第21話   人魚の出した条件とは

「この千年以上もの間、ワッパにすくわれるなぞ初めてだぞ」


「だろうな。返してくれるまで、何度でも掬い上げるぞ」


 鋭い八重歯を見せて、不敵に笑う宴。はたから見れば無邪気な少年なだけに、本当に何度でもやりそうな雰囲気を醸しだしている。


 人魚は、呆れたのか諦めたのか、その両方とも取れる顔で、椿を眺めた。


「この人形は長くはたん。叶継の最後の作品ならば、このワラワが時を止め、永久とわに、共にいる」


「人魚さん……返してくれないと、わたしたちずっとあなたのこと追いかけちゃうわよ?」


「この人形の足を泥まみれにするお前たちに、ワラワが返すと思うか」


 椿を抱きしめる人魚のジト目と、スミレの大きなアーモンドアイが火花を散らす。


「椿ちゃんには、行きたい所があるみたいなの。足が泥だらけなのは、しゃべれない彼女に歩いてもらって、実際にどこへ行きたいのかを、教えてもらってたからよ」


「ほーう、人形に道案内をさせたのか」


「椿ちゃんは旦那さんと待ち合わせしていて、その場所に行きたいみたいなの。稲荷神社の鳥居の前、つまり、さっき人魚さんと初めて会った場所がそうよ。今は、工事中で中に入れないんだけど、工事が終わったら、椿ちゃんと一緒にお参りをするわ」


「この人形が会いたい者とは、おそらく作者である叶継のこと」


 スミレは「ええ?」と語尾を上げた。


「作った人なら、旦那さんじゃなくて、お父さんなんじゃ――」


「この人形は叶継に会いたいのだ。ワラワにはわかる……」


 人魚が寂しげに、椿に頬ずりした。


(な、なんか、わたしの気のせいかしら、作者さんに会いたがってるのは、人魚さん個人の願望のような気がするわ)


 椿の中に入っている既婚者の女の子が、はたして誰の奥さんなのかは、まだわからないが、なんとなーく叶継ではない気がするスミレなのだった。


「人魚さん、叶継さんは、江戸時代の人だから、もう……」


 言い淀むスミレと交代するように、宴が「なあ」と人魚に声かけた。


「その叶継というのは、妖怪か? であれば存命かもしれないな」


「……人間だ」


 人魚のため息が、静かな森に大きく響いた。宴も残念そうに口をつぐむ。


「この人形は叶継を諦めきれずに、こうして体に負荷をかけてまで、歩きまわっておるのだ。なんと哀れな」


「でも、さっきの稲荷神社の工事さえ終われば、少しは気がすむかもしれないわ」


「その神社で叶継に逢えるわけでもあるまい。人形は納得せずに、また徘徊するであろ」


「たしかに叶継さんには、もう会えないけれど……」


 神社にお参りするだけでは、椿が納得しないと。ではどうしたらよいのかと、スミレは混乱してしまう。


「おい娘」


「菫です」


「おい菫、この人形が粉々になっても、願いを叶えさせてやるつもりか」


「それは……」


 会いたい人がいるのなら、椿の気持ちを優先したいスミレだが、無論、粉々になる椿なんて見たくないし、借り物である椿が破損してしまうのも問題だった。


「この人形は、もうすぐ朽ちる。叶継を捜して連日歩けば、もっと早くに崩れ去るであろう。それでも、気休めに神社へ通わせてやるのか? 人形が朽ち果てるのを、黙って見届けるつもりかえ?」


