お食事処
『レストラン・グリフォンダンス』という店は、名前だけは知っていた。
できたのは今から四年ぐらい前、俺が学校に入学した年で、町が観光用に発展したころにできたレストランだった。中心街から少し離れているけど、その分店舗は広くて、真っ白な外壁には汚れ一つなく、前の道すら別空間のようにきれいに整えられている。
島の役所や警察署よりも立派な建物、出される料理も高級で、比較的安いランチですら子供にもわかるぐらい高くて、特別な祝い事でもない限り行くような場所ではなかった。
そんな高級レストラン、当然入ったことはなかったし、母さんを困らせてまで入りたいとも思わなかった。
そこへ、躊躇なくクベスは入っていく。
「いらっしゃいませ。ようこそレストラン・グリフォンダンスへ……」
出迎えてくれた店員さんもきちんとした格好だ。
白いシャツ、黒のチョッキに蝶ネクタイ、腰には黒いエプロンに黒いズボンに黒の靴、全ての黒が同じ黒で、そこには染み一つ、皺一つとしてない。ここまできっちりとした着こなしは、マネキン以外で見たことがなかった。
短い金髪、尖った耳、彫りの深い顔立ち、エルフらしい店員さんは、引きつった笑みでクベスを出迎えていた。
その背後に広がるは別世界だった。
木目の床、白い壁、天井からぶら下がってるのはシャンデリアというやつだろう。テーブルには真っ白なクロスに、金色の蝋燭立て、黒い椅子はシンプルなのにシュッとしててかっこいい。
こういうのを『洗練された』と表現するのだろう。
……食事しているお客さんも、別世界の住民だ。シンプル、ラフ、だけどハイセンス、鞄もアクセサリーも最小限な身軽な格好なのに、姿一つ一つが綺麗だった。
姿は外で見かける観光客と同じはず、だけどそれだけを集めて見比べて浮かび上がるものがあった。これが、母さんが言っていた『服に着られる』ではなく『服を着こなす』というやつなんだろう。
まさにまさに、住んでいる世界が違う世界へ、俺でさえ場違いなのに、大股で踏み入るクベスは、間違いなく侵入者だった。
「お、お客様。紹介状はお持ちですか?」
「あ?」
「申し訳ありませんが、当レストランでは初見のお客様はどなたか、来店歴のある他のお客様と同伴か、招待状をお持ちになられないとお料理を出せない規則になっておりまして」
初耳だった。
いや、そんな話はないはずだった。
もしそうならば、間違いなく島での陰口で伝え聞いてたはずだ。
ならなんで言われたのか?
答えは簡単、こんな格好のクベスを入れないためだろう。
ホテルと同じ、分不相応で最低な酷い格好、服装、言葉使い、このレストランの雰囲気には絶対合わない、だから入れない。
俺でもわかる答え、俺でも感じる場違い感、なのにクベスは一瞬間を置いてから、そっと左手を動かした。
見覚えがある動き、これが三度目、袖口よりジャベリンを打ち出す前の動作、それを、こんなところで見せやがる。
見て、感付いて、だからといって何もできなかった一瞬の後、声が響いた。
「おやまぁ! クベスじゃないか!」
大きなハスキーボイス、主は店の奥から現れた、オークだった。
ボタン四つで前をぴっちりと止めた白い服、袖にもボタンで肌の露出は最低限、まさしく料理人の服装だ。腰の赤いエプロンはむしろオシャレだろう。頭には白の帽子、右目には黒のアイパッチ、首にも赤いスカーフを撒いていた。
潰れた鼻、飛び出た牙、緑色の肌、醜いとされるオークだけど、その大きくて太い体に合わせた清潔感のある服装からか、醜とはかけ離れた良い雰囲気をまとっていた。
それは、顔に浮かべた愛嬌ある笑みも含まれてのことだろう。
「久しぶりです。あにぇきぃ」
「あんた、今あたしのことをアニキと言いかけたね?」
「まさか滅相もない」
無さよさげな会話、今まで見せたことのないクベスの砕けた態度、何よりも噂でしか聞いたことなかった『尻尾を振る』行為から、二人は旧知の間柄だとわかった。
「しかしクベスや、来るなら来るって前もって手紙の一つもよこしなさいな」
「いやぁ、出したんすけど、どうも一緒の船で来ちまったみたいでさ」
「あの、オーナシェフ」
困惑してる店員さんにオークのシェフは手を挙げ応える。
「こいつは良いんだ。あたしの昔の同僚、知り合いでね。紹介状がいるならあたしが出すさ。それでクベス、そちらは?」
「あ、あぁ、今俺が世話してるやつでさ。おい、自己紹介を」
振られて慌てて背筋を伸ばす。
「スターリング・ミストラル、スターです。よろしくお願いします」
急いで一礼する。
「ブレンダよ。よろしく」
ブレンダ、女性の名前、危なかった。オークの性別がわからりにくいとはいえ、間違えたら、俺がクベスに抱いてるのと同じぐらいに、印象最悪だったろう。
「今言った通りこいつの元同僚、実際は先輩だね。まぁ、上も下もない職場だったけどね」
カジュアルに語りながら差し出された大きな手、握手を求められてると思い、掴むと、掴み返される。ブレンダさんの手は、思いのほか柔らかく、温かかった。
