第8話   夕紅稲荷神社

 赤い鳥居に見守られ、奥の賽銭箱に小さな背を預けて、うなだれる少女。ここまで走るために力を使い果たしてしまったのか、体を丸めている。


 その健気けなげな姿を見て、スミレは騒いだり怖がったりしていたさっきの自分を、はったおしたくなった。無論、突然動きだした人形は怖い。けれど、どうして動きだしたのか、その理由も知らないで、このまま一生お寺に預けっぱなしにする自分は好きになれなかった。


 スミレは椿の前まで来ると、しゃがんで、じっと見下ろした。おそるおそる、片手をのばしてみる。小さな肩に触れて、なでなで。


 逃げなかった椿に、ほっとする。


 スミレから鳥居三つ分後ろで、宴が小首を傾げて心配していた。


「すみれ、怖くないか?」


「んー、正直言って怖いんだけど、でも、椿ちゃんだし……ほうっておけなくなっちゃったわ。これから、どうしていいか、わかんないんだけど……」


 スミレは触れさせてもらえただけでも充分嬉しかった。なにげに、自分から逃げ回る椿に傷ついていたんだと思い知る。


「わたしには兄弟や姉妹がいなくて、両親も共働きで留守がちだったから、椿ちゃんが初めてできた友達だったの。だからかな、このままにしておけないって気持ちがわいてくるのは」


「昔馴染みなのだな」


「たぶん、そういうことなのね」


 椿が顔を上げ、作り物であるはずの茶色い虹彩に、スミレを映した。


「椿、ここに何か用事か?」


 宴が話しかけると、椿の眼球が宴に向いた。そしてまた、膝に顔をうずめてしまった。


 その反応に、宴が口をへの字に曲げる。


「まるで私が何かしたような感じだな……。でも私は修理以外は、なにもしていないのだ」


「男の子が、怖かったのかしら」


「それなら夕紅寺の小坊主も、少年ではないか。私のせいとは限らないぞー」


 宴が口をとがらせて、石畳にランドセルをぽんと置いた。


「とりあえず、このまま和尚さんの帰りを待ちましょうか。あ、宴は五時が門限だっけ?」


「うちは厳しい家庭でな」


「五時までに和尚さんが戻らなかったら、えーと……とりあえず和尚さんの家族の人に事情を話して、明日まで椿ちゃんを預かってもらいましょ。わたしの手元にあるより、お寺の蔵の中のほうが逃げられないと思うし。次の日になったら、どうするかみんなで考えたいわ」


「賛成だ」


 スミレと椿は賽銭箱に背中を預けて、ぼんやり。宴は少し離れたすぎの枝によじのぼって、「和尚様まだかなー」と忠犬みたく街を見下ろす。


 夕紅寺は街から離れた高台に建っている。昭和後半頃から変わらない街並みは、少しずつ寂れていって、ここから見える屋根や看板は、スミレが産まれたときから色せており、そのまんま新しい年号を迎えてしまった。


 街を囲む山々の木々が、雪崩なだれのように暮らしに入り込んでいるのが、ここでは当たり前の風景だ。街の随所にも、毎年少しずつみきがたくましくなる桜や梅が植えられており、桜の名所や銀杏並木、紅葉ややなぎが、道路脇をにぎやかに飾っている。


「桜、始業式には咲きそうね」


 ここからでも薄桃色のつぼみが、眺められる。あと数日もあれば、満開だろう。スミレは春風に髪をなぶられながら、今日の些細な非日常に、短いため息をついた。


「わたしはこの春、中学生になるの。宴は?」


「ん?」


「宴も中学生になるの?」


「私は、神使しんし学校の七年生になるのだ」


「七年生?」


 六年生のさらに先があるのかと、スミレは視線を空へ泳がせた。


「ふぅん、そんな学校があるのね……。こういうとき、スマホがあればねぇ、すぐに調べられるのに」


「すまほ」


「うん。宴も持ってなさそうね」


「持ってないのだ」


 宴は財布もポケットティッシュも持っていなさそうだ。そんな手ぶらで来るもんだろうかと、少し不思議に思うスミレである。


 そんなスミレも、今日はお寺へお人形を返すだけの予定だったから、ポケットティッシュとハンカチしか持っていない。お財布を持ってくるつもりで一度帰った家からも、けっきょく何も持たずに、ランドセルだけ宴に運んできてもらうという、意味の分からない事態になっている。


