第26話 呼ばれて飛び出て

 白と青の、独特の装束を纏った永祢が月明かりの中に佇んでいた。


「き、君、なんでここに!?」

「仕事中」


「鎮守の森で!?」

「森?」


「また一ツ目が現れた。今度こそ死ぬぞ!」

「危なくない」


「だから一ツ目が!」

「ここ、森じゃない」


「へ?」

「ここ、御崎町」


「でも俺、居たんだ。さっきまで森に!」

「……勧請した」


「俺を?」

「そう」

 

 ふと我に返って周りを見回すと、確かに鎮守の森とは違う、見覚えの無い林の中だった。そして足元には既視感のある銀の陣が張られている。


「ダメだ、ダメだダメだ! 友達がヤバいんだよ!」

「……」

「お願いだ、俺を返してくれ!」

 

 永祢の細い肩を揺さぶって、無我夢中で叫んでいた。


「なんとかしてくれ、なんとか!」


 永祢を成されるがまま、身体と頭がガクンガクンと振れている。


「これじゃ、無理」

「あ、ごめん」

 

 慌てて契汰は永祢を離した。


「どこに、返す?」

「元の所へ!」

「陣に入って」

 

 契汰は言われた通りにした。永祢は古書を片手に陣の側へ膝をつき、真剣な表情で呪に力を込めていた。そんな彼女の姿を見ると、急いでいるとはいえ急に申し訳なくなった。


「ごめん、役に立てなくて」

「へいき」

「あっちが落ち着いたら、すぐ、帰ってくるから」

 

 永祢はにこりともしなかったが、目を伏せて返事をした。段々契汰を包む光が激しさを増し、契汰を包みこんだ。


「ありがと」


 永祢に向って契汰は目を閉じ、御辞儀をした。瞼の裏に光が満ちる。


(とにかく帰って、誠を助けないと)

 

 そう考えている内に光が収まった。契汰は目を開く。そこには鎮守の森独特の、容易に人が踏み込めない悠久の原生林が広がって……いなかった。細い木々の、林が続いている。


「あ、あれ?」

「……出来ない」

 

 転送されていたならば既にいないはずの永祢が、絞り出すように答えた。


「え?」

「霊力が……もう……」

 

 そう言うと、永祢はぼろ布のように身体のバランスを崩した。


「おいおいおいおいおい!」

 

 契汰は夢中で飛び出して永祢を抱きかかえた。意識はあるようだが、苦しいのか小さく呻いている。


「びょ、病院!」

 

 契汰は周りを見回したが、林が続くばかりで病院どころか住宅街すら見えなかった。救急車を呼ぼうとしたが、こんな森の中では勿論圏外だ。


「くそっ、どうしよう」


 焦りとパニックで頭がクラクラする。


 そんな契汰の足もとを、ふわりとした感触が通り過ぎた。


「大丈夫ですよ」

「えっ!」

 

 急にふわふわから、声が湧いてきた。契汰は驚いて飛び上がったため、危うく永祢を落としそうになる。


「危ないですよ」

 

 女性の声だが、どこを探しても姿が見えない。


「誰だ、どこにいる?」

「ここですよ、ここ」

 

 ふと視線を落とすと、すらりとした三毛猫が契汰の側にちょこんと座っていた。


「ね、猫!?」

「あら、猫がそこまで珍しいですか」


「しゃ、喋ってる」

「異能の家なら、喋る猫くらいご存知でしょう?」


「異能じゃないんですけど」

「あら、そうなんですか」


「それはともかく! 病気診られる人ですか!?」

「ふふふ。人じゃなくて、猫でいいのなら」

 

 三毛猫は笑いながら、永祢の身体に遠慮がちに鼻を近づけてクンクンと嗅いだ。


「成程、わかりました」

「原因は何だ!?」


「ただのオーバーワークですわ」

「オーバーワークって、働きすぎ?」


「ええ。自分の許容量以上の霊力を出力したのでしょう。ガス欠みたいなものです。しばらく安静にすれば、また活動出来ますよ」

「なんだ、良かった……」

 

 契汰は永祢を抱いたまま、膝をついてへたりこんだ。


「ただ式神を勧請して、送り返すだけで倒れるなんて。こんな方初めて見ました」

 

 三毛猫は契汰の側に伏せると、溜息をついた。


「お願いごとをする人、間違えちゃったのかしら」

「願いごと?」


「失くしたものを取り返してほしくて、この方に仕事を依頼したんですわ」

「この人探偵でもやってるのか?」


「道で彼女と目があったのです。見込みがると思い、頼りました」

「異能者とわかって?」

「勿論です」


(猫が頼む仕事ってなんだろう)