「それでクベス、せっかく来たんだ、食べてくんだろ?」
「実はそれが半分目的でした」
「だと思ったよ。ごちそうしてやるから何でもいいな」
「だったら、いつものアレ、お願いします」
「アレ? あんたも好きだね、まったく。わかった。待ってなすぐ作ってやるよ」
言ってブレンダさんが目くばせすると、エルフの店員さんが一礼した。
「お席へご案内します」
◇
案内されたのはよりにもよって店の真ん中、シャンデリアの真下、一番目立つ席、多分一番いい席だった。
高級な空間に私とクベス、明らかに浮いていて、目立っていて、異物感があった。入店時のあれこれにブレンダさんとの対面、それだけならまだしも、クベスは座ってからも最低だった。大股で椅子に座ってせわしなく鼻をひくつかせ、あちこちの匂いを嗅いで回る。ここでなくても行儀が悪い。
最低なクベス、だけども周囲から見れば、俺もその一部だと、嫌でも感じてしまう。
何せ座る俺も、クベスよりましなだけで、ちゃんとした服装じゃあなかった。
……恥ずかしい。
ここまできて沸き上がる羞恥心に鼓動が早まり、顔が火照る。
こんな場所で、こんな格好で、知り合いの店だからって、食事しようとするクベスの神経が信じられなかった。
しかも最低は重なり、俺は、ちゃんとしたテーブルマナーを知らなかった。
普通の食事は綺麗にできる。それなら自信はある。けど、こんな、高級料理で何が出てくるかもわからないのに、どう食べるのか、分かりっこない。
当然、クベスには期待できない。
なのでチラリと、隣のテーブルを観察する。
皿の上に乗っているのは、一口サイズの魚の切り身だった。何か緑色のソースがかかっていて、それをナイフとフォークで小さく切って口に運んでいる。
まどろっこしい、とか、量が足りない、とか考えないのだろう。ここはそういう店なのだ。
「お待たせいたしました」
唐突に表れた店員さん、そして静かに、目の前に料理が置かれた。
……それは、パエリアだった。
輸入するしかないお米を、同じく輸入するしかないオリーブオイルで炒めて、スープで炊いたもので、いい香りが漂ってくる。魚に烏賊に貝に、大きな具材がゴロゴロ、何種類も入っていた。香りつけのスパイスに、彩に散らしてあるのはパセリだろう。細かな気配り、手が込んでいた。
この島では珍しい料理、だけど俺には、おなじみの料理でもあった。
だって、これは母さんの得意料理だ。
なんでも、母さんの生まれ故郷ではよく食べられていて、そこでは具材は鶏肉なんかで、ここのとは違って簡単料理だったけど、それが先祖代々の直伝の味だと、教えてくれたんだ。
……あぁもう、最低だ。まさかこのタイミングで母さんを思い出すだなんて、想定してなかった。
なのに良い臭いが、思い出を叩き起こす。
料理の音、一緒の食事、食べた味、食べながらの会話、食べ終わった後のお手伝いとか、絵として音として、頭に浮かんでしまう。
そしてそれは二度と体験できないと、冷めた頭が理解していた。
……目が潤むのは、香りのせいじゃないだろう。
こんなところで泣きたくないけど、だけど、我慢は大変だった。
べちゃり。
聞きなれない音、俯いてた顔を上げると、クベスはもう食べ始めていた。
犬食い、だった。
文字通り、まんま、鳥が虫を啄むように、長い鼻をリゾットの皿の中へと突っ込んで、その皿を両手で抱え上げて、置いてあるスプーンを袖で擦りつつ、口の周りの灰色の毛を汚しながら、長い舌で米をすくい上げ、噛まずに飲み込み、一心不乱に喰らう、喰らう。
テーブルマナー以前に、人ですらない食べ方、ましてやこんなお店で、知り合いのお店で、注目されてる仲、クベスはやらかしやがった。
この珍事に、周囲からはついに嘲笑が聞こえ始めてきた。
沸き上がる羞恥心、引っ込む涙と思い出、転じてクベスへの怒り、合わせて顔が赤くなってくのがわかる。
だけどクベスは平然と食べ続ける。
他人などいないように、無我夢中で、マナーなどない獣の食事は、俺の頭と顔が熱くなるほどには長く、リゾットが冷めるよりは短い時間で終わった。
最後にベロりと皿を舐めまわすと、げぷ、とクベスはガスを吐き出した。皿は、まるで未使用のように綺麗で、貝殻すら残ってなかった。
「腕、上げたじゃねぇか」
ぼそりと呟いた感想に、誰かがプと噴き出した。
そちらを一睨みしながらクベスは立ち上がる。
「じゃあ、俺はちょっと奥で話してくるから、それまでに食っとけ」
言ってクベスは店の奥へと入っていった。
返せる言葉もなく、残された私は、嘲笑の中一人、別の意味で泣きたい衝動を我慢しながら、ここから早く立ち去りたい一心で、顔を真っ赤にしながら、必死にマナーを繕いながらリゾットを食べ続ける。
……味なんかわかるわけなかった。
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