第3話   追われている?

 交通量の多い国道に架かる歩道橋、少年二人は瞬く間に駆け上って、ワンワンと響く大型犬の鳴き声を道標に、目的地めがけて駆け降りていった。


 絶え間ない魔除けの声に、頭痛がしてくる。それにも負けじと、一軒の民家の玄関先まで走ってきた。


 クッションとぬいぐるみでいっぱいの、子供の秘密基地になりそうなくらい大きくて立派な犬小屋を背にして、フリルたっぷりのピンクの首輪をはめた、見るからに凶暴そうな雄のシェパード犬が、歯茎までむき出して上空に向かって吠えている。


 宴と肋介がその視線を追ってみると、豪雪地帯特有のつるりとしたトタン屋根に、ぐったりと四肢を広げて横たわっている、小柄な少年がいた。鶴のように白い山伏の衣装に、漆黒色の翼が何枚も羽を落とし、二枚歯の高下駄は片方失くなっている。


 その片方を、肋介がどこからか拾ってきた。「これか?」と視線で宴に尋ねるので、宴はうなずいた。


 二人が声をかけようとした途端、民家のベランダの窓がガラリと開いて、住民らしきエプロンを着た女性が顔を出した。


「ドリアンちゃーん? どしたの、そんなに吠えて。何か怖いことでもあったの?」


 女性は掃除している最中だったらしい、片手にハタキを持っていた。


 ドリアンちゃんと呼ばれたシェパード犬は、あんなに険しかった顔をころっと緩めて、ふんふんと甘えたような鼻声を出しながら、前足で屋根を指さそうとしている。


「ん~?」


 女性の立っている位置からでは、屋根の上が見えない。


「鳥さんでも落ちてきたの? ちょっと待っててね」


 女性はベランダの窓を閉じて、部屋の奥へと引っ込むと、


「お父さーん、屋根の上に何かいるみたいなの、ちょっと見てくれない?」


 はたして、この家の住民に霊感があるかはわからないが、どちらにしても屋根の上で倒れている少年にとって、良い結果にならないのは明白だった。


 宴が小さく「よし!」と気合を込めた。


「私が行って救出するのだ。肋介は、いざとなった時に下で住民の注意を引いてほしい」


「わかった。ドリアンのヤツは容赦なく噛んでくるから、気を付けろよ」


「うっ、用心しよう……」


 誰もいない方向めがけて、半狂乱になって愛犬が吠えていたら、もしかしたらそこに、何かいるのかもしれない。


 宴がかなり気合を込めて、草履でアスファルトを思いっきり踏みしめ、蹴り上げて、ドリアンちゃん家の屋根に飛び乗った。


「なあ宴」


「ん? どうした?」


「お前もしかして、めっちゃくちゃ重てえのか?」


 宴がギョッとしたのを見て、肋介が目を細めて呆れた。


「べつに隠すことねーじゃん。飛んだり跳ねたりが大変なら、交代するぞ」


「大変な事は無いのだ。肋介、このことは秘密にな」


「俺様が黙っててやっても、すぐばれるぞ、それ」


 民家の屋根を踏み潰してしまうほどの体重を隠すために、常時自らに術を使っていたのだった。


(あーびっくりしたのだ。他者の陣地を破壊する時だって、絶対に気づかれないように気をつけていたというのに。やはり動作の一つ一つを凝視されると、勘づかれるものなのだな……)


 ちょっと傷ついた宴だったが、すぐに切り替えて、目の前で苦しげに呻いている少年を見下ろした。そっとかがんでみる。


「大丈夫か? しっかりするのだ」


 少年の目がうっすらと開いた。と思ったら突然目をカッ開いて、高下駄で屋根を蹴って距離をあけてきた。そのあまりの素早い動きに、宴は呆然とする。


「何もしないのだ。空から落ちたのだろう? 怪我はないか?」


 少年は落下時に肩をぶつけたのか、痛そうに片腕でかばっていた。白い懐には、険しい表情の鴉のお面がのぞいている。落下時にとっさに顔から外し、懐に突っ込んだことで破損を免れたようだった。


 よほど大事なお面なのだと、宴は察する。


 少年は空をきょろきょろ、焦りを隠しきれない様子で見まわした。何か探しているのだろうかと、宴も見上げてみる。


 トンビが一羽、弧を描いているだけだった。


「何もいないぞ?」


「……」


「もしや、何者かに追われているのか?」


 少年の黒々とした大きな瞳が、宴に釘付けになった。どうやら図星らしい……。丸みを帯びた幼い顔立ちに、泣いていたのか赤く染まったまぶた、そして紅を塗ったような真っ赤な唇は、強く噛みしめていたせいではないかと、宴は思う。


 なぜこんなにもボロボロの状態で飛んでいたのか。宴は少しでも少年を安心させてやりたくて、声やしゃべり方に緩やかさを交えた。


「ひとまず、ここから下りよう。どこか休める場所で、事情を聞かせてほしいのだ」


「……神使しんし……? 神通力の気配がしまする」


 少年の呟きに、宴はうなずいた。


「私は宴という。あの城山で世話になっている。まだ見習いだが、天界の神使の、護神鬼なのだ」


「……違いまする」


 小声で否定された。その声は弱々しく、甲高く、そして警戒心に満ちていた。


「違わないのだ」


「いいえ。護神鬼に、男はおりませぬ」


 宴の、曇り空を写した両目が、はっと見開かれる。相手は天界の神使について、知識が深いようだった。


「私が唯一、男の身の護神鬼なのだ。嘘ではないぞ? ちゃんと天界の名簿にも掲載されて――って、どこ行くのだ!?」


 烏天狗の少年は逃げるように飛び去っていってしまった。しかも、先ほど宴たちがいた城山の方角へ。


「バーカ、逃げられてやんの」


「うぬぬ、警戒されてしまったのだ」


「しかも俺様たちの縄張りめがけて一直線じゃねーか。おら、行くぞ」


「面目ない。私の自己紹介の内容に、不備があったようだ。もっとよく考えて、練り直さなければ」


「んなの後にしろよ。先行ってるぞ」


 置いていかれて、大慌てで屋根から下りると、ドリアンちゃんに吠えられながら、城山へ引き返していったのだった。


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