EP2 天使の目覚め



心地良いそよ風が開いた窓から室内に入りこみ、調べ物をしているカディルの碧い髪を優しく揺らしていた。


今日は休日だ。


王宮の図書館から借り出してきた数冊の本をカディルは先程から自室で読んでいる。

ペラ……、ペラ……とページをめくる音だけが広い部屋の中で小さく響いていた。

カディルが開いている本は「天界」とタイトルがついた物もある。


王子に謁見したのは昨日。

状況は未だに変わらず、王宮の医師も訪れて我が家の医師と協力して眠り続ける少女の治療を続けているのだった。


カディルにはある予感がしていた。

あの娘が天空から堕ちてきたのは偶然による事故ではなく、なにか人為的な要因があるのではないだろうかと。


そもそも、翼を有する時点で天界人だと思い込んでいたのだが、アレクスが言うように天界人とは違う有翼人種なのかもしれない…。と、なると今読んでいる本は何の手がかりにも繋がらないことになるのだが…。


本をひと通り読み終えてパタンと閉じるとカディルは椅子の背もたれに寄りかかり天井を仰いだ。

目を休ませるように手のひらを両目に乗せてため息をつく。


(娘さんは目を覚ましませんし、手がかりになるようなものは何も見つかりませんし、八方塞がりとは正にこのことですね……)


その時。


コンコンコン!



強く部屋の扉をノックされてカディルは慌てて身を起こした。


「は、はい?」


「カディル様、失礼致します」


すぐに扉が開かれた。

ロランが足早にカディルの机まで来ると一礼した。


「カディル様。あの方がお目覚めになりました。すぐにお越しください」


「!」


跳ね上がるように立ち上がったカディルは「いよいよですね」と早口に呟いて一瞬躊躇したが、意を決したように彼女の部屋へと急いだ。








目を覚ました少女はベッドに横たわったまま、目を見開いていた。

初めて見る彼女の瞳はルビーのように透き通る美しい赤色だった。

脈をとる医師に右腕を伸ばされたまま天井を見つめている。

その顔は緊張でこわ張り、不安が溢れていた。


「ーーーー……」


カディルは言葉を探していた。

そもそも言葉が通じるとは限らない。

彼女の強張った表情を見ていると、カディルは気の毒に思えた。


知らない場所。知らない人間達。そして身体中を襲う傷の痛みーー。


「……お加減はいかがですか?」


カディルはそっと少女の傍に立ち、静かに声をかけてみた。


「ーー……」


少女は瞳だけカディルに向けてただ見つめている。彼女の瞳は大きく可愛らしい。でもどこか大人びている。

やはり言葉が通じていないのかもしれない。


そうカディルが思った時。


「……こ……ここは……どこですか?」


彼女はか細い声を絞り出すように囁いた。

カディルは言葉が通じることに安堵のため息をついた。


「ここはリオティア国です。私は、カディルといいます。……安心してください。ここにはあなたを傷つけるものはありませんからね」


「リオ……ティア……?」


聞いたことがないのだろう。

彼女の赤い瞳はさらに揺れた。


「もしよろしければ、あなたのお名前をお聞かせいただけますか?」


カディルは彼女を安心させるようにゆっくりと静かな声で尋ねた。

彼女は長い眠りから目覚めたらばかりなのだから、あれもこれもと矢継ぎ早に質問しては警戒心を煽ることになるだろうとカディルは考えていた。


彼女はカディルをジッと見つめていたが、やがて口を開いた。


「名前はフィラ……です」


「フィラ。……あなたはどこから来たのですか?」


「それは……」


フィラは怯えていた。

答えても良いのか判断に迷っているような表情をしている。

敵か味方かも分からない相手を前にして身の危険を感じているようにも見える。


カディルは確信した。

彼女はリオティア国に危害を加えるために現れたのではないと。


「フィラ」


カディルは優しく彼女の名を呼んだ。


「大丈夫です。あなたを傷つける者はここには一人もいません。あなたを守るために、あなたのことを少し話していただきたいのです」


「ーーーー……」


カディルの言葉に声を詰まらせてフィラは今にも泣き出してしまいそうな顔をした。カディルは焦って「そんなつもりは……」と立ち上がった。


「……私は……天界におりました……」


「天界……」


やはり、彼女は天界人なのだ。

カディルは頭を巡らせた。

先ほど読んだ書物には、天界とこのリオティアが存在する時空は別物で、決して交わることはないと記されていた。本来居るはずのない天界人が、しかし、今ここにいる。


何かが起きている。

それも、大きな何かが。

嫌な予感がしてカディルはフィラの戸惑う瞳を真っ直ぐ見つめ返した。


「あなたはあの夜なぜーー」


カディルの言葉を遮るように扉をノックする音が響いた。

侍女が扉を開くと、従者の男が一礼してカディルに告げた。


「カディル様。王宮より馬車がお迎えにあがっております。リッカルド王子様から至急、ディユ様方にお呼出しがございました」


「王子が……?分かりました」


休日に王宮へ呼び出しを受けるのは珍しいことだ。馬車を寄こしてまで呼び出すほどの自体が起きたというのか。

カディルの胸はザワザワと不穏にざわめいた。形のさだまらない黒い影が心を占領するようだ。


しかしカディルはフィラを振り返り、優しく語りかけた。


「フィラ。お話の途中で申し訳ありませんが、急用が入ってしまいました。私が戻るまでゆっくりとお休みください」


カディルは彼女を安心させるようにニコリと笑う。


「私はこの屋敷の主人です。あなたのことは家の者達がしっかりとお世話しますから必要なことは遠慮なく言ってくださいね。大丈夫。みんか優しい者達ばかりですからね」


フィラは躊躇いがちに「ありがとうございます」と小さく答えた。


「では」と頭を下げるとカディルはフィラの部屋を後にした。

無意識に早足になる自分を抑えられず自室に戻ると急ぎ準備を済ませ、馬車に乗り込んだ。


いまこのリオティアに何が起きているというのか。


不安を抱きながらカディルは王宮へ向かった。


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