EP17 悔しい



二人を乗せた龍神はカディルの屋敷に到着した。


龍が庭に舞い降りる。

強い風が起きて庭に植えられている木々の葉がざわめいた。


龍は地べたに座り込んで片方の肩を下げる。カディル達が降りやすいようにしてくれているようだ。

カディルは大きな龍神の首に掴まりながら地面に降り立つと、フィラに手を伸ばした。


「つかまってください」


「あ、ありがとうございます」


フィラはカディルの手に掴まりながら降りようとしたが、バランスを崩して「わっ、わっ」とよろめいた。

咄嗟にカディルはフィラを支える。

フィラはカディルの胸にすっかり抱きかかえられた形になってしまった。


「あ〜!すいません!カディル様っ」


フィラは赤くなって慌ててカディルから離れた。

カディルは照れくさそうに頭をかきながら

よそよそしく口を開いた。


「えーと、大丈夫ですか?」


カディルに尋ねられてフィラは頷いた。


「良かった。はぁ。では龍神を召還してあげましょうかね」


「あ!カディル様。ちょっと待ってください」


カディルが杖を持って龍神を召還させようとしたのでフィラは止めた。

まだ龍神にお礼を言ってない。


フィラは青い龍神の首を優しく撫でて頬ずりした。柔らかい毛が気持ちいい。


「龍神様、送ってくれてありがとうございます。おかげで助かりました」


龍神はグルグルと低い声で鳴いて応えているようだ。フィラの頰に顔をペタリとくっつけて気持ちよさそうに目を細めている。


「この龍はあなたのことが気に入ったようですねぇ」


カディルは優しく微笑んだ。


「さぁ、そろそろ帰してあげましょうね。フィラはこちらにいらっしゃい」


カディルが手招きするので、フィラは龍神に手を振って離れた。


「助かりましたよ。ご協力に感謝します。またお願いしますね」


カディルが龍神を撫でるとキュルキュルと鳴いて翼を広げた。


「さて、召還します」


カディルが杖を持って円を描くと宙に青白く光る大きな魔法陣が現れた。


思わずフィラは「すごい…」と呟いた。


「青龍召還。東の門よ、開きなさい」


カディルの杖の石が眩く発光し、魔法陣からまばゆい光がパァッと溢れだした。キラキラと光の粒子がダンスを踊っているようだ。


「あ…」


魔法陣の真ん中に龍神が羽ばたいて吸い込まれていく。龍神の姿が消えると魔法陣がさらに強く青白く光った。

そして徐々に光が弱まっていくと、まもなく跡形もなく消え去った、


カディルは杖を持ち直してフィラを振り返ると穏やかに笑った。


「終わりました。さあ、部屋に戻りましょうかねぇ」


「あれ?」


カディルは驚いて周囲を見渡した。

いつの間にか屋敷の使用人達がバルコニーに集まっている。

野次馬だろうか?賑やかに騒いでいる。


その中からカディルの執事のロランが侍女をかき分けて出てきた。


「あーロラン、ただいま」


のんびり挨拶するカディルだが、ロランのグレーの瞳は怒りに燃えている。


「ただいまじゃあない!帰りの馬車を開けたら無人だった時の衝撃がお前に分かるのか?どれだけ心配したと思っているんだ!」


「!?」


ロランの変貌ぶりにフィラはビックリして飛び上がりそうになった。

カディルの執事ロランはいつも静かで紳士的な男だったはずなのだが。

主人にタメ語を使い、さらにフィラの目の前でカディルのほっぺたをギュウギュウ引っ張っている。


「あ〜ごめんなひゃい…い、いひゃい」


カディルはロランの変貌に驚く様子もなくほっぺたを引っ張られて痛がっている。

フィラの頭は「???」でいっぱいだ。


カディルの馬車は神力で動く。

それ故に馬車を運転する御者は元々いないのだ。つまり、正真正銘の無人馬車が屋敷に到着したわけだ。

連絡くらいしておけば良かった…。

カディルはやっと離してもらった頰を撫でながら苦笑いした。


「すいません。色々事情がありまして…」


「ほお。その色々な事情をぜひ聞かせていただきましょうか。カディル様が龍神に乗ってご帰宅されたのも初めてですしねぇ」


無人馬車をよっぽど根に持っているのかロランは冷たい微笑を浮かべた。

カディルはさらに苦笑いした。

日ごろ感情を出さないタイプはこんなとき怖いのだ。


しかし冗談は抜きにしても。

カディルは苦笑いをやめて真面目な顔でロランを見つめた。


「ええ。ロラン、あなたにも聞いていただかなくてはいけません。協力をお願いしたいことがあるのです」


カディルの様子にロランの目つきが変わった。いつもは静かででしゃばるタイプではないが、必要な時にはとても頼りになる聡明な人間だ。

ことにカディルのことになるとやや過剰なほどに…。

ロランは落ち着きを取り戻した様子でカディルを促した。


「伺いましょう。さあ、まずはお部屋へ」


「ええ、ありがとう。フィラも一緒に来てくださいね」


フィラは遠慮がちにうなずいた。

ロランは集まっていた侍女達に持ち場に戻るよう注意しながら先に立って歩いて行く。カディルも歩き始めたが振り返ってフィラが隣に並ぶのを待った。それを見てフィラは小走りに寄ってカディルに並んだ。

