第37話   宴のお母さん

 夕紅寺の石階段を上っていく途中、宴が誰かと話している声が聞こえて、スミレは足を速めた。


 和尚さん自慢の庭園が、いつもと変わらず、スミレを出迎える。


「すみれ〜」


 水色のジャージを着た百瀬と話していた宴が、へにゃっと笑いながらスミレに向かって片手を軽く振った。今朝よりも色素がずっと薄くなっているけれど、青い空を映した双眸と、ほんのり上気した頬が、宴に活き活きとした実態を与えている。


「ここにいれば、椿を返しに来たすみれと会えるかもしれぬと思っていた。まだ門限の五時まで二時間ほどあるが、今日ほど皆に別れの挨拶を、しっかりと済ませたい気分はないのだ」


「草鞋、どこかで新しいのをもらったの?」


「肋介の縁でこさえたのだ。今日一日しか保たぬが、大変助かっている」


 宴が自身の足元を、柔らかく見下ろした。土で汚れた白い足袋を、しっかりと編み上げられた草鞋が守っている。本物と、区別がつかない出来栄えだった。


 気まずかったのだろうか、今この場に肋介の姿がないのが、彼らしいとスミレは思った。


「すみれと別れた後、肋介と山のあちこちを見て回った。私の陣地は、やはり麓の、ご老人宅の付近に決まった。しかし、未熟な私が人間に近づき過ぎるのも良くないと言う店員の言葉も一理あると考え、民家三軒分ほど感覚を空けて、陣地をこさえる予定だ。完成した暁には、すみれにも遊びに来てほしいのだ」


「わかったわ、楽しみにしてる。宴が作る陣地って、どんなのかしらね」


「陣地の制作は初心者ゆえ、過度な期待はせぬようにな」


 軽く頭を斜めに傾けて、照れくさそうにする宴の、雪原のように輝く銀の髪が揺れる。その斜め後ろで、水色ジャージが暗い面持ちで立ちすくんでおり、宴が口にする特殊な話題にもなんの反応もしないので、さすがにスミレは百瀬を気にした。話しかけづらいオーラを放っている相手には、宴がいなければ、まだ無理だった。


「あの、百瀬くん、は……?」


「僕は、これから二十分ほど、散歩に行く予定です。たまには外にも出たほうが良いと、和尚さんが言うので」


 どうやらそのジャージも、本心から着たかったわけではないようだ。彼の胸元に、スミレが卒業した小学校の名前が刺繍されている。


 百瀬はスミレの視線に気づき、来年は小学六年生になるのだと話した。


「僕は他県から来た転入生です。この名前の学校に通うのは、春休みが明けてから初めてのことになるかと、思います……僕が、人目を気にせずに、学校に通えれば、の話ですけど」


 あまり会話したことのない女子の視線の先にも、敏感に気付いてしまうほど繊細な少年が、はたして、人目を気にせずなんて可能なんだろうかとスミレは思ったが、自分は中学校で、彼は小学校に通い、真逆の位置に建っているため通学路は交わらないだろうし、今までも特に接点があったわけでもないし、本人も話好きな感じでもない。赤の他人のスミレが気遣ってあげるには、限界があった。


「失礼します」


 一礼して、去ってゆく、細いジャージの背中。力強さを感じさせない足取りで、石階段を下りながら見えなくなっていった。


「今さっき百瀬と、城山での決闘について話していた。我々のことを、ずっと気にかけていたようだぞ」


「あら。和尚さんも心配してくれてたし、いろんな人たちに心配かけちゃったかしらね」


「大人は心配する生き物なのだと、お母さんが言っていた。百瀬は大人なのかもしれぬな」


 謎理論を展開する宴。それだと、お買い物の帰りが遅いお母さんを待つ幼児も、大人になってしまう。


(百瀬くんは、根は優しい男の子なんでしょうけど……。わたしよりも同性の宴のほうが、話しやすいかしらね)


