第5話 俺んちに、女子が来るんだってよ。
――放課後、ひなは帰り支度にもたついている契汰の横に腰掛けながら、愚痴を言った。
「もう! あの時はほんとに心配したんだからね!」
短縮授業であったため、まだ昼間である。そこに、契汰とひなが二人きり。
月曜日から新たにスタートした高校生活に疲れきって、クラスメイト達は皆そそくさと学校から引き上げていた。金曜日のゆるみきった空気が、誰もいない教室に充満している。
「ほんとごめん。心配掛けて」
「むぅ」
「ほら、引っ越しに忙しくて。ちゃんとご飯食べてなかったからさ」
見え透いた嘘だ。ひなは呆れた目を向ける。
「もう、これだからオトコのコは! 今日は食べるもの持ってきてるの?」
契汰は誤魔化すように続けた。
「あーっ、えっと」
もじもじしながら菓子パンを一つ取り出した。
「お昼はあるよ。まだ食べてない、けど」
「菓子パンはごはんに入りませんっ!」
ひなの頬がむくむくと膨れた。
「藤くん見てるとほんとハラハラする! ダメダメなんだもん」
そう云いつつ、ひなは鞄から可愛い桃色の袋に入ったものを取りだした。
「はい、これひなのお昼。手作りしたやつだよ!」
目の前に、女の子の、それもすごく可愛い女子高生が作った手作りお弁当が据えられた。
「ええええええええええ」
契汰はまたも目を回しそうになった。
「いいよそんな! ひなちゃんのだから、貰えないって」
「じゃあ何、藤くんまた倒れてもいいの?」
「そういうわけじゃないよ。俺だって本当にいいなら、ひなちゃんのお弁当食べたいし」
自分で言いながら契汰は顔が真っ赤になるのを感じた。
しどろもどろになりつつも、懸命に声を絞り出す。
「俺料理、よくするんだ。でもその、バイトで忙しいからしてないだけで」
「そうなの? じゃあ今度一緒に料理しよ」
女の子に、こんなに優しい言葉を掛けられる毎日がこようとは思っていなかった。
「ひなちゃん、料理得意なの?」
「そこそこ出来るよ」
「自炊派なんだ」
「そうかも。それより、お弁当の感想聞かせてね」
ひなはウインクする。
これほどまでに親切にしてもらったのは、生まれて初めてかもしれない。幸せと一緒に桃色のお弁当を手にぶら提げたまま、ひなと通学路を歩いた。
「いいお天気だね、本当に」
うっとりとした様子のひなは、契汰に寄り添うように歩いている。
契汰も彼女の柔らかい雰囲気にうっとりした。しかし……。
「にゃあああおおおおおお!」
猫の迷惑そうな唸り声が契汰の足もとから飛んできた。
驚いて契汰は前のめりになり、危うく自転車ごと転がりそうになる。
「藤くん! 猫ちゃんの尻尾踏んじゃってる!」
「マジで?」
よそ見をしていた契汰の自転車が、昼寝をしていた黒猫をひいてしまっていたのだ。
「ごめんごめん!」
「にゃにゃにゃにゃにゃ!」
「イテテテテ!」
ずんぐりした黒猫は心配して近づいた契汰をバリバリと引っ掻いた。
驚いて尻持ちをついた拍子に自転車が倒れ、ポケットや鞄の中身が地面に散乱する。
「大丈夫? 気をつけないと危ないよ」
「ごめん」
ひなが甲斐甲斐しく荷物を整理する。
「お財布に、タオルに、ペンケース。あと……」
何かを見つけたのか、ひながぴたりと制止する。
「どうした?」
「藤くん。今日誕生日なの?」
「え」
「これ!」
ひなが握っているのは契汰の生徒手帳だ。
そこには契汰の生年月日がきっちりと表記されている。
「ああ。まあ、一応」
「なんでそんな大事なこと、ひなに教えてくれなかったの!」
ずいっ。
ひなの顔が契汰とくっつきそうなくらいに近づく。
「うわっ!」
こんなに女子と接近したことなど、経験がない。契汰はまたも尻持ちをつきそうになる。
「なんでもっと早く教えてくれなかったの?」
怒っているのか、すねているのか、ひなは頬を膨らませて契汰を凝視した。
「言うタイミングなかったし」
「誰かお祝いに来るの?」
「まさか、友達なんていないしね。大丈夫、いつも一人だからさ」
「……一人じゃないよ」
「へ?」
「ひながいるじゃない。もう私たち、友達でしょ」
ひなはニッコリと笑う。
契汰は彼女の白く滑らかな肌と、大きな瞳に釘付けになる。
「ひなが一緒にいてあげる。だから今日は、二人っきりだね」
ひなが栗色の髪を掻きわけた。また、彼女特有の甘い香りがあたりに満ちる。
媚薬でも飲まされたかのように、契汰は視線を彼女から離すことが出来ない。
「今、なんて?」
「だから、今日は二人ボッチ。一緒に誕生日をお祝いするの」
「お祝いってどこで?」
「藤くんチ」
「俺の家に?」
「そだよ。ちょうど日付が変わる頃、行ってあげる。ひなが藤くんの16歳の、初めての瞬間を見るの」
契汰の腕にひながくっつく。
「いいでしょ」
またも彼は、混乱した。
(間部さんが、俺の家に? そんなに簡単に男の家に、それも深夜に女の子が来ていいものなのか……というか、なんだこの状況)
心の声が止まらない。そして冷静に自分の左腕のひなを眺める。
ぴったりと寄り添う身体同士は、お互いの体温を感じあえるほどだ。
(もしかして脈あり、というやつなのか?)
契汰の理性はいとも簡単にノックアウトしてしまった。いや、正確には初めてひなと目を合わせたあの時から、このラブストーリーに酔ってしまっていたのかもしれない。
「夜は危ないよ。迎えに行くから。家は掃除しとく」
契汰の言葉にひなはゆっくりと組んだ腕を解いた。
「そう言ってくれると思ったよ。そしたらお弁当、忘れないで食べてよね」
ひなは自分の鞄をまさぐって、桃色の水筒を取りだした。それを契汰に押し付ける。
「これ、お茶も作っといたの。忘れずに飲んで、健康茶なの」
この時契汰は、身に余る幸せを噛みしめた。
腕の中に女の子の香りがする桃色のお弁当と、水筒を抱きしめながら。
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