「わたしだって、椿ちゃんが割れるのはイヤよ」


「ワラワとて、同じだ。さらに、これは叶継最後の傑作。失われれば、この世にかの者が生きていた証が無くなる」


 人魚が椿をしっかりと抱きしめるその様は、まるで親子のようであった。


「ワラワが永遠に抱き、保存する」


「それはだめ! 返して!」


「なあ人魚、椿の他に、叶継の生きていた証があれば、それと引き換えに椿を返してほしいのだ」


 スミレがギョッとして、宴に振り向いた。


「なに言うの、宴」


「スミレ、これほどの腕前を持つ人形師ならば、何か現代にも手がかりを残しておるやも。それを探して、人魚にわたすのだ」


 簡単そうに提案する宴を、人魚がジト目で見上げていた。


「これほどの傑作の代わりなど、早々に見つかるわけなかろ」


「もしかすれば、そなた宛の手紙などが見つかるかもしれないぞ? 案外、叶継もそなたのことを気に掛けておったかもしれないのだ」


 絶対ないわ、とスミレは内心で否定したが、顔にも出さないでおいた。


 人魚が、無言で椿と宴を見比べる。それがとても長い時間のように、スミレには感じた。


「……ふむ、では探してきてもらおうか。ワラワも興味が湧いてきた」


「あなたは叶継さんの大ファンなのね」


? 不安なものか。海から見知らぬ山へと泳いできたのは、その、まあ、初めてだったがの」


 いったい人魚は、何をするためにこの山へ来たのだろう。日本のど真ん中、この仲ツ里ながつり県には海に面した箇所がない。さらに下半身が魚であり、水気の多い場所にしか長居できないという人魚にとっては、相当に過酷な旅路であったに違いなく、スミレはさながら異国の地まで聖地巡礼するファンのように思えた。


(しかも、相当にタチの悪いファンよね。人が持ってるグッズを強奪しちゃうんだから)


「ワッパよ、ワラワの肌が乾燥してきた。下ろしてはくれぬか」


「あ、すまないのだ。では、またここで会おう。絶対だぞ!」


「……。お前たちこそ、叶継の情報をたんまりと持ってくるのだぞ。ワラワは気の長いほうではないゆえ、あまり待たされたら海に帰るでな」


 宴が柄杓ひしゃくを地面に下ろすと、柄杓がほどけて細かい繊維状になり、人魚がドボンと泉の中へ。泉は散らばった繊維ともども、あっという間に地面に吸収されていった。


「また池ごと無くなっちゃった……」


 あんなにたくさんの水が、腐葉土たっぷりの地面に染みこんでいった。あとに残るのは、びしょ濡れの植物たちだけ。


 スミレは、とりあえずといった具合に、ため息をついた。


「宴が交渉してくれなかったら、今頃持ち逃げされてたわ」


 スミレは自分の短気っぷりを、ちょっと反省する。


「えっと、時葉ときわ叶継かなつぐさん、だっけ。なにか手掛かりが残ってないか、調べてみましょ。わたしも椿ちゃんのルーツには、興味があるわ」


「すみれの家の本に、記事が載っていたよな。有名な男ならば、手掛かりもすぐに集まるのだ」


 人魚は根っからの悪い妖怪ではないようだが、いつ気が変わって、椿を持ち逃げされないとも限らない。スミレは始終、焦燥に駆られっぱなしだった。


「なあ!」


 ずっと黙っていた肋介が、急に大声をあげたので、スミレはびっくりすると同時にイラッとした。


「もう、そんな大声あげなくても聞こえるわよ」


「なーんか、お前らだけでカナツグだのオキツグだの、わけわかんねーことばっか言いやがって! もうそっちはお前らだけでやれよ。俺様は俺様であのババア人魚をどかす方法を考えてくっからな!」


 肩をいからせて歩き去ってゆく肋介。残されたスミレと宴は、きょとんとしていた。


「わたしたちとは、別行動をするってこと?」


「そのようだな。なかなかに行動的で、責任感の強い男なのだ」


「もう、ただ横暴なだけよ。ここはみんなの場所なのに、俺様の俺様のって、そればっか!」


「ふふ。私たちも勝手にやればいいのだ」


 別行動でも別に構わない様子の宴に、ぷんぷんだったスミレも、ちょっと頭が冷えた。


「わたしたちだけって、どこに行くの?」


「先ほどの稲荷神社で、助言をもらっただろう? ラッキィスポイト、だっけか? 骨董品屋だそうだな」


「ラッキースポットね。うーん、わたしは個人的に、あのお店は、ちょっと苦手なんだけど……でも、椿ちゃんには代えられないわ。案内するわね」


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