いやあの、俺、仕事、あるんです。水着の」
「来たいって言ったのはお前だろ? サボれサボれ」
そう言ってクベスは、熱いはずの茶を一気に飲み干した。
……そうは言われても、お客様には関係ない話で、こちらの勝手で面倒かけるのは、人として問題だろう。
なら、今日、徹夜で仕上げるしかない、かな。
考えながら飲んでる俺の横、お店のカウンターにクベスはカップを置くと、一瞬考えてから、俺を見た。
「おい、ここでしちまっても文句ねぇよな」
何のことか一瞬考えて、その手がズボンに伸びてるのを見て、お茶を吹きながら慌てて家のトイレまで連れてった。
◇
…………ふがぁ!
飛び起きる。寝てた。
窓から朝日、見回して一瞬ここがどこか迷う。
……そうだ、ここは二階の作業場、足踏みミシンと作業机を直角に並べた角、背もたれのない椅子の上、いつもなら母さんが座ってた席だ。
普段は見てる方だから、座って見る風景は新鮮だった。
それで、机の上、俺の仕上げを改めて確認する。
水着、何とか納得のいくものにできた。
苦労した。
……初めこそドキドキしてたけど、やってみたら順調だった。
ゴムを包む布の縫い目をほどいて、中のゴムを取り出すと案の定伸びてて、それ取り換えるだけで済みそうだった。縫い目もそんなに難しくなく、糸も同じ緑色で同じ太さのものがあった。
苦労したのは、ゴムだった。
長さは切りそろえられる。けど、代わりになるゴムは太すぎて、元のゴムと並べて見れば倍は違っていた。これでは付けた時の違和感だけじゃなく、見た目にもアンバランスになるだろう。
だったらナイフで削ってみたけど、そしたら今度は強度が持たずに引っ張るとブチリと切れた。
ならばどうするか、母さんがいつもどうしてたか思い出して、急いで左肩も解いた。
左右のバランスを貯め蔦め、片方しかないものを取り除き、両方にできる物に変える。母さんが教えてくれたテクニックだ。
ただ、その上で母さんは左右を縫う時、針を持つ手を変えていた。右側なら右手で、左側なら左手で、そうすることで縫い目や結び目も左右対称になるのだそうだ。
細かな、お客様も言われなければ気が付かない拘り、それが母さんの仕事で、このお店の仕事だった。
だったら、やるしかなかった。
それで、最後に覚えてるのは朝日に空が白んだころ、右手の方はあっさり終わって、左手の方、練習はしてきたつもりだったけどやっぱり手こずって、それでも何とかなった。
……途中で、双子なんだからお揃いの水着で、並んだら違いが分かってしまうな、と気が付いたけど、まぁ、できた。
それで一休み、のつもりが寝てしまってたようだ。
夢だったんじゃないかとの不安から急いで確認して、だけど完成は夢じゃなくて、改めて満足して、伸びをして、立ち上がる。
トイレ。
部屋を出て階段へ、見下ろして漏らしかけた。
一階と二階の中間あたり、見覚えのない塊がそこにあった。
息を飲み、足音を消し、意を決して、一歩、降りて見る。
……クベスだった。
作業があるからとクベスを残して二階に上がった後のこと、すっかり忘れていた。ベットはどこかと聞かれたら俺のをと言うつもりだったけど、そんなこともなく、こんなところに寝てた。
まぁ、寝かせておこうと思い、寝てる隣にわずかに開いてる隙間を踏んで横を降りた。
トイレに入って、すっきりして、汲んであった水で流して、手を洗って、出る。
「うぉ!」
声が出た。びっくりした。クベスがいた。
音もなく、ドアのすぐ前に立ちそびえる姿に、正直出したばかりじゃなかったら漏らしてた。
そんなクベスは首をコキりと鳴らすと、俺を見下ろす。
「支度しろ。出るぞ」
いきなり言われた。
「その前に、俺も出す。どけ」
何も言い返せないで、トイレを譲ると、クベスはさっさと入っていった。
そして中で、思いっきり息を吸い込むと、ドアも閉めずに出し始めた。
「お前のしょんべん男みたいな臭いすんのな!」
……長くてきつい朝の始まりを予感させた。
◇
『しばらくお休みをいただきます』
張り紙を書いてドアに針で止める。
それから時計のゼンマイを巻いて、昨日のカップとポットを洗って、さっと店内を箒で掃く。
昨日の夜の内にやるべきこと、軽くしてたらぐちゃぐちゃと噛む音が聞こえてきた。
見ればクベス、濡れた手でバナナを齧ってた。
トイレを出たら手を洗う、ということはできても、その手を拭くということはできないらしい。それとバナナ、台所に置いてあったやつ、食べていいと言った覚えはないけれど、食べていた。
一言言ってやりたい気分だけど、そうさせないぐらい、柔らかなバナナをかみつぶす動作にいら立ちが見て取れた。
「すみませんもう出れます」
慌てて箒をしまうと、クベスもなぜかポケットにバナナの皮をしまった。
「お前ん家のバナナ、甘くねぇのな」
ぼそりと呟かれるのは、観光客からよく聞かれることだった。
「あぁはい。この島のはそうなんです」
そうとしか言いようがなかった。
……正直、俺はこの島のバナナしか知らない。
だからこんなもので、パンやパスタの代わりになる主食で焼いたり揚げたりして、その気になれば生でも食べらるものだと認識してる。むしろ甘い方が想像がつかないけど、それは今言うことじゃなかった。
「まぁいい。とにかく出るぞ。お前の朝飯は、どっかで買うか」
勝手に言って返事も待たずにクベスは店を出て行く。
跡を追いかけようと、でもその前に戸締りして、火を確認して、ドアに鍵替えてたら、クベスのいら立ちは見るからに悪化していた。
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