カディルは微笑んで歩き出した。









「ーーでは、フィラ様は打開策が見つかるまでここから外に出ることができないというわけですね」


ロランが厳しい顔つきで口を開いた。


カディルの書斎で二人にお茶を出したあと詳しい事情を聞いたところだ。


「なるほど。それは由々しき事態ですね」


「分かってくれますか」


ロランが状況を理解してくれたことに安堵してカディルは息をついた。

フィラは申し訳ない様子で俯いている。

ロランはフィラを見つめてしばらく何かを考えている様子だったが、やがて顔をキリッと上げた。


「承知しました。私もやれることは最大限ご協力させていただきましょう。ーーまずやるべきことはお部屋の移動ですね。いざという時のために、フィラ様のお部屋をカディル様の隣に移しましょう。それからーー」


ロランは部屋の移動や室内の配置換え、さらに護衛の強化などを迅速に手配してくれた。あっという間に時は過ぎ、気づけば夜も更けていた。


今夜もよく星が見える。

辺りは静まり返り、夜の闇がひとときの安らぎを皆に与えてくれる。

カディルとフィラはバルコニーのベンチに座り星空を眺めていた。


「なんだか長い一日でしたねぇ」


ぼんやりとカディルが呟いた。


「ええ…本当に」


フィラも答えた。ふと思い出したようにフィラが微笑を浮かべた。


「ロランさんが怒ったときは驚きました」


「ああ」


カディルはロランにつねられたほっぺたに触れて笑った。


「彼とは長い付き合いですけど、つねられたのは久しぶりでしたねぇ。初めて見たら驚いちゃいますよね。ロランは執事というよりも、私にとっては兄のような存在なんです」


「そうなんですか」


カディルは優しく微笑んだ。


「ええ。私が青龍の使いとしてこの地に連れてこられてからずっとそばにいてくれていますからね。歳も近いですし、幼い頃はよく一緒に遊んだものですよ」


ああ、だからあんなにくだけた話し方をするんだ。とフィラは納得して、なんだかとても二人の関係が羨ましく思えた。

フィラは足をブラブラさせて遠慮がちに言った。


「なんだか羨ましいな。血の繋がりはなくても兄弟みたいな存在って」


カディルはその言葉について考えるように星空を見上げていたが、やがて「そうですね」と答えてフィラを見た。


「彼がいてくれたから、今私はここにいることができたのかもしれません。あの頃の私は泣き虫でしたからねぇ」


そう言って笑うカディルをフィラは微笑ましく思った。


「さぁ、そろそろ戻りましょうか?」


カディルがフィラを促したとき、フィラはずっと気になっていたことを口にした。


「……………あの」


フィラがカディルを思いつめた表情で見つめた。カディルも察して見つめ返す。


「ーーー私を槍で刺そうとした兵はどうなったんですか…?」


「……………彼は…」


カディルは俯いて手を固く握った。

彼は、リッカルド王子の剣でその場で処刑された。それをフィラには伝えていなかった。


「誰かに操られてあのようなことをしてしまったのです。許してやってくださいね…」


「それはもちろんです」


カディルは寂しそうに笑うと立ち上がった。


「とても気持ちの良い好青年でしたよ。…さあ、行きましょう。」


カディルはフィラを見下ろしている。フィラも立ち上がってカディルの後について歩いた。


とても気持ちの良い好青年でしたよ…


カディルの言葉が過去形だったことで全てを悟ったフィラは|俯き(うつむき)唇を噛んだ。


(今、誰に狙われているのさえ分からない…訳がわからない。でも、私さえここに来なければ彼は死なずに済んだんだ…!誰も私を迷惑がらずにいてくれるけど、いつまた私のせいで犠牲者を出すかも分からない…どこにいても私は…!)


フィラは立ち止まって夜空を見上げた。

こぶしを強く握りしめる。


(私は迷惑をかけてばかりの役立たずだ…!)


「くやしい…」


ぼそりとフィラは呟いた。

フィラが立ち止まっていることに気づいてカディルが声をかけた。


「フィラ?どうしました?」


「いえ、…なんでもありません」


フィラはカディルの元へ駆け寄った。

暗闇でカディルは気づかなかった。

悔しくて噛み切ってしまったフィラの唇が血で濡れていることを。

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