第34話 人間じゃない存在と、恋人になるということ……
「ところですみれ、私は正式にこの地に居場所ができたのだ。これからは、すみれのそばにいても別段異様なこともなし、椿がいれば、いつでも会えるし、こうしていつでも話せるのだ」
宴がにっこり笑っていた。ちらりとのぞく八重歯の先端が、とても白くて綺麗で、そしてかなり尖っている。
「今回、無事勝利を収めることができたのも、すみれとの縁によるところが大きい」
「そうなの? わたし、特に何もしてないけど」
「応援してくれたではないか。お母さん以外から声援を受けたのは、生まれて初めてでとっても嬉しかったのだ」
はて、スミレの常識の範囲内で、一度も他人から応援されない人生を歩む人がいるのだろうか? いくらなんでも、大げさなのではないかとスミレは訝しむ。
「私は確信した。すみれとなら、どんな場所でも、どんな時でも、私はとびきり励むことができるとな。今、とても気分が良いのだ。これが彼氏、彼女というものなのだな」
宴がスミレの両手と、つないだ。それは幼児が手遊びをするつなぎ方と酷似していたが、年頃の男女が人目もはばからずにいきなり選ぶ手段ではなかった。
びっくりするスミレに、宴がおでこを近づける。揺れる前髪の隙間から、短い金色の
「すみれ、私はすみれのこと、絶対の、絶っっっ対に! 離さないのだ!」
転倒したときに泥がついたのだろう、着物や髪が、頬が、少し汚れていた。でも、こんなに幸せそうに笑う人を、スミレは初めて見た。永遠に胸に焼き付いて、離れないのではと思うほど、輝いて見えた。
「お、おい菫、断るなら今のうちだぞ」
いつもの雑草女呼びも吹き飛ぶほど、肋介が狼狽していた。
「え? どうして?」
「どうしてって、なに不思議そうに振り向いてんだよ。お前知らねーのか? 妖怪や天界の住人は、執念深さが人間とは比べものにならねーんだ。お前、浮気したら宴に殺されるぞ!」
今しがた手をしっかりと繋いでいる相手から、殺されるとは。スミレは、幸せそうにしている宴を呆然と見上げた。
「宴くん、人間の子の人生を奪うような真似は、見過ごせないよ。きみらと人間じゃあ恋愛観が大きくズレてる。失恋のパニックで相手を焼身させる大蛇の妖怪や、街一つ洪水で沈めてしまう神様もいるし、きみもそうなる予備軍ならば、今この場で僕が
店員が二人の手首を取って、手を離させた。宴がショックを受けた様子で、空色の濁りない双眸で店員を見上げた。
「私は、そんなことしないのだ……すみれには絶対に、手は出さない」
「本当だね?」
「しかし、せめて悪い虫の息の根だけは、止めさせてほしいのだ」
さらっと呪詛系で牽制する旨を明かす宴。これには肋介もドン引きであった。
「お前、さっぱりした真っ白野郎かと思ったら、意外と……」
「あら、ハチとかカとか、退治してくれるの? でもわたし、虫よけスプレーは持ってるから大丈夫よ」
スミレもスミレで、勘違いをしている。
「すみれぇ、私が言っているのは、本物の虫のことではなくて……」
宴が上手く説明できない様子で、口をもごもごしている。
なにやら不穏な空気が、重々しくじっとりとスミレを包み始めるが、霊感のないスミレには、これがどこからくる感覚なのかわからない。ストップウォッチ片手に時間を計りながら宴たちを補佐していたせいか、少々疲れたのだろうか……その程度にしか疑問に思わなかった。
「すみれ、私以外に彼氏を持ってはダメなのだ。私も側室は持たない。生涯、すみれだけなのだ」
「ええ? あの、わたしたちまだ学生だし、未成年だし、そんな新婚さんみたいに気合いを込めなくても……もう少し肩の力を抜きましょ?」
「……もしや、約束できないのか?」
「え? とんでもないわ、もちろん誓うわよ! わたしも浮気は良くないって思うし」
スミレがあっさり約束してみせると、宴の雪のようだった頬が、桃色に上気した。何かに色を借りたわけでなく、宴自身が己で生み出した色だった。幸せそうに微笑むその姿に、スミレはちょっと、はにかんでしまう。
(わたしなんかと付き合うだけで、こんなに喜んでくれる男の子がいるなんて……思わなかったわ)
今まで、アイドルに似てるからという理由で告白されたことはあったが、スミレは誰かの代わりにされるのはイヤだったから、断ってきた。宴は、アイドルを可愛いと評価こそするけれど、スミレのことを誰かの代用品のように扱ってきたことは一度もなかった。見た目等は関係なく、スミレそのものと居られる権利を、決闘で勝ち取ってでも実現させてしまった、すごい男の子だ。
(たぶんだけど、こんな男の子は世界中でたった一人な気がする。人前で手をつないできたりして、意外な一面もあってびっくりするけれど……うん、宴のこと、とっても大事にしよう)
完全に二人の世界なスミレと宴、そして外野には、顔を引きつらせている店員と、肋介が、棒のようになって立っていた。
「あー、その……肋介くん、くれぐれも宴くんを暴走させないでくれよ」
「おう……」
「何かあったら、僕の店を訪ねてくれ」
「そうするわ……」
げんなりした顔で返事する肋介に、店員は同情した。病んだ舎弟を持つことになろうとは、誰が予想できたであろうか。店員自身も、見張っていなければならない面倒事が増えてしまい、内心で大きな大きなため息をついていた。
「それじゃ帰るよ、すみちゃん。お母さんが心配してる」
「あ、はい。お母さんとお父さんに、今日の結果を報告しないと。宴のこと、すごく心配してたの」
スミレは両親に、宴が穏便に対処したと偽って報告するつもりであった。決闘の末、友達の頭蓋骨にヒビを入れただなんて、絶対に親に言えない。
「そう言えば、お母さんが宴に会いたがってたの。パートの時間、確認してないんだけど、今ならまだ家にいるかしら。いつもは昼と夜が、お母さんのレジ担当なの」
「楓さんなら、明日が朝レジ担当で、今は家にいるはずだよ」
「え? ど、どうして知ってるの、店員さん……」
ゾッとして後退りするスミレに、店員は詳細を明かさないまま、宴と肋介に振り向いた。
「宴くんは肋介くんと、陣地の話を詰めておいてね。僕はすみちゃんを無事に家まで届けるまでが仕事だから」
「わかったのだ」
笑顔であっさりと、スミレと別れる宴。骨董屋の店員は、宴の中では「悪い虫」の数に入っていないようだった。
「なあ宴、雑草女が生きていけないぐらいの強い束縛はしてやるなよ? 陣地の中で拉致監禁とか、俺様の縄張りで絶対にやるなよな」
「すみれが嫌がることは、なるべくしないと約束する。時と場合によっては、私の陣の中に避難はさせるがな」
時と場合によっては、神隠しも辞さないと笑顔で宣告する宴。その視線は、山を下りてゆく少女の華奢な背中ただ一身に注がれていた。
(あーあ、やべえカップルができちまった……だから人間は嫌いなんだ……)
おもに、自分たちに近づく人間全般に、肋介は警戒するのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます