第4話   幻術使い

 高下駄を片方だけ持って行ってしまっている肋介の背を追って、宴は城山の麓へと戻ってきた。すでに肋介の姿はなく、この場にかすかに残った肋介の妖力を、歩いて辿り始めた。


「ベテランの神使しんしならば、走りながら相手の痕跡を追えるのだろうなぁ。私だってそのうち、できるようになるのだ」


 唇をとんがらせながら、一人で山道を歩いていると、何やら妙な気配に包まれたような気がした。


「ん?」


 辺りを見回すが、さして変わったところはないように見える。小首を傾げる宴の横を、ランニングする一組の男女が通り過ぎてゆく。


 まだ宴の姿は、霊感の無い人間には認識されない状態にある。宴が「大勢に会いたい」と望みながら、周辺に有る数多の縁を分けてもらい、時間をかけて自身を染めていって、初めて全ての人間から認識される。短時間しか保たないのが欠点だが。


 猿や犬には何もしなくても認識されるのに、なぜ人間にはこのような手間をかけなければ会えないのかと、疑問に思った宴は教科書を漁ってみたことがあった。けれど、答えは載っていなかった。


「……なんだか、胸騒ぎがするのだ。さて、どうしようか」


 少し悩んでから、宴は「大勢に会いたい」と願うことにした。そうと決まれば、森中の意志あるモノたちから、縁を分けてもらいに歩く。


 宴の白かった着物が、肌が、どんどん色づいてゆく。新緑色が袖に写り、帯に樹木の色が写る。髪の色は特に決めていなかったのだが、永くこの地に埋まっていた岩石の、最近頭をのぞかせたのが色を与えてくれた。


 宴は呆然としながら、前髪をいじる。


「ふむ、石色の髪も良いものだな」


 城山の縁を身にまとって歩くこと、しばらく。


 あのマラソン男女が戻ってきた。着物姿で単身歩いている宴の姿に、少し目を留めたものの、そのまま走り去ってゆく。


「宴ー!」


 肋介の声が頭上から。遅いとか文句が飛んでくるかと思った宴だったが、枝葉を揺らして目の前に降りてきた肋介は、焦った顔をしていた。


「お前どこにいたんだよ、捜したんだぞ!」


「え? 道なりに山を登っていたのだ。肋介の妖力を辿りながらな」


 先に姿が見えなくなったのは肋介のほうだというのに、なぜにこちらが捜されていたのか。


「肋介は先ほどの烏天狗の小童を追っていたのであろ? なぜあやつではなく、私を捜していたのだ?」


 肋介が口を開いて何か言おうとした、その時、さっきのマラソン男女が、また前方から走ってきた。


「え?」


 疑問に声を上げたのは、女性のほうだった。さっきすれ違った宴が、また前方に立っているのが見えたのだから。


 女性は怪訝な顔で小首を傾げ、並走する男性に「ねえ、あの子、さっきの」と話しかけながら、宴と肋介の横を走り去っていった。


「肋介、私はさっきの二人組と少し前にもすれ違ったのだ。あの髪型、あの服装、走り方のクセまで、二人そろって瓜二つであった」


「お前、まーた大勢の人間どもから認識される術を使ってんのかよ。絶対めんどっちい事になるから辞めとけって言っただろ」


「肋介は指示が多いのだ」


 従う気配のない宴に、肋介はジト目を向けるだけで、それ以上の文句は言わなかった。宴の使う術のたぐいが、縁をもとにしているのを知っているからだ。


 そうこうしているうちに、先ほどの男女マラソンランナーが、またまた前方から走ってきた。この道は緩やかな坂になっており、決して輪っか状になってぐるぐる走れるような形状をしていない。にも関わらず、二人組は三度も宴の顔を見るなり、「ええ!?」と大声をあげて立ち止まってしまったので、宴が気転を利かせて「私は三つ子なのだ。そっくりだと、よく言われる」と、とっさに嘘をついた。満面の笑顔で。


「なーんだ、三つ子か。びっくりしたー」


「三兄弟で同じ衣装を着てたのね」


 若干の無茶があったのは宴も否めなかったが、男女のランナーが納得して走り去っていったので、ひとまず安堵に胸を撫でおろした。


 このまま宴がこの道を歩いていれば、またまたさっきの男女に遭遇するかもしれない。宴は肋介に続いて、最寄りの大木のてっぺんまでひょいひょいとよじ登って身を隠した。


「なんだか妙なことになっておるな」


「小せえとは言い難い山一つに、大規模な幻術を使ってきやがる」


「……先ほどの、烏天狗の小童の仕業なのか?」


「どう考えたって、そうだろ。あいつが城山に突っ込んできたとたんに、即この状況だぞ」


 それだけで決めて良いのだろうかと思う反面、肋介の話にも一理あると考えた宴は、ふと、肋介が未だ片手に持っている高下駄に目を留めた。枯れる寸前の老木から削り出したかのような、ごつごつしつつも優しい丸みを持つ、履き心地の良さそうな。しかし宴や肋介の足では、この小さめの下駄は鼻緒すら満足にはまらないだろう。


「その下駄、届けてやらねばな。案外、我々に下駄を盗られたと思い込まれて、一方的に敵対されておるのやも」


「ああ? 俺様がせっかく拾ってやったのに、その恩がこれかよ」


「我々は今、あやつに大変警戒されておる故、邪推されていてもおかしくはないのだ。鴉のお面といい、この履物といい、どれもかなりの年代物。それだけ己の道具への愛着がすさまじいのかもしれぬ」


「じゃあ、返しに行くか。つっても、どこにいるかわかんねえし、追いかけようにも、俺様までぐるぐる回って迷子になるんだよ。お前も困ってただろ?」


 肋介が宴を捜していたのは、舎弟の宴も迷子になって悲しんでいるのではないかと心配してのことだった。宴はまだ不可解な迷子は経験していなかったのだが、


「困ってたのだ」


 と答えておいた。


「宴は縁とか、そういうの得意なんだろ。この高下駄から、持ち主の居所はわかるか?」


「うむ、任せてほしい」


 肋介が宴に下駄を投げ渡した。受け取った宴は、さっそく下駄から縁の糸を引き出しに取り掛かる。利き手の人差し指と、親指をズブズブと突っ込んで、指先に触れる繊維の感触を――


(う、糸が多くて、引き出しにくいのだ。代々受け継がれて大事にされてきたのだな)


 こういった道具類には、付喪神が憑いてしまっている場合がある。そうなると、その付喪神が協力的でない限り縁を引き出させてくれず、最悪の場合は戦闘になって、宴が勝つと道具のほうが修復不可能なほど破損してしまう。


(……付喪神はおらぬようだな。よし、最近できた新しい縁を引っ張り出してみるか。きっとあの小童の縁なのだ)


 初対面同然の相手に探りを入れるのは、大変であった。スミレや肋介などは、宴のすぐ目の前にいて会話もできたため、足りない情報は本人たちに尋ねて補いながら、すんなりと術が使えた。しかし、名前も知らない誰かの落とし物では……宴の実力ではほとんど賭けであった。


「ん……?」


「どうしたよ」


「まずいことになったのだ!」


 宴がバッと指を引き抜いて、下駄を木の上からブン投げた。しかし下駄は目の前の空中で停止し、乾燥と年季により細かくヒビ割れていた箇所から、白い霧が漏れ出して、ゆらゆらと濃度を増していった。


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