EP33 アイシャル編5
アイシャルが放った閃光はヴィクトーを完全に捕らえたかのように見えた。その身に食らえば跡形もなく消し飛ぶほどの威力だった。
しかし、アイシャルは衝撃で煙った先を厳しい目つきで見つめたままだ。
生き残っている黒魔道士と白魔道士はトップ同士の戦いに巻き込まれないようにその場から慌てて避難して、離れた場所から固唾を飲んでその戦いを見守った。
やがて立ち込めていた煙が空に吸い込まれるように晴れていくと、なんとそこにはヴィクトーが何事もなかったように立っている。アイシャルもさして驚いた様子はなかった。
「随分なご挨拶ですねえ。なにをそんなに怒っているんですか?」
「それすら分からねぇなら話す価値もねぇんだよ」
ヴィクトーはキョトンとして首を傾げた。
「もしかして人を殺したことですか?先程犠牲者がなんとかと言ってましたけど。ちょっとよく考えてください。この国には40億人もいるんですよ?なんの力もない虫ケラがいくら死んだって何の問題もないじゃないですか。価値もない者達がのうのうと暮らすためだけに四神に国を護らせるなんてこの国の王も馬鹿ですよねぇ。私ならもっとうまくーー」
ヴィクトーの言葉は遮られた。
目の前にいたはずのアイシャルが消えた瞬間、何かがヴィクトーの足元に落ちたのだ。視線を落とすと、そこには己の左腕が転がっている。
瞳を見開いたままヴィクトーは自分の左肩を見た。激しい血しぶきを上げている先に腕がない。
「あ……ああああ……あああああーー!!」
よろめき咄嗟に右手で傷口を押さえたヴィクトーはあまりの痛みにもんどり打って倒れた。
その様子を背中越しに振り返って見つめたアイシャルの瞳は無感情に凍てつき、血が滴る剣を振り払った。
呼吸を乱して地面に這いつくばったヴィクトーの形相には先程までの美しさは微塵もなく、怒りに打ち震えた憤怒の形相でアイシャルを見上げている。
「虫ケラの腕をもいだだけだぜ?」
「私を……! 虫ケラだと?ふざけるな……!私はーー!」
その刹那。
ヴィクトーは再び断末魔の悲鳴を上げた。
アイシャルの刀がヴィクトーの右腕を切り落としたからだ。
両腕を失ってのたうちまわるヴィクトーの全身は激しい出血で血みどろだ。
戦いを見守っていた魔道士達は、あまりの光景に血の気が引いて微動打にしなかった。しかし黒魔道士の中には見切りをつけて逃げ出す者が一人、二人と増え続けて大多数の黒魔道士は消え失せた。
地面に転がったまま虫の息のヴィクトーにアイシャルは近づいた。
足元に転がるのは怪しく美しかった蝶。
巨大な魔力と美貌を持ってしまったことで自分は特別だと勘違いしてしまった愚かな蝶ーー
『特別な立場』ならあるだろう。
この巨大国家の王や四神を宿すディユはまさしくそれにあたるだろう。
しかし、特別だからこそ犠牲になる。
民のささやかな幸福を守るために、自分のささやかな幸福を捨ててきたのだろう。
「ーーお前には永久に分からないだろうな」
ヴィクトーは苦しそうな呼吸を繰り返しながら、アイシャルを呪うような瞳で見つめ返していた。無機質にそのまなざしを受け止めて、アイシャルは再び剣を振り上げた。どちらにしろもう長くはもたないだろうが絶命させる必要があった。
「ーーーー…」
剣を振り下ろす瞬間。
「…うっ…」
すぐ近くで呻き声が聞こえた。
傷を負って気を失っていた同胞が目覚めたようだ。条件反射で一瞬気をそらせてしまったアイシャルは、しまった…!と心で叫んだ。
「!」
ほんの一瞬の隙をついてヴィクトーが口から真っ黒な蛇を吐き出した。
蛇は不気味にうごめき、空気を斬るような速さでアイシャルの左腕に巻きついた。
「うっ! あああああっ!」
激しく締め上げられてアイシャルの指から剣が滑り落ちて地面に刺さった。
身体中に毒が回るような苦痛にアイシャルはうめいた。息が吸えない。
ヴィクトーは血走る目を見開いて満足げに口元を緩ませた。憎しみに満ちた声音でささやく。
「ククククク……その呪いは決して解けないぞ……」
そう言い残し、ヴィクトーの身体は霧のように消えていった。
「ああ……! うっ……ぐ……!!」
地面にうつ伏して苦しむアイシャルの元に遠くで見守っていた白魔道士たちが駆けつけた。
「ア、アイシャル殿……!!」
肩で息をするアイシャルに異変が起きたのはその時だ。周りの者は「あ……ああ……!」とどよめき、後ずさる。
苦しそうにうめくアイシャルの身体はみるみる小さくなり、紫の滑らかな髪がスルスルと伸びた。
身につけていた服がブカブカになって手足がすっかり隠れてしまった。
「……アイシャル殿っ………」
そこにいた全ての者が目を疑った。
やっと苦痛がとけてアイシャルはうっすらと目を開けた。
「………?」
何かがおかしい。顔を上げて周りを見回した。同胞達は真っ青な顔でうろたえている。
「何があったーー…!?」
声が。
聞いたこともない少女の声が自分の喉から出た。ハッとして全身を見回した。
これはーー……!!
ヴィクトーの呪いーー!?
思い出して咄嗟に左の袖をたくし上げて腕を突き出した。
細い腕に黒い蛇のアザが手首から二の腕まで巻きついている。
『この呪いは決して解けないぞ』
「……畜生が!!」
アイシャルは拳を地面に何度も叩きつけた。
こうしてヴィクトー率いる黒魔道士の国家侵略は幕を閉じた。
ヴィクトーにとどめをさしていないことが気がかりだったが、あれだけの深手を負ったのだ。どこかで絶命したのだろうとカビーア王は結論を出した。
アイシャルはヴィクトーの呪いによって十二歳ほどに見える少女に変わってしまった。
書物を読み漁り、数え切れないほどの解呪を試みたが無駄足に終わった。
しかし唯一の救いは、アイシャルの魔力に変化がなかったことである。
いつしか「アイシャル」を「アイシャ」と女の子らしく呼ぶ人々が増え、最初は抵抗していた彼(彼女)も諦めて受け入れていったのだ。
男気に溢れたアイシャルが少女として生きることは簡単ではなかったはずだ。
弱音を吐く姿を見た者はいなかったけれど……どれだけの葛藤に苦しんでいたのだろうか。
それは誰も知らない、彼の心の内である。
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