 そう考えたスミレは、あんまり深入りはしないでおくことにした。そもそも、元気のない男子の扱い方がわからない。


「それじゃ、わたしは椿ちゃんを返しに和尚さんに会ってくるわね」


 スミレが気を取り直して、お寺の玄関口へ向かうと、耳慣れない女性の声が、お寺の中から聞こえてきた。はきはきとした勇ましいしゃべり方の女性で、声から伝わる気迫だけでも、強そうだった。ちょうど玄関で靴を履き替えて出てくるところのようなので、スミレはお邪魔にならないように庭の隅っこに移動した。


 そして、どんな女性が現れるのか気になって、嫌味にならない程度に、玄関のほうを注視していた。


「え……?」


 寺の玄関を、窮屈そうに腰を折って出てきたのは、優に二メートルは超えているであろう、高身長かつ体格も良い巫女さんであった。否、服装こそ神事に仕える者のそれだが、豊かな黒髪の毛量は、明らかに人よりも多く、艶々と輝いていて、その髪の生え際を裂くようにして頭部に生えているのは、二本の大きな、反り返ったつのだった!


 宴の角の色と、同じ色をしていた。


 スミレは、予想だにしなかった人物が出てきたため放心状態で立ちすくんでいた。


「すみれすみれ、あのでっかい女は、天界五本指に入る強さの、護神鬼の魔滅まほ。私のお母さんなのだ」


「えええ~!? 宴のお母さんなのぉ!?」


 オウム返しに尋ねてしまうほどの衝撃だった。


 宴が女性の傍らに移動し、えへん、と誇らしく胸を張ってみせる。巫女服の大きな女性マホは、視線だけで「何しとんじゃ」と宴を見下ろしているが、何もつっこまなかった。たったそれだけの仕草で、親子仲が大変よろしいことがスミレに伝わってきた。


 女性マホに遅れて、玄関の暖簾をくぐってきたのは、和尚さんだった。庭にいる全員の姿に、太い眉毛をひょっと跳ね上げる。


「おや、菫ちゃん。椿ちゃんを返しに来てくれたのかい?」


「あ、はい、そうなんです。今日もいっぱい助けてもらっちゃって」


 スミレは、右手に提げている籠を前に突き出した。辺りをジーッと眺めている椿の視線が、マホに釘付けになっている。


 スミレの視線も、すぐに女性のほうへ戻ってしまっていた。宴の母であることも相まって、その存在感が放つ異質さは、類を見ない。腰よりも長い豊かな黒髪と、宴と同じ色白の小顔のコントラストが美しく映え、目鼻のくっきりした、どこか肉食獣めいた強さを称える美貌が、人間と鬼との境目を表しているかのようだった。


 露出の少ない着物の上からも、はっきりデカイとわかる爆乳も、スミレの目には異質に映った。


(もっのすごくキレイな人だけど、おっきぃわね~、いろいろと……そう言えば、宴は護神鬼っていう種族なんだっけ。鬼って字が付くんなら、ものすごく大きい親御さんがいても不思議じゃないのかも)


 それにしても、この場の誰よりも大きな二メートル超の女性に見下ろされては、萎縮してしまう。スミレは、なんと言ってご挨拶しようかと考えあぐねるあまり、普通に「こんにちは」と丁寧に頭を下げた。


 ……宴の彼女になったなんて、言えなかった。


 女性の迫力に圧倒されたせいか、はたまた、気まずいからなのか、それとも上手く言葉が出てこない予感がする自分に、失望以外の思考ができなかったせいなのか。


 いきなり彼氏のお母さんが登場してしまい、何もかもが初めてだらけのスミレは、キャパオーバーしていた。


 宴から「彼女自分」の話題が出てくるまでは、スミレは自分から話題を振らないでおくことにした。聞かれたことだけ、しゃべろうと思った。そうしないと、とても大きな失敗をしそうで……。


