第10話   錦織の恵方巻

 サモエドを三人がかりでモフっていると、和尚さんが膝が痛いと言ってリタイアしたので、宴と二人でなでなでしていた。


 ついでにスミレは、これから通う中学校の大先輩である和尚さんに、昔すぎて参考にならないかもしれないけれど、勉強は難しいのか質問してみた。


「儂はぁ、中学の頃の勉強は、ほとんど暗記モノだなぁと思ったよ。予習も復習も、とにかく覚えまくる感じだったな。手でノートに書いて覚えるのもいいし、目で見て頭の中で反芻はんすうするのもいいし、最近だとインターネットでも勉強ができるんだってね。よくわかんないけど、すごい時代になったもんだ」


「インターネット……うちはお父さんしかパソコンを持ってないから、触ったことないです。でも、やってみたいな〜とは思ってます。お父さんに相談してみようかな。あ、そうだ、部活動は、どんな感じだったんですか?」


 スミレの問いに、すぐそこで立って膝をのばしている和尚さんが、にやっとした。


「部活動は友達ができれば、すっごくおもしろいよ。好きなものが同じな仲間が、放課後に集まって行動するのは、それだけで貴重な体験になるからね」


「和尚さん、写真部だったでしょ〜」


「ハハハ、そう、写真部だよ。楽しかったなぁ」


 となりの県の美少女を隠し撮りしに仲間と電車に乗ったんだとか、その十年後のお見合い相手がその女学生だったとか、嘘かまことか、和尚さんの昔話に花が咲き、一時間はあっと言う間に過ぎた。


「わたしは、どの部活に入ろうか、まだ決めていなくて。実際に目で見て、それから選ぼうかなぁって考えてはいるんですけど」


「菫ちゃんが思うやり方でいいんじゃないかな。ちなみに、今はもう写真部はなくなってしまったんだ。部員が集まらない年が、長く続いたそうで、廃部になってしまったそうだよ」


「まあ……」


 そういうこともあるのかと、スミレは寂しくなった。部活は代々、ずっと続いている伝統のようなものだと思っていたから。


 五時を告げる音楽が、数キロ離れた市役所から流れてきた。山々のあいだでこだまにこだまが重なって、かえるの合唱のようになって、ここまで響いてくる。


「ああ、門限の五時なのだ」


 宴が慌てて立ち上がり、スミレと和尚さんに声をかけた。


「明日もここへ来て良いだろうか。椿が活発になった原因を、私も調査したいのだ」


「それはありがたいよ。ぜひおいで」

「宴、いつ来れそう? 朝からだったら、もっといっしょに、いろんなことが話せるわ!」


 ぱっと華やぐスミレの笑顔に、宴はきょとんとしていたが、やがて恥ずかし気に笑みの形に目が細まった。今日はスミレにとってはさんざんな日だったろう、けれど、また遊ぼうと誘ってくれて、すごく嬉しかった。


「では、昼前には地上に降りられるように、予定を調整する」


 そんな宴の足首に、駆け寄って抱きつく者がいた。さっきまで賽銭箱を背にして座りこんでいた、椿であった。


「椿?」


 宴がしゃがむと、椿はその顔を見上げて、また足首に顔をうずめた。白狐たちが、不思議そうに黒い鼻を近づけてくる。その鼻息で、椿の黒髪が右に左になびいていた。


 和尚さんが椿を抱き上げようと、腰を屈めた。すると、椿が脱兎の勢いで走りだしてスミレの足元へ、その途中でド派手にすっ転んだ。


「きゃあ! 椿ちゃんだいじょうぶ!? 顔割れてない!?」


 スミレが小さな両脇を持って抱き上げると、おでこに付いた砂をぱらぱらとこぼしながら、椿が茶色い硝子玉の両目でスミレの顔を凝視した。何かを訴えているように見えたスミレだったが、自分の思い違いかもしれなくて、自信がもてなかった。


「椿は錯乱しておるようじゃの……。宴、帰る前に、はよう修理してやれ」

「左様、あのままでは意思疎通ができぬ。そなたの集めたえにしの糸で、椿を我に返してやれ」


 縁の糸と聞いて、スミレはおそるおそる宴を見上げた。何か工具のような、針金のような物を持っているのかと思いきや、宴は自身の、鎖骨の間のあたりに片手を添え、なにやら輝く太いロープをつまみ出した。あれよと言う間に、どんどん出てきて、そして宴の色付いていた着物の柄が、薄くなって、消えていった。


 宴の髪をほんのり染めていた黄緑の春色も、その両目を青く染めていた空色も、すべて真っ白に戻ってしまった。


 唖然としているスミレをよそに、宴は若干気乗りのしなさそうな困り顔で、きらきらと夕日に輝くロープを、ぎこちなく指で編んでいった。編み目が不揃いで、表面もでこぼこした雑なものだったが、宴が指をはなした箇所から自然とくっつき、融合し、手拭きタオルサイズの、綺麗な錦織ができあがってゆく。


「わあ、すっごくキレイ! 宴、それ、なにしてるの?」


「この辺りから集めた縁を、とりあえず布っぽくしている」


「とりあえず?」


我流がりゅうでやっているゆえか、これでいいのやら、常に自問じもんしてしまう。もっと研究と練習が必要なのは自負しているのだが、いったいどうやって修行したら良いのか、わからないのだ」


 宴が弱り顔なのは、戸惑いながら作業しているせいだった。


「ここを縛って、と……できたのだ」


「うむ、見せてみよ」

「左様、見せてみよ。我らが採点してやろう」


「採点? では、お願いいたします」


 宴がタオルサイズのにしきを両手でぴんと張った。

 狐二体の湿った鼻先と、黒々とした丸い目が、念入りに吟味する。


「うむぅ、いろいろ足りぬのう」

「左様、足りぬのう。なでなでしてくれた礼だ、我らの神通力も付与してやろう」


 二体は前足をひょいと上げると、白い肉球模様をポンと二つ、錦織に付けた。


「修行中のおぬしには、微々たる手助けもためにはならんだろう。そなたの母上には内緒じゃぞ」

「左様、カンニングは零点じゃぞ」


 宴が肉球模様を凝視して、両目をぱちくり。未熟者にも優しい先輩神使しんしの補助により、零点になってしまったのだった。眉毛が下がってしまうが、不思議に笑みもこぼれた。スミレと和尚さんにも見えるように、肉球模様を掲げてみせる。


「すみれ〜、和尚様、零点になってしまったのだ」


「ふふ、宴、元気出して。その布で、いったい何をするの?」


「椿に巻くのだ。すみれ、私の持っている布の中に、椿をのせてくれ」


 巻くとは。スミレが不思議そうに眉をひそめつつ、椿を宴の腕の中の布にそっと置いた。宴が椿を、くるりと一巻ひとまきした。恵方巻きのようになる椿、頭も隠れてしまっている。まさか、それが修理というものなのかと、スミレは目が点になる。


「ソレを巻きつけると、椿ちゃんが直るの?」


「直るというか、元気になるぞ。うまくゆけばの話だがな」


 たとえば、気力が戻ったり、と宴が一例を付け足してくれるが、恵方巻きにされて気力が戻るとは。どういうことかとスミレは混乱した。


 宴は恵方巻きを神社の石畳に立たせた。


「今日は白狐様の通力もお借りした。きっとうまくゆくのだ」


「そ、そうね」


 黄昏時の稲荷神社に、にしきの恵方巻きをみんなで見守るという、シュールな絵面がそこにあった。


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