第32話 二人の心中、そして覚醒
ぐがごおごごおごおおがああががががああああ!!
少女が跡形も無くドロドロの黒い粘液と化し、契汰の腕の上をぬっとりと流れて行く。危険を察知した永祢が、素早く首にかけたペンダントをちぎり取って天に投げた。ペンダントは再び鏡となり、周囲を一気に銀色に照らす。
ぐげげげげげげげげげ!
光を浴びた穴は塩をかけられたナメクジのように、ぬらりぬらりと縮む。粘液がほとばしりでて、契汰はその中に溺れた。謎の液体は光を通さないのか、目の前が真っ暗になる。しかしそんな契汰のもとに、清廉な声が蜘蛛の糸のように降りてきた。
「……契汰、こっち!」
「ど、どっち!?」
「早く手を取って!」
およそ今までの永祢とは思えない、はっきりとした頼もしい声だ。美しく響く声は、天女のお告げのようでもあった。契汰は必死にもがく。粘液に遮られて視界が狭まっていく中で、永祢の白くほっそりとした指が目の端に映った。二人の指と指が触れようとしたその刹那、契汰の目に焼けるような痛みが走った。
「ああああああああああああ!」
「どうしたんや!」
「火、火が……目の中に!」
「この粘液か! あかん、契汰の目が潰れてまう!」
ねこまるが叫ぶ。しかし契汰は完全に視界を焼かれてしまった。もはや永祢の手どころか、自分の置かれている状況すら視認できない。
「もうダメだ。永祢、ねこまる。君たちだけでも逃げろ!」
「何言うてんねん、ここに置いていけるか! お前さんがおらな、この状態のワシは身動きが取られへんのや!」
「だったら俺がなんとかしてやる!」
ねこまるの声を頼りに、契汰は粘液と肉の中にズッと腕を差し入れた。手探りで中を掻き分けると、ベルトに刺さった硬い物体がコツンと手に当たる。契汰は力いっぱい物体を握りしめ、引き抜いた。
「うぉおおおおらぁああああ!」
そしてそのまま、永祢の声がする方向に思いっきり投げ上げた。
「うにゃあああああああ!」
猫の鳴き声と共に物体は弧を描いて穴から飛び出す。永祢はそれを身体一杯になんとか受け止めた。
「これで、大丈夫だろ。さあ行け!」
「だめ!」
「いいから!」
「馬鹿を言わないで!」
永祢が明らかに怒りを含んだ声色で叫んだ。契汰が初めて触れる、永祢のむき出しの感情だ。
「貴方は私の式神! こんなところに置いて行ったりしない!」
「そんなこと、言ってくれるんだな。もういい、俺は諦めるから」
「諦めるなんて、簡単に言わないで」
永祢はねこまるを安全なところに投げ置いた。契汰に送っていた霊力の糸を近くの樹に急いでくくりつけると、自分にも絡めつける。そして一呼吸おいた後、契汰のもとへ躊躇いもせず飛びこんだ。永祢のほのかに甘い香りが、契汰の腕の中になだれ込んでくる。
「馬鹿、何してんだよ!」
「陰陽師と式神は一蓮托生。これが本来の姿」
「君も死ぬぞ!」
「いい。二人でいれば、きっと上手くいく」
永祢はそう言うと、静かに契汰と唇を重ねた。
(これが、最後か)
契汰はそう悟ると、血の味が絡み合うのを感じながら永祢のぬくもりを優しく抱きしめた。ねこまるが叫ぶ声も粘液に飲みこまれて遠のき、意識までも薄らぎ始めた。
二人はのたうち回る死の奈落の穴のに、取り残されるように吸い込まれていく。
「あかぁああああああん!!」
ねこまるはあらん限りの力を振り絞って、永祢の霊具の術を解いた。猫の身体に戻った彼は、一ツ目の穴に駆け寄る。しかし、穴はまるで二人を捕食するかのように飲みこんだまま、地面の中に埋み入ってしまった。
「待てぇ! お前さんにはまだ役目があるんや、ここで死ぬなぁああ!」
ねこまるはたまたまを握りしめ、妖術を発動しようと力を込めた。しかし、もともと社での一件でかなり消耗していたねこまるは、先ほどの一撃で妖力をほとんど使い切っていた。さらに一ツ目の凶暴な瘴気による霊障が、ねこまるを襲う。引き裂かれるような、重い痛みが身体を蝕み、たまたまも虚しく光を失っていく。
「あかん、あかん、あかん! せっかくワシはお前さんを見つけたんやで、契汰!」
必死に一ツ目を捕まえようと地面を掘るが、ただ土だけが積み上がっていく。ねこまるは土と石で傷だらけになった前足を、それでも諦めずに動かした。涙を噛み殺しながら、一ツ目の影さえなくなった土を、ねこまるは掘り続ける。
「待ってくれ、待ってくれ……」
森は静けさを取り戻し、完全に穴は閉じてしまった。それでもねこまるは、オンオンとしゃくり上げながら地面を掻く。前足の骨が折れ、足先から血が噴き出た。爪が折れて砂が肉を蝕んだ。それでも、ねこまるは手を止めなかった。
「ワシを置いて……逝かんとってくれ……」
とうとうねこまるは手を止めた。元通りの、何の変哲もないただの地面を眺める。茫然とする彼だったが、このままここにいては、傷を負ったねこまるも無事でいられる確証がない。渋々ねこまるは立ち上がったが、折れた前足ではもう思うようには歩けなくなってしまっていた。
