EP41 絶体絶命
「フィラ様、とても怯えていらっしゃいますね。でも大丈夫……、すぐに何も感じなくなりますから」
ノエルの優しい声が背後に近づいてくる。フィラは彼女を振り返り息を飲んでドアに背中を押しつけた。
「ノエル……ノエル……!どうしてしまったの!?」
彼女はフィラの専属侍女の一人で、エリッサと共に毎日フィラの一番近くにいてくれる陽だまりのように優しい笑顔と心の持ち主だ。
それなのに今、目の前に立つノエルの桃色の瞳は寒気を感じるほどの冷たい光を放っていた。
姿はノエルなのに、まるで雰囲気が違うことにフィラは恐怖を感じた。
今、ノエルから感じる『それ』は。
ーーーー殺意……!
後ろ手にドアノブを下げるがやはりドアは微動だにしない。
ナギを抱きしめる腕に力がこもった。ナギはフィラの耳元で囁いた。
「フィラ!僕が囮になるからその隙に窓を割って逃げて!」
フィラは驚いて小声で反論した。
「そんなことできるわけないじゃない!ナギを置いて行くなんてできない」
(……でも、窓。たしかに窓を割ることができたら何とかなるかもしれない……!)
ノエルは「ウフフ」と笑ってフィラの顔を見つめた。
「コソコソ話してますけど、なにか企んでいます?」
「…………」
フィラの額から汗が流れた。ノエルはフィラの真正面に立っている。窓はその奥だ。
ーーどうやって隙をつけば良いのか。
その時。
「あっ!」
ナギが突然フィラの腕から無理矢理すり抜けて激しい威嚇の声を上げながらノエルの顔めがけて飛びかかっていった。
「ナギッ!」
「っ!」
ナギは爪を立ててノエルの顔に覆いかぶさった。フーッ!!と唸り、背中や尻尾を膨らませて渾身の力で攻撃する。
「……っこの!」
振り払おうとノエルがナギの体を掴むがナギは必死にしがみついて離れない。
「ナギ……!!」
フィラは意を決して一目散に窓に向かった。ナギが時間を稼いでくれている間に窓からの脱出経路を確保しなくては!
窓を押してみたがやはり開かない。フィラは近くにあった椅子に手をかけた。
「だったら!!」
フィラは椅子を思いきり振り上げて窓に叩きつけた。ピシッ!と窓に亀裂が入る。
「もう一回!!」
もう一度椅子を窓に叩きつける。
ピシッピシシッ!
先ほどより亀裂が大きくなったがまだ割れそうにない。
もう一度!
「……っクソ!この猫め!!」
ノエルの毒々しい声にフィラはハッと振り返った。
「!!ナギ!!」
ナギはノエルに体を掴まれてぶら下げられるように捕らえられていた。必死に手足をジタバタ動かして抵抗している。ノエルはナギの爪で傷つけられた顔に触れて眉をひそめた。
「あーあ、痛い。傷だらけになっちゃった。子猫だと思って油断してたな」
ナギは必死にもがいている。
ノエルはニヤリと笑ってフィラに視線を投げた。
「そこから逃げるつもりなんだ?ーーでも残念。その窓も開かなかっただろう?」
ノエルの口調が変わった。この人間はノエルではないとフィラは確信した。
フィラの顔は怒りに歪む。ノエルの偽物に対する恐怖よりも、ナギを乱暴に掴むその仕草に怒りがこみあげる。
「ナギを今すぐ離して!!」
フィラはノエルに掴みかかった。
しかしノエルが涼しい顔のまま片手でフィラの腕を捻り上げた。
「うっ……!痛……っい!」
ノエルはフィラを床にひれ伏せさせながら、ナギを顔の前に持ち上げて口元を緩めた。
「そんなにこの猫が大事ならさぁ……こいつの内臓引きづり出してみようか……?お前がどんな顔をするのか興味が出てきた」
「!?馬鹿なことを言わないで!!」
痛みで息を乱しながらフィラが叫んだ。
フィラを見下ろすノエルの目が冷たく光った。
「ーー馬鹿なこと?俺が冗談なんて言わないことを、お前はよく知っているだろう」
「ーーーー!?何を言って……っ!!」
「証明してやろう」
高く掲げたノエルの右手に鋭い短刀が現れて、ナギの腹めがけて振り下ろされた。
「っ!」
フィラは咄嗟に身をねじりナギとノエルの間に体をねじ込ませた。間近からノエルを睨みあげる。
ノエルはフィラを見つめて楽しそうに瞳を細めた。
「貴重な血をそんなに流したらもったいないじゃないか」
「…………」
「フィラ!?」
勢いで床に落とされたナギが悲痛な声で叫んだ。絨毯にはポタポタと鮮血が流れ落ち、少しずつ広がっていく。
フィラの右肩にはノエルの短刀が深く突き刺さっていた。
ズブッとノエルが刃をフィラの肩から抜く。
「……っ」
肩が熱い。ドクンドクンと傷口から脈打つ。けれど、フィラはそんなことどうでも良かった。痛みより怒りのほうが遥かに勝るのだから。
「ナギ、逃げて」
フィラはノエルから目を逸らさずナギに告げた。
許せない。
しかし、自分にはこのノエルの偽物に攻撃できるほどの力はない。
(悔しいけど、助かる道はない。でもナギだけは何が何でも助けるんだ……!)
フィラは少しずつ後ずさった。
鏡台の引き出しに護身用のナイフがある。
(ノエルの体は本物なのだろうか。もしそうなら殺すわけにはいかない……。少しの間でも動きを止められたらそれでいい!)
その間に窓を割ってナギだけでも逃す。
それしか方法はない……!
フィラが一歩後ずさるたびにノエルが一歩近づいてくる。
フィラは肩からの出血量が多くて目がかすんできた。しかし、ノエルを睨みつけたまま、一歩ずつ下がっていく。
トン、と鏡台に手が触れた。
フィラはそっと引き出しの取っ手に手をかけた。
「ーーあなたは誰なの……?さっき、まるで私があなたを知っているような口ぶりだったわね……」
息を乱しながらフィラがノエルに話しかける。引き出しをそっと開けてナイフを握った。ノエルはどうやら気づいていないようだ。艶やかな唇に指を当ててフィラを試すように笑う。
「ふぅん。気づかないんだ。まあ、そうかもしれないな。なにしろ俺たちは……」
ノエルが自嘲気味に笑って下を向いたその瞬間。
今だ……!!
フィラはナイフを固く握り締め、思いきりノエルに切りかかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます