第21話 学園男子寮「小松寮」
生徒会棟から出ると、春の日差しがじんわりと目に染みた。時計を見ると、十時を少し過ぎたところだった。生徒たちの姿はまばらで、学園にはあまり活気がない。
「あの、授業とかって無いんですか」
「何を言っているの、今日は休日よ」
言われてみればそうだ、と契汰は納得した。あまりに目まぐるしい展開で、曜日感覚まで狂ってしまったらしい。
「生徒会の皆さんは、休日も登校なんですね」
「基本は生徒会のメンバーと補佐委員が交代で登校するわ。生徒会長は本当はお休みのはずだったんだけど。虫の知らせでもあったのかしら」
「なんかすみません、俺のことで手を煩わせてしまって」
「不測の事態は休日に起こらないなんて決まりはない。貴方が気にしてどうするの」
「大変ですね、皆さんも」
「きちんとしたシフトで動いているし、労働対価もいただいているわ」
「そうなんですか? てっきりボランティアかと」
「馬鹿言わないで。サービス労働なんて、今時ナンセンスよ」
「確かに」
「さ、小松寮に向うわよ。馬を使いましょう」
「馬?」
桐生はハンドバックから馬の形に切り取られた和紙を二枚取り出した。何かブツブツと呪を唱えてふうっと息を吹きかけると、和紙は瞬く間に大きくなり立派な馬の姿になった。身体を蒼い光がまるで血管のように通っている。ところどころに大小様々な光の血溜まりがあり、ひと際大きく脈打つ。
契汰が呆気に取られているのをよそに、桐生は筆を取り出すと、馬に真っ黒な鞍と手綱を書き足していった。墨を付けていないにも関わらず、筆は面白いほどするすると黒い色を出し続ける。
「さ、乗って」
桐生は筆をしまうと当たり前のように馬に跨った。乗馬経験などない契汰は慌てる。
「ちょっと待ってください、俺、馬になんて乗れません」
「苦手なの?」
「そもそも馬に乗った事がありません」
「普通家でやるものでしょ、学校でも習わなかった?」
「普通のご家庭でも学校でも、乗馬なんてしませんよ!」
「へえ、下界じゃそうなのね。乗馬もやらせないなんてどうかしてるわ」
桐生補佐官は本気で言っているようだ。
どうやら彼女は、というよりこの世界の人は、異次元のお金持ちらしい。
契汰はここが同じ日本だとは思えなかった。
「じゃあ今覚えて。この学園は広いから、歩いていくのは大変なの」
「わかりました」
契汰は渋々、紙の馬に乗ることになった。
「いい、ここに足を置くのよ。手綱の持ち方はこう、拳を握って親指を出す。しっかり馬をひきつけて跨るの」
それだけ教えると、桐生は自分の馬に乗り込んでお手本を見せた。契汰は見よう見まねでなんとか馬に乗る。ぎこちない動作でも紙の馬は驚いたりせず、平然としている。
桐生は簡単なお手本を見せながら、契汰に乗り方を教えた。
「馬の胴を脚で抱えるようにして、腰でバランスを取りながら乗るのよ。進む時は胴体を脚で圧迫すればいいわ、曲がるときは片側をこうやって圧迫する。止まる時は重心を後ろに下げるの、いいわね」
それだけ言うと、桐生は颯爽と馬を操って進み始めた。姿を見失うまいと契汰も必死に食らいつく。しっかりと習ったわけではないので、馬は思うように動いてくれなかった。
怖々乗っていた契汰だったが、持ち前の運動神経の良さでするするとコツを掴んでいった。紙の馬がとても素直で扱いやすかったことも、契汰にはありがたかった。
「やるじゃない、そこそこ上手くなってきたわね」
「馬って結構乗りやすいんですね」
「普通の馬ならもっと乗りにくいわ。紙の馬には意思が無いから、当然と言えば当然」
桐生と契汰はスピードを上げた。紙の馬で軽快に学園内を駆けていると、学園の端の方まで辿り着いた。学園がある高台から一段下がったところに、もう一つ建物が見える。
「あれが小松寮よ」
桐生と契汰は馬を進め、寮の前まで来た。建物は他の学園のものと似たデザインだったが、こちらはもっとシンプルで住みやすそうな造りだ。
二人が馬から降りると、桐生は馬の首元をすっと撫でた。すると瞬く間に馬は元の和紙に戻り、桐生はそれを回収してバッグに収めた。
「さ、入りましょう」
二人が並んで下足室に入ると、部屋の隅の方に「藤契汰」と書かれた下駄箱が既に作られていた。寮の上履きも中に収められている。
「ここはどんな人が住んでいるんですか」
靴を履き変えつつ、契汰は尋ねた。
「色々な事情だけれど、ほとんどは貴方と同じよ」
「俺みたいな奨学生もいるんですか」
「ええ」
契汰はほっとした。境遇の近い人がいる寮であれば心強いと思えたからである。
寮の中は清掃が行き届きいていて、外装と同じくシンプルだが機能的かつ現代的な内装で統一されていた。白い漆喰の壁と木造の家具や階段で、陽が入ると明るい。親戚宅であてがわれた狭く殺風景な私室や、ぼろアパートに比べれば天国だ。
(こんなにいいところにタダで住めるなんて)
契汰は、自分の幸運に感動していた。
「小松寮に寮母はいないわ。全体の清掃と炊事のスタッフが入るだけで、それ以外は自分の裁量。ちょっとそこの君」
桐生は近くにいた男子生徒に声をかけた。
髪を端正に刈り込んだ青年だった。目元は涼やかで黒ぶちの眼鏡をかけ、口元は上品に整い、小麦色に焼けている。ぴちっとしたトレーニングスーツを着こなしていて、瞳が澄んだ純粋そうな人物だ。
やはり桐生は有名人なのか、きびきびと挨拶をして近づいてきた。
「これはこれは、桐生補佐官。おはようございますでありますッ! 小松寮にどのような御用でしょうかッ!」
見た目は爽やかなのに、話すと物凄い勢いである。契汰は圧倒された。
「今日からここに入寮する一年生よ。私はここから入れないから、案内をしてあげて」
「かしこまりましたッ! 小生にお任せください!」
「え、ここまでですか?」
「ここは男子寮だから、入れないわ。もう荷物は届いているはずだから、荷解きを」
桐生は少し顔を赤らめると、帰って行ってしまった。
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