第35話 無価値と言われた人の、トラウマ

「何言うてんねん嬢ちゃん。この人数で敵えへんねやで!」

「さっき、ねこまるの刀、一ツ目を切った」

「あ……」

 

 契汰はハッとした。確かに契汰の刀は一ツ目を、それもあの太い鉤爪を叩き切った。


「ワシが、アイツを切ったてか?」

「確かにそうだ。ねこまる、お前は一ツ目を切ってた!」


「……せやせや、確かに切ったわ! アレがヤバすぎて忘れとったわ」

「これだ、ねこまる!」

 

 契汰は空いている方の手で、刀のねこまるをぎゅっと握りしめた。


「痛い、そんな強く握るなや!」

「俺らがやるしかない」


「そうは言ったって、飛ばれへんのやろ。近づいた途端お釈迦やで!」

「ぴょんぴょんなら出来るぞ」


「さっき出来へん言うとったやん!」

「永祢、君なら俺を飛ばせる」

 

 契汰はねこまるから手を離し、永祢の両肩に手を当てた。


「私が?」

「そうだ、君なら出来る」


「そんな呪、知らない」

「俺は知ってる」 

 

 困惑する永祢に、契汰は確信を持って言った。


「夢で見たんだ。君の力で俺は空を飛んだ。君は『神の御息』と唱えてた、はっきり覚えてる」

「もしかして伊吹の呪のこと?」


「なるほど予知夢か! 契汰なら見てもおかしくない」

「無理、出来ない」


「どうして!?」

「あれは高難度の上級呪。私には、出来ない」


「出来る、絶対出来る」

「出来ない、あんな呪、使えない! 私みたいな陰陽師には無理!」

 

 永祢は過剰に反応している。過去に何かあったのだろうか、トラウマに触れてしまったようである。契汰は何とか永祢をなだめようとした。


「永祢、俺を見ろ」

 

 癇癪を起して暴れ出す永祢をしっかりと抱きとめ、契汰は静かに語りかける。


「いいか、落ちつけ。俺たちが、今ここで、やらないと。皆が死んでしまう」

「出来ない、そんなこと知らない!」


「知らないではすまない、キミも死んでしまう」

「いい、私が死んでも!」


「死ぬということは一人だけの問題じゃない、わかってんのか!」

「わかってる、みんな覚悟して来てるはずだもの!」

 

 契汰は永祢の頭を優しく撫でた。


「いいか永祢。人間には家族がいる。家族でなくても、共に生きてきた人が。このままでは、彼らは遺体さえアイツに喰われて、その人たちのもとに帰れない。そうしたら、どんな悲しいことになるか」

「そんなの知らない。私にはそんな人いない」


「友達は、家族は?」

「友達なんて、いたことなかった。家族だって……」


 永祢は急に黙りこくった。彼女のトラウマの核心がそこにあることを、契汰は察した。記憶を絞り出すように、彼女は呟く。


「今までなんだってやってきた。呪だって、勉強だって、鍛錬だって、友達だって、なんだって。でもダメだった、報われなかった。生まれてからずっと。家族から言われたの、私は……生きていても総極院の為にならないって」


 (家でもそんな扱いだったのか……)


 永祢の境遇があまりにも可哀想で、契汰は辛くなった。契汰は永祢に自分を重ねた。彼女の孤独、猜疑心、そして無力感……。何もかも手に取るようにわかる。


「そうか。俺と一緒だな」

 

 契汰は笑った。


「でも君に呼ばれて、帝陵に来て、初めて友達が出来たんだ。一緒にご飯を食べてくれた友達」

「友達か、いいな」


「何言ってんだよ」

「え?」


「俺は永祢の友達だと思ってたけど」

「貴方は式神」


「いや、そうだけど」

「なりたくなんて、なかったでしょ。私の式神なんて」


「どうしてそう思う?」

「……私、生きてたらダメな子だから」

 

 永祢はポロポロと涙を流し始めた。


「俺は生きてて欲しいよ?」

 

 永祢は驚いた顔で契汰を見た。契汰は優しく笑いかける。


「君がここに俺を連れて来てくれた。勿論最初は意味がわからなかった。だけど……」

「だけど?」


「初めての友達も、初めての戦いも、君がくれたんだ。ま、できればバトルは避けたいけどな。それに君は」

 

 契汰は感謝を込めて、永祢の手を握る。


「俺を助けるために一ツ目の中に飛び込んでくれた。諦めるなと言ってくれた。嬉しかったんだ、俺。こんな気持ち生まれて初めてだ。初めての気持ちも、君はくれた」

 

 永祢は自分に重ねられた、契汰の手に目を落とす。


「な、だから頼む。呪を使ってくれ。そうしないと皆死ぬんだ」

 

 永祢の目から再び、涙がこぼれる。その涙はまるで花に結ぶ露のようで、はらはらと永祢の白い肌をつたい落ちた彼女の心の痛みを和らげようとゆっくり身を離し、そっと美しい顔を両手で包みこんだ。


「永祢」

 

 その言葉に、少女は顔を上げた。


「自分の意思で、全ては変わる。なりたいものになれる。それに歯止めをかけるのは、自分自身の思い込みだ。でもそれは、君が悪いんじゃない。自分を痛みから守るために殻を造っただけ。明日に自分の命を繋げる為に、未来に蓋をしただけだ。でも、もうそうじゃない。自分を変えろ、今ここで」


 素早く唇を噛み切ると、永祢の顎を強引に上げ、そして優しくキスをした。大切なものを、壊してしまわないように。永祢は憑き物が落ちたように大人しくなる。


 唇を離すと、星の如く光る瞳を真っ直ぐ契汰に向けた。


「ダメだよ、契汰。きっと無駄になる」

「蝶の羽ばたきで世界は変わるっていうだろ。だったら俺たち二人の悪あがきで、どうして運命が変わらないと思う?」

 

 永祢は黙っていた。しかしその表情はとても穏やかだ。


「でも本当に難しいの、あの呪は。失敗したらどうしよう」

 

 契汰は快活に笑った。


「失敗したら死ぬだけだ。その時はたぶん二人とも、ほぼ同時だろうな。死ぬ時は一人っていうけど、そんなのだれが決めたよ。俺も一緒なら淋しくない、そうだろ」 

 ふふ、と永祢も釣られて笑った。契汰が初めて見た、彼女の笑顔だ。


「そうだね。二人一緒」

 

 二人はくすくすと笑い合った。ずっとこの時間が続けばいいのに、そう思えるような温かなときだ。

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