「お母さん、私は今日、お母さんの他にも、守りたい者がたくさん増えたのだ」


 宴は城山に住所が決まったことを、端的に母に説明してみせた。そして、


「彼女もできたのだ~。昨日の夕飯時に話していた、人間の子供なのだ」


 ついにスミレが武者震いしていた話題にも触れた。


 それまで、口数少なく宴の話を聞いていたマホの、黒い瞳が、キロリとスミレを向いて細まった。


「ほう……この女子おなごがか?」


 どうやら宴は、母との夕飯時とやらに、彼女の話を伝えていたらしい。スミレは相手の親御さんに、自分から主張するのが恥ずかしくてたまらなかった。


 しかし、今日は初めてアカウントを作り、笑顔第一枚目を、ネットにアップしたのだ。緊張したし、載せた後で、固い表情に後悔したけれど、今日は、ずっとやってみたかった「可愛い服を着た自分の笑顔」を、初めて残してみせたのだ。


(新しいことを始めてみたのは、ネットの世界だけじゃなくて現実でも笑顔でいたいと思ったから。幸せそうに笑う宴に、釣り合う女の子に、なりたかったから! 大丈夫、わたしならやれる! 知らなかったいろんな事を、今日だけでたくさん、できたじゃない)


 うつむきそうになる自分に鞭打って、スミレは顔を上げた。


「あの! わたし……」


 どーん、と佇んでいるマホと目が合い、ちょっと萎縮してしまったが、すぐに立て直した。


「自己紹介が遅れました。夕紅寺の近所に住む、雛緒菫と申します。宴くんに告白して、彼女にしてもらいました。あの、わたし、人間なんですけど、でも、宴くんのために、たくさん笑顔でいるように、がんばります!」


 後半、何をしゃべったのか、自分でもわからなくなって焦った。変なことは言ってなかった、とは、思うのだが……スミレは不安になって目が泳いできた。


「笑顔でいるように、努めるとな?」


 突然ニヤリと笑われた。口の端から伸びる牙が五寸釘サイズで、スミレはヒエッと肩をすくめた。


「ふっふっふ……ハハハハハ!!」


 マホが大口を開けて豪快に笑う。両腕を組んだ際に見えた、筋肉隆々の古傷だらけな両腕は、肘鉄だけでチカンの顔面を陥没させられそうだった。


 ひたすら爆笑されて、スミレと宴が呆然と見上げていると、マホが目に浮いた涙をぬぐいながら、徐々に笑いを抑えていった。


「宴はこの先、人間のお前を数多く困らせることだろう。何度その顔を曇らせるか、知れたものではない。それでも我が息子のために、笑顔で分かり合える道を探ってくれると言うのならば、お前を息子の許嫁と認めてやらんでもないぞ?」


「い、いいなずけ!?」


 早々に親御さん公認の仲に、それどころか、飛び級した。


(な、なんで宴もマホさんも、すぐに結婚っぽく話を進めちゃうの!? 真面目過ぎじゃない!? ちょっとしたデートでも、シリアスに捉えられかねないわね……)


 さっきからびっくりしっぱなしで、スミレは一度深呼吸して自身を落ち着けることにした。


(笑顔の記録……思ってたよりも、大事な日記になりそうだわ……)


 人間ではない宴と、笑顔で分かり合える道を探すこと。過酷な課題かもしれない。それでも、ちょうどスミレがやり始めた笑顔の記録と、目的が合致しており、そこまで苦痛になるようには感じなかった。


「はい。宴くんとは、お互い楽しくお付き合いできたらな、と思っています」


 自分でも、驚くほど前向きな言葉が出てきた。


 今日だけで、自分が着実に変わっていっている気がする。それも、良い方向に。


(ずっと笑顔なんて無理なんだけど、まあ、気負わずに続けていきましょ。無理なら辞めていいって、お父さんも店員さんも言ってたし。それに……できるなら、本物の笑顔で記録をいっぱいにしたいわね)


 後に、彼氏の存在をネットで公表するほどのメンタルに成長するのだった。


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