「年貢の納め時やな、このねこまる様も」
ねこまるは自分にも迫る死と戦いながら、それでも生きようとその場所に背を向け、足を踏み出した。その時である。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」
清廉で苛烈な魂の叫びが、けたたましく轟いた。
「なんや!?」
驚いて振り返ると、巨大な銀の五芒星が大地の底から浮上してくる。
「こ、これは……陰陽師の
印はゆっくりと、鮮やかな光を放ちながら夜空に真っ直ぐ登る。まるで強大な何かが覚醒したことを告げるように。
「こんなデカイもん、出せるヤツがまだこの世におるんか!?」
ねこまるは腰を抜かしてへたり込む。
「ウォオオオラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
閉じきった地面を切り裂いて、ひと固まりの銀光が飛びだした。凄まじい勢いで森の上に飛びこみ、古からの木々がしなやかな枝で彼らを受け止める。その聞き覚えがある声に、ねこまるは我を忘れて叫んだ。
「契汰、嬢ちゃん!」
ねこまるは足を引きずりながら、木を登って二人に駆け寄った。
「無事か!」
「ああ、ねこまる。ただいま」
契汰はねこまるに微笑んだ。
「アホ。何が、何がただいまや……。心配、ヒック、かけおって、ヒック……」
「なんだよ、泣いてんのか。猫なのに」
「泣いてへんわ! 目に、ゴミが入っただけや。嬢ちゃんも無事か」
「へいき」
「そうか、そうか。せやけどどうやって抜け出したんや?」
「話は後だ。アイツ、まだ生きてる」
「なんやて!」
その瞬間、黒い液体が地の底からぬらぬらと湧き出してきた。恐ろしい腐臭と、禍々しい目玉を浮かべて一つの塊になってゆく。そしてさらに悪いことに、無数の細い五本指の手が一ツ目から伸びて、蜘蛛の足の土を掴んで這いまわり始めた。
「なんか形状変わってるで! 手が何十本、いや何百本とあるぞ」
「さてはコイツ、人喰いしよったな」
「人喰い!?」
「間違いない。あの手視てみぃ、人間の手や」
「ってことはさっきの女の子……」
「恐らく、喰った子の皮を被っとったんやろ。お前さんを釣るためや。異能を喰ったなら相当パワーアップしとるはずやで!」
「でも霊具の一撃で、弱ってはいるはず」
「そやかて嬢ちゃん、もうワシ妖力あれへん!」
「静かに。なんか……人の声がする」
木の上から見渡すと、遠くから無数の松明が迫ってくるのが見えた。松明は規則正しい陣形を取ったまま、こちらへ猛スピードで近づいてくる。
「ほんまや。あの火、人間やな」
「……間違いない。討伐隊だ!」
「嬢ちゃんの星の印を視たんや、こちらに気づいた!」
「助かったぞ永祢! あの人達がいれば大丈夫だ」
「無理、間に合わない」
「え?」
「登ってくる」
木の下を見やると、一ツ目が大樹を引っ掻きながら登ってくるのが視えた。
真っ赤な口からべろりとイボだらけの舌をずるずると這いずらせて、涎を垂らす様は腹を空かせた獣そのものだ。大きな鎌爪で辺りの木をことごとく薙ぎ倒し、迫ってくる。
「ねこまる」
永祢が真剣な顔つきでねこまるに向き合った。
「もう一度貴方を霊具にする」
「えええ!? せやかて嬢ちゃん、もうワシ妖力あらへんで」
「信じて」
契汰は永祢のこの言葉を、どこかで聞いたような気がした。しかしどこで聞いたのか、それがどうしても思い出せない。
「もうしゃあないな! わかった、嬢ちゃん。猫に二言はないで!」
「うん」
永祢は素早く陣を敷いた。
「契汰、ねこまるをしっかり捕まえて。落とさないで」
「わかった」
「我が式神よ。志を友とし、霊具を携え我に仕えよ。我、汝に欲す!」
「にゃああああああああん!!!!」
ねこまるのひと鳴きと共に、契汰の手中に漆黒の霊具が勧請された。しかし最初の霊具とは、明らかに違う。凄まじい質量がのしかかり、契汰は慌てて踏ん張った。霊具は前のアイスピックとは似ても似つかない、美しい長身の漆黒刀だ。
「なんだよこの霊具!」
「おお! ワシめっちゃカッコエエがな!」
「契汰の霊力を、私経由でねこまるに注入した。これが霊具の本来の姿」
「やっぱり契汰の霊力はえげつないな!」
「マジか」
「ワシのたまたまも、契汰の霊力で復活しよった。しかしそんな難しいことようやるなぁ嬢ちゃん!」
「でも刀ってことは近距離戦だよな? どうやって近づくんだ、絶対喰われるぞ」
「そら契汰、異能お得意のぴょんぴょん飛ぶ技があるやろ!」
「飛腱のことか?」
「名前はよう知らんけどもや。それで戦うんや!」
「俺、それ使えない」
「なんやてぇえええ!」
途方に暮れたその時。一ツ目に何発もの弾丸が撃ち込まれた。
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