第18話 神隠しの真実

契汰から視線をそらさず、桐生は続ける。


「古来より我が国は八百万の存在、視えざるモノ達と共存してきた。しかし時代は流れ、今や科学第一主義時代。でもだからといって、視えざるモノが存在を消す訳じゃない」

「人間が感じなくなったというだけだと?」

「そう。君が異常だったのではない、周りが異常になっただけ」

 

 契汰は、生徒会長がドラゴンの背で語った話を思い出していた。


「でも危険なやつは、あの森の中にしか出ないんでしょう?」

「少年。神隠しという言葉を知っているな」

 

 コーヒードリッパーに淹れられる細い湯の曲線を眺めながら、生徒会長が口を挟んだ。


「はい、急に人が姿を消す現象のことですよね……え、まさか」

 

 契汰は背筋がぞわりとした。


「もしかして神隠しって、物の怪の仕業?」

「御名答。跡形も無く喰われた事例だ」

「嘘でしょ」

 

 契汰は脱力して膝をついた。同行してきた人形が、心配そうに契汰の周りを飛び回る。


 しかし、ここである疑問が浮かんできた。


「でも俺は視えます。なのに、今まであいつみたいな化け物にはあった事がありません」

「本当に国中に化け物が溢れていたら、それこそ大変なことだ」

 

 生徒会長は難しそうに腕組みをした。

 桐生はドリッパーから滴り落ちるコーヒーの雫の数を数えている。


「天敵の姿も視えず、自らを守る術も知らず、おまけに魔術や祓えの道さえ、胡散臭いと鼻で笑う人間が多すぎる。物の怪からすればそんな連中はただの餌だ。あっという間に食い荒らされて、この国は物の怪のモノになるだろう」

「……でも、実際はそうなっていない。仮に犠牲が出ているとしても、そこまで大規模なものではない。ですよね?」

「そうだよ少年。それはなぜか、解るか」

 

 契汰は考えを巡らせた。人間、物の怪、この町に、学園の存在。


 桐生がドリップを終えて、コーヒーを生徒会長の前に差し出した。会長はその気性に似合わない可愛いカップを優雅に持ち、ブラックですする。


 契汰の中で、様々な情報の線が一本に繋がった。


「あの森は、危険な物の怪を隔離する場所なんですね」

「正解だ。他で悪さをしないよう、おびき出して捕まえておく罠だ」

 

 テーブルにコーヒーカップをカチャリと置いて、契汰を見上げた。


「そんなことできるんですか」

「それが出来るからこそ、この学園の存在意義があるのよ」

 

 桐生は二杯目を淹れながら言った。


「学園の使命は、あの森が内側からも外側からも破られないようにすることよ」

 

 何故この学園がこれほど優遇されていつのか、全て合点がいった。


 すると契汰の前に、薫り良い一杯のコーヒーが置かれる。


「あの、これ俺に?」

「当り前でしょ。来客にお茶も出さないと思った? とりあえず座りなさいよ」

 

 桐生は空いているソファを指差した。


「それに患者が立ちっぱなしの緊張しっぱなしじゃ、人形が治療出来ないわ」

 

 人形が治療道具を持ったまま、心配そうに契汰の足元をうろうろしていた。


「その人形、何か染みがついてるな。少年の血か?」

「ああ。ドラゴンの上で俺にくっついてたからかも」

 

 人形は三体とも、小さな赤い染みをつけていた。


「ごめん、汚しちゃったな」


 申し訳ない気持ちになりながら、契汰は指示されたソファに腰をおろした。


 育った親戚の家では高級な椅子もソファも沢山あったが、契汰は座らせてもらったことなど一度も無かった。コーヒーの心地よい香りのおかげで身体と神経の緊張が溶け、昨夜からの疲れがどっと押し寄せる。


「珍しい人形だな。空気を読む機能まで搭載したか」

 

 生徒会長が大きな口を開けて笑った。人形は契汰の様子を伺いつつ、横に寄ってきて治療道具を広げ始めた。「看」が契汰の上着を脱がせ、「医」が診察を始める。まるで本当の医者と看護師のようだった。もれなく舌の噛み傷までを診察し終わると、「看」が契汰のズボンを脱がせようとしてきた。これにはさすがの契汰も抵抗した。


「さすがにここで脱ぐのは、恥ずかしいかな」

「何を言っている少年。私と少年の仲ではないか」

「今日会ったばかりでしょ!」

 

 契汰は赤面して言い返した。生徒会長は相変わらずケタケタ笑っている。


「人形は患者の感情までは考慮しないわ。私たちは慣れてるから、安心して脱ぎなさい」

「そんな……」

 

 不安げな顔で人形を見た。人形には顔は無いが、契汰は目があったような気がした。しばらく見つめ合っていると、人形達がぺこりと頷く。契汰も思わず頷き返した。

 すると人形はひらりと舞いあがり、窓際に向うと小さな手で丁寧に部屋のカーテンを外し始めた。


「何をしているの!」

 

 桐生の声に人形は飛び上がった、ように見えた。

 人形は口を聞けないので、あたふたしながらも弁明はしなかった。困り果てたように頭をタランと下げたまま、取り外したカーテンを持って契汰の側に飛んできた。カーテンを持ち上げて契汰をすっぽり囲む。


「どうした?」

 

 契汰は人形の行動の意味が解らなかった。


「ははあ。人形どもは、少年の下半身が晒されるのが我慢ならないらしい」

 

 生徒会長はまた大笑いした。桐生は目を丸くしている。


「ああ、ありがとう」

 

