第36話 少年と少女、そして一匹の、約束

「二人ちゃうやろ、三人や!」


 唐突な関西弁に、契汰は急速に現実に引き戻された。慌てて携えた刀を見やる。


「ねこまる!?」

「完全にワシを忘れとったやろ!」


「ああ、そうかも」

「ほんまにお前さんらと来たら、薄情なやっちゃ!」


「はは……。ごめん」

「ワシのハートが泣いちまうで。まぁええけどな、ほな行こか!」

「それは出来ないよ」

 

 契汰は刀を抜いて、大事に持ち上げた。


「一緒に行くのはあまりにも危険だ。俺はそんなこと、君に頼めない」

「なにいうてんねんっ!」

 

 ねこまるは刀身を震わせて憤慨した。


「お前さんらは霊力0、異能0のポンコツの癖にワシを助けてくれた。何があるかもわからん、死ぬかもしれん状況で化け物相手に戦ってくれた。ワシはな、お前さんらに惚れたんや! 天下の猫又、ねこまるさまにここまで言わすなんて幸せなやっちゃで!」

「ねこまる……」 


 ぐげげげげげええええええええ!

 

 一ツ目が木を薙ぎ倒しながら三人に迫った。無数の触手が三人を襲おうとした、その時だ。

 

 永祢の鏡が急激に光を放ち、契汰と永祢、そしてねこまるを丸々くるみこんだ。

 

 ごがががががががああああああ!

 

 触手は光に阻まれ、弾き返された。


「すごい! やっぱり永祢の鏡は、タダの鏡じゃない!」

「せやけどもたもたしてる場合ちゃう、アレを止めな!」


 襲い来る一ツ目は一分の隙も無く、光の向うから狙いを定めてくる。契汰は考えた。


 (この状況をどうするか、世界をどうひっくり返すか……)

 

 一ツ目の行動パターンを瞬時に思い返す。どうしたら一ツ目を出しぬけるのだろうかと逡巡している内に、契汰は一つの仮説にたどり着いた。


「もうこれしかない。永祢!」

「?」


「俺を空へ飛ばしてくれ。出来るだけ高く、天へ」

「何か、作戦があるの?」

 

 契汰は自分のたどり着いた結論を話した。


「いいか。援軍が来てからさっきまで、一ツ目は俺たちを狙わなかった」

「それは、異能を喰うためでしょう?」


「違う。総攻撃に怒り狂って俺たちを忘れてたからだ。元々一ツ目の狙いは俺だった」

「どうして、わかるの?」

「視てみろ、アイツ異能を喰ってるか?」

 

 永祢は討伐隊をぐるっと眺めた。異能たちはもはや抵抗出来ないほど弱り切っているというのに、誰一人捕食されていない。


「一ツ目が最初に現れた時、その場にいたのは君と俺だ。そしてその後、襲われたのは俺と君を拾った烏の尾羽だった。きっと俺たちの気配を残したまま、森に入ったんだろう。そこを一ツ目に襲われた。だが、アイツは死体を喰っていなかった!」

「……」


「そしてその後、誠と俺が襲われた。で、今。アイツは真っ先に俺たちを襲った。こんなに異能が森にいるのにだ」

「契汰の霊力が、強いから?」


「確かにそうかもしれない。でもそれでは説明がつかないんだよ。妙だと思わないか。本当に霊力だけが目当てなら、俺一人喰う前にここにいる全員を喰ったほうが早い。でもアイツはまだ誰も喰ってない。攻撃してるだけだ」

「喰べられない、理由がある?」


「そうだ。だから俺を狙ってる。そう考えるのが妥当だ。あいつは明らかに、俺のことは喰おうとしていた」

「じゃあ、契汰が飛び出したら……」


「ああ、確実に俺を狙ってアイツも来る。そしてその時は、全身全霊の本気で追ってくるはずだ」

「ダメ!」


 永祢は怒りを滲ませて、契汰に抗議した。しかし、契汰は安らかに微笑み返した。


「大丈夫。君の鏡がある」

「私の、鏡?」


「そう、鏡だ。今まさに守ってくれてるだろ」

「こんなこと、貴方に会うまでなかったのに」


「あの鏡は俺たち全員を守ってくれる。だから安心して呪を使ってくれ」

「でも」

「二人でいれば何もかも上手くいく、だろ?」

 

 契汰は恐怖心を押し隠し、笑顔を作る。


「俺は君の式神だ。だったら用が済めば、君のもとに戻るさ」

 

 永祢は契汰の手を握ると、不安を抑えるように額に押し当てた。一つ、二つと深呼吸を重ねた後、真っ直ぐ契汰の目を見つめた。


「必ず、帰って」

 

 不器用に手を解いた永祢は、守りを張る鏡の下で陣を展開した。


「陣の中央へ。かなりの衝撃が来るはずだから、身構えて。ちゃんとしないと、たぶん、身体が砕ける」

「砕ける!?」


 そこまで言われると怖い。自分から言い出したものの、契汰は内心身がすくんだ。だが永祢の手も、震えていることに契汰は気がついた。それを隠すように、永祢は自分の手を押さえつける。


「永祢、もしかして怖い?」

「大丈夫」


「でも手が……」

「私は陰陽師。陰陽師はいつでも、冷静でいるもの」

 

 永祢は淡々としつつも、芯のある調子で続けた。


「霊力的にも、きっとこれで最後。だからしっかり、仕留めて」

 

 銀色の髪がすらりと揺れ、月光を受けて力強く煌めいていた。契汰が黙って見つめていると、永祢の良く整った唇が、ほのかな笑みを浮かべた。


「信じて」


 その一言が、何にも揺らがない確信を契汰の中に呼び起こした。迷うことなく契汰は、銀波が揺らめく陣の中に踏み込み、クラウチングスタートの姿勢で静止し、目を閉じる。精神を集中させ、この陣の主である永祢の動きを待った。


「朱雀、玄武、白虎、勾陣、南斗、北斗、三台、玉女、青龍」


 瞼に閉ざされた暗闇の中に、清廉な声が木霊する。


「我に力を授け給え。目前の穢れ、我清めんと欲す」


 闇の中に、白銀の光が映り始めた。その光は次第に量を増してゆく。


「我が式神を、今一度その大いなる力で包み給え」


 次第に、身体が熱を帯びてきた。心地良い暖かさではあるが、その熱は、すぐに契汰の心臓と額を焦がし始めた。


「づううぅっ」


 ひたすら、痛みに耐える。

「我が息は、神の御息みいき。神の御息は、我が息。風よ、我が意思と重なりて、どこまでも吹き行け」


 ふぅっ。永祢が小さく息を吹く音が聞こえた。


 次の瞬間、白銀の陣から契汰の身体に巨大な空気の塊が衝突し、まるでロケットエンジンでも積まれたかのよう、契汰は大きく空中めがけ飛び出した。空中高く、木の葉を勢いよく巻き上げながら急上昇してゆく。 


 ぐごごおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

 

 契汰の動きに気がついた無数の触手が、捕えていた異能を全て放り出した。

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