第3話   着物の柄

 宴を連れて、お寺の石階段をおりていったスミレは、その先にある急角度のついた下り坂にも慣れっこなので、普通に歩いてゆく。


「ここはいつ歩いても、すごい角度の下り坂なのだ」


「宴はあのお寺に、何度も来たことがあるの?」


「毎年の季節の初めにな。お母さんといっしょに、一年に、四、五回くらい、椿の修理をするために訪問する」


「宴のお母さんは、お人形を直すことができるのね」


「いいや、母は私を連れてゆくだけだ。実際に人形を修理しているのは、私なのだ。専門ではないゆえ、十年余りも試行錯誤しているがな」


 宴が歩くたび、白い前髪が白いおでこの前で揺れる。肌に影ができていないように見えるのは、気のせいだろうかとスミレは小首をかしげながら、前を向いた。


(椿ちゃんのどこを修理してたのかしら? 特にいつもと変化ないけれど……)


 修理と聞くと、肌のひび割れや、着物の新調などを連想するスミレだが、特に椿に変わった部位は見られない。これ以上の修復も、無用のように思う出来栄えだ。


 誰も気づかない程度に、どこかを少しずつ直しているのだろうか? などと思っている間に、坂の終わりが近づいていた。


 商店街はまだまだ先だが、スミレは顔を上げて、だんだんと増えてゆく民家と小料理屋、喫茶店や商店に、驚く宴の顔を想像してみた。


「この先を歩くとね、商店街があるの。必要な物はだいたい売ってるから、何か必要だったら言ってね。売ってそうなお店、いっしょに探すわ」


「それはありがたい。今のところ、欲しい物は特にないが、すみれに欲しい物があったら、私もいっしょに探すのだ」


「あら、ありがと」


 夕紅寺は街から離れた高台に建っている。川沿いの桜並木は、人の多い商店街を抜けた先にあるので、スミレはふと、宴の真っ白な格好が気になって振り向いた。


「宴、ちょっとわたしの家でパーカーを貸してあげましょうか」


「え? なぜだ?」


「……あの、その格好が、切腹前の武士みたいに見えるのよね。時代劇の」


「切腹ぅ!? そんなこと初めて言われたのだ。和尚様は何も言わなかったぞ」


「気にしなかったんじゃないかしら。でも、わたしは、その……」


 宴のショックを受けた顔に、たじろいでしまうスミレ。ふと、彼の真っ白だった着物のそでに、薄緑色が付いていることに気がついて、スミレはさっきまで考えていたことを忘れた。


 薄緑色の生地はひじょうにゆっくりだが、じんわりと色が濃くなっているようで、うっすらと桃色の花びら模様も、浮かんできた。


「その着物、そんな模様があったかしら?」


 袖の先から、桃色や薄紫色に染まってゆく。


「すみれが楽しそうだから、すみれ色に染まってみるのも良いなと思った」


「え……? どういう、こと? 菫の花って紫みたいな色なんだけど、宴のはいろんな色よね」


「花ではなく、今目の前にいるすみれと、この周辺のえにしに染まっているのだ」


 縁とは。風情のある言い回しを選ぶ宴に、スミレはちょっと吹き出した。


「ふふ、つまり、気温とか湿度で、模様が変わる服なのかしら。あー、こんなときスマホがあればねー、すぐに調べるのに」


「しゅまほー?」


 なんと、小首をかしげる宴の、肌の色や、目の色、髪の色まで、じんわりと色付いてきている。真っ白な髪の先端が、じわじわと薄緑色を吸い上げるように染まってゆく。


 なんだか、濃い色水に浸けたティッシュみたいだと思った。


「もしかして、宴……おばけなの?」


「おばけではないぞ」


「でも……歩いているうちに、どんどん色が付いてゆく人って、わたし、初めてだわ」


 スミレは肩をすくめて、柔らかく笑った。


「とっても不思議だし、すっごくキレイ! うふふ!」


「よ、よくわからないが、ありがとうな、すみれ」


 友人になれそうなら、万事オッケーなスミレだった。不思議なのは宴も同じ気持ちである。


「私も、すみれみたいな少女は初めてなのだ」


「あら、そう? 変かしら」


「たぶんな」


 そんな言葉とは裏腹に、宴はどこか、嬉しそうにしている。


「すみれは……私のような、ほとんど不可視な存在と会うのは、初めてではないのか?」


「え? おばけとかに会うのは初めてよ?」


 スミレの即答に、宴がちょっとびっくりしていた。


「初めてなのか? しかし、そのわりには、いろいろと平気そうだが」


「どうして、そんなこと聞くの?」


「すみれは、というモノに、聞き覚えはないか?」


 するとスミレの顔がぱっと華やいだ。


「私の好きなマンガに、ユーレイの男の子と女子高生の、そういう設定のがあるわ! ヒロインがとっても可愛いの! 絵がとにかくすっごいステキで、あ~わたしも、あんな可愛い制服が着られるんなら、受験勉強とかがんばっちゃおうかしら。似たような制服の高校が、他県にあるらしいのよね。あ、なんの話してたっけ?」


「……つまり、すみれは、おおまかな知識はあるということだな」


 スミレの話のほとんどがまったくわからないままに、宴が苦笑していた。


 そう言えば言葉に詳しくないって言ってたっけ、とスミレも少し反省した。テンションが高まると、つい一気におしゃべりしてしまう。


「あ、そだわ、あなたの姿は他の人に見えないの? だったらわたし、街中で変な子だって思われたくないから、人の歩いてるところでは宴とお話しができないかも」


「ん? ああ、そういう心配もあるのか」


 初めて知ったのだ、と宴が言った頃には、彼の着物に明るい景色が映っていた。これは、夕紅寺の庭に咲いていた植物たちだ。ほんわかした輪郭のがらなので、夕紅寺に詳しい者でなければ、庭の景色とは気づけなかっただろう。


「その心配なら、いらないのだ。私はもうすぐ、誰とでも触れ合えるようになる」


「え……? それは、いつごろになるのかしら?」


 その答えを宴から聞く前に、若い女性たちの話し声が聴こえてきて、スミレははっと前を向いた。


 スマホで自撮りを楽しむお姉さん二人組が、反対方向から歩いてくるところだった。一人が片手に、夕紅寺のパンフレットを持っている。


 寺社めぐりをしている観光客のようだった。


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