 木にのぼっている宴は、ときおり看板の文字を読んでは、スミレに意味を尋ねていた。


 コンビニの説明だけで、長い雑談が始まった。



 のんびりした時間が、退屈な時間に変化し始めた頃、どこからか、ゴトゴトと重たい音が。


「え? 宴宴! この音なんだろう、聞こえる?」


「狐の像が動いているぞ」


 ほら、と宴が目線で示すのは、スミレの右側にそびえる石台の上の、中型犬くらいの狐の石像だった。左にも同じ型の狐の像と台があり、それらが同時にがたがたと揺れていた。


 スミレが目を丸くして左右を見上げるうちに、狐の像が台の上からくるりと前転。ボフッと勢いよく煙をあげて、地面に着地したのは、足の先から尻尾の先まで、白い毛並みがもっさもさに生えた、狐らしき存在が二体。


 スミレは動物が好きだった。でも、怪奇現象は怖かった。好きなものと不得意に同時に挟まれて、真顔で左右を交互に見上げていた。


 立てなくなっているスミレのそばへ、黒い鼻先をふんふんさせて、二体の狐が近づいてくる。


「いやあああ! 宴宴宴! 助けて!」


 スミレは力の抜けた手で、その鼻先を押し返した。鼻はしっとりと濡れており、手の平がひんやりする。


「んー? この娘、我らの活躍する姿が見えておるのか」

「そのようじゃのう。いつ話しかけても反応せんかったが、今日ははっきりと我らに驚いておるのう」


 声は若いけれども年寄りじみた口調で、人間の言葉を話す狐。まーた悲鳴をあげるスミレに、慣れてきた宴は苦笑しながら木のてっぺんから着地した。


「変なヤツなのだ。椿は平気になったのに、稲荷明神様の使つかいは怖いのか?」


 宴は石畳に置いていた赤いランドセルを、スミレに投げてわたした。すかさずスミレが鞄を盾にして、目の前にかざす。


 ランドセルに阻まれて、白い狐たちが不思議そうに黒い目をまばたきした。そして大きな前足で、ランドセルをがしがし引っ掻いてくる。深い意味はなく、ただ目の前にある障害物に反応しているだけなのだが、スミレからしたら獣二匹に襲われている非常事態だった。


 宴が、狐に歩み寄る。気づいた狐たちが、宴を見上げた。


「ご無沙汰しております」


 丁寧に頭を下げる宴に、二体は顔を見合わせてから、また宴を見上げた。


「はて、誰だったかの」


「誰だったかの」


護神鬼ごしんきの、宴と申します」


「おお、稲荷いなりの宴か! 大きゅうなったのう」


「背が高くなったのう」


 二体が宴の足元にやってきて、ぴょんぴょん跳ねて背丈に届いたり、後ろ足で立ち上がって宴のはかまに前足を押し付けたりと、元気いっぱいに宴と触れ合う。


 宴が若干押されていた。困り顔で微笑んでいる。


「稲荷ではなくて、護神鬼です」


「稲荷の宴、いずれは稲荷明神様の御使いとなる者。我らの後輩よ」


「可愛い後輩よ」


「護神鬼なんですが……」


 年上の神使しんしに後輩認定されてしまい、苦笑している宴のお腹に、赤いランドセルがぼすんと投げわたされる。


 しかし、宴は盾を作る気はなかったので、足元に置いた。二つの黒い鼻が、ふんふんと鞄のにおいを確認する。


「その娘と同じ匂いがするのう」


「給食のパンの匂いもするのう」


 また二体の顔がスミレのほうへ向いた。まっすぐに走ってくる。


 スミレが悲鳴をあげて二つの鼻先をがしっと掴んだ。振り払おうと頭をぶんぶんする狐に、スミレの悲鳴が警報機みたいになる。


 そこへ、帰宅した和尚さんがヘルメットを小脇に小走りで駆けつけてきた。五時までデートしているはずの若い二人と、稲荷明神の御使いの白狐びゃっこが二体いる光景に、目をぱちぱち。


「あれ? 街へお出かけするんじゃなかったのかい?」


「それどころじゃないわ! 和尚さ~ん! なんとかして~!」


 和尚さんが赤い鳥居をくぐってやってきた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る