 そう思いながら、契汰は話を続けた。


「それなら山の上の学園に行くといい、沢山異能がいる」

「帝陵学園ですか」


「知ってるのか?」

「勿論です」


「じゃあなんで道端で勧誘を?」

「あそこにいるような異能者は、猫の話なんて聞いてくれません」


「いい人もいるよ、紹介する」

「それは人に対してでしょう。私など、最悪物の怪として狩られてしまいます」

 

 猫は不機嫌に爪で地面を掻いた。


「でもこの方は違った。対等な存在として、私を攻撃することなく話を聞いてくれた」

 

 哀しげにこうべを垂れて、永祢の指にふわふわした額を寄せた。


「こんなことになってしまうなら、もう頼れない。私はどうすればいいのか……」

 

 沈痛な面持ちの猫を見ていると、契汰はいたたまれなくなってきた。


「あの、ちなみに何を頼んだんだ?」

「あなたが代わりにやってくださるの?」


「ごめん、異能者じゃないんだ」

「でも力を感じます」


「霊力だけだよ。異能は、ゼロだ」

「まさか、本当ですか? よくここまで生き残られましたね」

「よく言われるよ」

 

 契汰は力なく笑った。猫は真剣な顔つきで契汰の匂いを嗅ぎだした。


「式神として、勧請されたのですね」

「まあ、そうだけど」


「ではこの方の霊力源として、機能なさるのでしょうね」

「え、今なんて?」

「いいですか。私は猫ですが、この手の知識は少しばかりあります」

 

 猫は背筋を伸ばして座り直した。


「式神は陰陽師が必要とする存在を呼び出すと、聞いたことがあります」

「彼女は俺を、必要とした?」


「『必要とする』とは、様々な意味合いがあると言いますが。でもこの場合は簡単」

「ええと……無茶を止める要員?」


「ふふ。この方に無いモノ、霊力。貴方に有るモノ、霊力」

「ちょっと待てよ、俺は異能ゼロって言われてたんだが?」


「異能とは、霊力を応用する力のことですわ。潜在的な力である霊力とは別です。要するに、貴方は『使いどころのない電池』のようなものですね」

「ってことは……、このには異能はあるんだな?」


「その通り。でも霊力が無い」

「要は欠点を補い合うってこと?」


「ええ」

「そんなことが可能なのか?」

「方法を一つか二つ、知っています。私の願いを聞いてくだされば、教えてもいいです」


 猫がウインクした。


「彼女が起きるのを待ちましょう、私の依頼を受けてくれますね」

「生憎そんな暇は無いんだ、すぐ帰らないと」


「帝陵にですか?」

「鎮守の森にだ」


「どうやって? 貴方のご主人様はこの様子ですよ」

「待ってられるか、歩いてでも帰る」


「道は知っていますか?」

「……知らない。でも位置さえわかれば」

「そう。ではついて来てください」

 

 大きく伸びをすると、猫はスタスタと歩きだした。契汰は慌てて永祢を抱え直すと、後ろに続く。林は鎮守の森に比べれば数段に歩きやすいが、地面を歩くとなると話は違う。

 暗闇で石や枝に躓きながら、帰ったらなんとしても飛腱を習得しようと契汰は決めた。いくらか歩いた後、猫がふっと立ち止まる。


「あれです、見えますか」

 

 猫の向く方向を覗くと、木々が開けた隙間から大きな山の影が見えた。頂上に、小さな明かりがぼんやりと光る。そしてそれは、契汰の居る場所からはあまりにも遠い。


「これでも、歩いて帰りますか?」

「マジかよ」


「気を落とすことはありません。彼女が起きればすぐ帰れる」

「嘘だろ」

 

 契汰は落胆で一気に身体の力が抜け、へたり込む。


「その間に、猫助けでもしていきませんか?」

 

 三毛猫は大きな瞳でお伺いを立てている。手持ち無沙汰になった契汰は腹を決めた。


「わかったよ、手伝う。でもこの娘が起きたら、すぐ送り返してもらう」

「私を助けてから、ですよ」


「ちゃっかりしてるな」

「うふふ。きっと私は役に立ちます。霊力のトランスポートが必要でしょう?」


「と、トランスポ……」

「貴方の霊力を彼女に移動するのです、そうすれば術も発動できるでしょう」


「君が手伝ってくれるんだな?」

「猫に二言はありません」

「交渉成立」

 

 契汰は猫に握手を求めた。猫は「変わった人間だな」と言わんばかりの顔だったが、悪い気はしないらしい。猫はニッコリと笑みを見せた。

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