 人形の好意のおかげで恥ずかしい思いをせず制服を脱ぐ。「医」が中に入ってきて下半身の傷を診察が済ませると、着替えの服を契汰に差し出した。


「それにしても面白い人形だ。とうとうこの世界にも人工知能の到来かな」

「まさか。新しい人形の呪でしょう」

 

 桐生はいらいらしていた。生徒会室に自分の知らない呪が入りこんだことが嫌らしい。契汰は着替えてカーテンの外に出ると、促されるまままたソファに座り込んだ。


 傍らで「薬師」が持参した漆塗りの薬筥をパカッと開く。契汰が覗きこむと、薬筥の上段にはとりどりの粉末や液体を入れたガラス瓶がぴっちりと詰められていた。

 それぞれの蓋には、漢字で難しい薬品名が書かれている。「葛根」「杏仁」など、契汰が知っている名前もあったが、大半は見たことも無い名前ばかりだ。幾つかの瓶を開けて、カチャカチャと作業にかかる。


「薬師」の仕事に見入っていると、「看」と「医」が、どこからか銀色の桶と水差しに透明な液体を入れて側にやってきた。契汰の傷を優しく桶に浸して、すすぎ始める。

 不思議なことに、全くひりひりしない。むしろ冷たさが心地よい。人形が差し出した服はところどころ切れ込みが入っており、脱がなくても全身を治療出来る便利なものだった。太ももや胴体も器用にテキパキと洗い流してゆく。契汰は人形の好きにさせておくことにした。


「薬師」はというと、取りだした道具を使っていくつかの生薬の重さを計っていた。乳鉢にそれぞれの薬を慎重に滑り込ませると、せっせせっせと混ぜ合わせていく。そして薬包紙にさじで薬を取り分けて、丁寧に包んだ。

契汰は人形の手際良い行動が面白くて、じっと見ていたかった。そんな視線に気がついたのか、「薬師」は恥ずかしそうにモジモジしながら薬の包みを契汰に差し出した。


「え、これ、俺に?」

 

 人形はコクンと頷く。


「でもこれコーヒーで飲んじゃ駄目だよな。水を貰って飲めばいいのか」


「薬師」は心配ご無用と言わんばかりに胸を叩くと、持ってきた皮鞄から小さな白磁の茶碗を取り出して契汰の前に据え、持参した瓢箪から綺麗な水を注ぎ入れた。


「準備がいいですね、人形って」

「大体そんなものよ」

 

 桐生たちは、どうも人形を機械か何かと捉えている節があった。こんなに一生懸命仕事をしているのに、なんだか可哀想だと契汰は感じた。

 契汰は薬の包みを開いてみた。いかにも苦そうな粉末薬がたっぷりと入っている。


「中々、強烈そう……」


 躊躇う契汰を人形が促すので、一気に薬を口に入れた。今まで経験したことが無い独特な香りと味が押し寄せ、思わずむせ込んでしまった。契汰は必死で薬を吐きだすまいと、水をガバッと放り込んでなんとか飲み下した。


「どうだ、ここの薬はひどい味だろう。凄い顔をしていたぞ」

「ゴホッ……いかにも漢方っぽい味ですね」


「毒ではないわ。たぶんね」

「はあ」

 

 薬の味を我慢していると、少しずつ身体がぽかぽかと温かくなってきた。心なしか身体の痛みもマシになるようだった。


 契汰の表情が和らいだのを確認すると、「薬師」は薬筥の中段の引き出しを開けた。


 中には様々に彩色された蛤が沢山入っている。その中から紫色の草模様が描かれた一つを選びとると、パカリと貝殻を開けた。中には紫色の膏薬が収められいる。

 傷の洗浄を済ませた人形たちも合流し、素早く傷に薬を塗り込んでいく。塗り終わると透明色の膜のようなもので傷口を覆い、その上から包帯を巻きつけて保護して治療は終了となった。

その頃には痛みはほとんど取れており、契汰は人形の治療力に驚いた。


「ありがとう。本当にすごいね、もう痛みが無いよ」

 

 人形は嬉しそうにクルクルと踊りまわった。契汰も嬉しかった。


「変わった人ね。人形にお礼を言うなんて、初めて見たわ」

「助けてもらったならお礼を言わないと」

「人形には感情はないわ。ところで、藤くん。貴方のコーヒーが待ちくたびれているわよ」

 

 桐生はそう言いながら自分用のカップを片手に持ち、生徒会長の横に腰掛けた。契汰はすっかり冷めてしまったコーヒーをブラックでそのまま飲んだ。


 深煎りの豆らしく、しっかりとしたコクと苦味が舌の上に広がる。しかし程良い酸味がアクセントとなって飽きさせない味だ。こんなコーヒーは生まれて初めてだった。あの家では、インスタントコーヒーを飲ませてもらえるのがやっとだったから。


 淹れたてであったなら、もっと美味しかっただろう。


 桐生は契汰の反応を満足そうに眺めながら砂糖壺を自分のカップの近くまで引き寄せると、夥しい量の砂糖を入れ始めた。あまりの量に契汰は目を丸くする。


「あ、あの、甘くないですか?」

「頭脳労働には良質な糖よ」


「太るぞ玲花!」

「誰のせいだと思ってるんですか。会長がもっとしっかりしてくだされば、砂糖も少なくて済むんです」

 

 淡々とカップの中に積もらせた砂糖の山をスプーンで溶かしこむと、桐生は優雅にすすり一息ついた。

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