第2話 夢と白銀の美少女

「くそっ! 全く歯が立たない!」


 少年は空中で身体をくねらせながら、バランスを失った体勢を立て直す。

 かなり上空に少年はいるらしい。

 満天の星のきらめきとほのかに見える町の明かりで、なんとか天地を悟ることが出来た。暗闇の中で冷静に目標を探す。


 するり。


 何か黒い塊が、手の中から滑り落ちた。

 見やろうとした瞬間。


「にゃああああああああん!!!!」  


 けたたましい叫び声が落下していく。


「こちらで処理するわ、任せて」


 知らない少女の声が暗闇に響く。

 すると声がした方角から、どさっ、と鈍い音がした。

 少年の身体は吸い寄せられるように、音のした場所へ落ちていく。


 美しい白銀の光の輪が、地表に浮かび上がっていた。

 その中に、少女はいた。


「ここよ」


 少年は減速せずに光の輪の中へ突っ込む。

 そして少女の側に、鈍い音を立てて着地した。

 かなりの勢いだったはずだが、不思議なことに、少年は全く痛みを感じない。


「相棒を落とさないで。ほら、ちゃんと持って」


 少女は腕の中に抱いた黒い塊を差し出す。

 それを素直に受け取る少年。 


 漆黒の美しい刀だ。

 しかし持ち手の感触は、なんだか妙に柔らかい。


「霊力的にも、次で最後。しっかり、仕留めて」


 静かで淡々とした声の主は、背が小さく、体つきも驚くほど華奢な少女であった。銀色の髪がすらりと揺れ、月光を受けて力強く煌めいている。少年が黙って見つめていると、少女の良く整った唇が、ほのかな笑みを浮かべた。


「信じて」


 その一言が、何にも揺らがない確信を少年の中に呼び起こした。

 迷うことなく少年は頷く。

 銀波揺らめく光の中で契汰は膝をつき、クラウチングスタートの姿勢で構えた。目を閉じて精神を集中させ、少女の動きを待つ。


「朱雀、玄武、白虎、勾陣、南斗、北斗、三台、玉女、青龍」


 瞼に閉ざされた暗闇の中に、少女の清廉な声が木霊する。


「我に力を授け給え。目前の穢れ、我清めんと欲す」


 閉じた瞼の裏に、白銀の光が映り始めた。

 その光は次第に量を増してゆく。


「我が式神を、今一度その大いなる力で包み給え」


 次第に、身体が熱を帯びてきた。

 心地良い暖かさではあるが、その熱は、すぐに少年の心臓と額を焦がし始める。


「づううぅっ」


 ひたすら、痛みに耐える少年。


「我が息は、神の御息。神の御息は、我が息。風よ、我が意思と重なりて、どこまでも吹き行け」


 ふぅっ。


 少女が小さく息を吹く音が聞こえた。

 次の瞬間、少年の身体に巨大な空気の塊が衝突した。

 まるで巨大な空気砲だ。

 クラウチングスタイルでなければ、その身体は空中分解していただろう。点火された宇宙ロケットのように、少年は大きく空中めがけ飛び出した。

 

 木の葉を勢いよく巻き上げながら、夜の空気を裂いて急上昇してゆく。

 鬱蒼とした森が真下に抜けていき、星空が彼を包む。


 少年は冷静に、刀を握る手に力を込め、黙したまま腕を大きく振り上げた。

 遥か彼方から、少女の声が飛び込んできた。


「トホカミエミタメ、祓え給え清め給え、急々如律令!」


 呼応するかのように刀が強烈な光を帯び、瞬く間に長身の美しい大剣へと姿を変えた。その刃は黒曜石のように鋭く硬く、研ぎ澄まされている。


「いっけぇぇええっ!」 


 少年はあらん限りの力を振り絞って全身のバネを使い、剣を目標目がけて振り投げた。大剣は一筋の光を鋭く描きだしながら物凄い勢いで闇を切り裂く。

 幾重もの衝撃波の輪を生みだしながら、剣は一直線に突き進んだ。


「にゃああぁぁ!」

「ぁぁぁぁああああっ!」


 ――最後の叫び声は少年のものだった。いや、正確にはこの少年ではない。

 声の主はベッドから跳ね起きる。自分の大声で目が覚めたのだ。


 誰もいない、段ボールが転がった部屋の中に、鳥がさえずる声が聞こえる。いかにも「冴えない」といった風貌の彼は、頭を掻きながら立ち上がり、狭い単身アパートのキッチンへと移動した。コップ一個を水切りかごから取り出す。他に入っているものといえば小鍋が一つだけの、殺風景なものだ。


 古びた蛇口から水を汲むと、勢いよく口をつけた。

 ゴク……ゴク……飲み干す音が、まだ荷物が片付いていない部屋の中に響く。顔を上げると、朝日が眩(まぶ)しく狭い窓から差し込んでいた。


「変な夢だったな」


 少年はそう呟きながら、朝支度を始める。

 頭の上で天然の癖毛が、ぴょこぴょこ無邪気に跳ねている。

 まだ着慣れていない制服に袖を通し、鞄の中身を確かめた。


「あれ、財布と生徒手帳どこやったっけ」


 昨日、どこかに置き忘れたらしい。

 少年は何も入っていない棚を見やる。財布と一緒に手帳は置いてあった。


(何も入ってないと寂しいから)


 という何とも言えない理由で、昨夜ここに置き場所を決めたのだ。


 改めて新しい生徒手帳を眺める。裏には、学生証が張り付いていた。


「……甲宮高等学校。藤 契汰」


 書いてあることをそのまま読んでみる。契汰の顔には自然と笑みが浮かんだ。

 もうこれからは、自分の人生を生きることが出来る。


 契汰の笑みはこの無常の喜びから湧きあがってくるものだった。

 思い返せば、契汰の今までの人生で、いいことなどほとんど無かった。


 契汰は今までの人生を清算するかのように、目を閉じた。

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