第32話 城山の番人②
「すみれ、あの『
「あの大きな手のほうは、主じゃないのね?」
「あれは、兵士だろうな。主は何人もいる場合や、主を明確に示さぬ戦い方もある。ちなみに私は、侵入者や挑戦者、道場破りといった立場だな」
少し離れた木陰にいるスミレに声を張って説明しながら、宴はサイのような骨格妖怪の動きを観察していた。サイのようなモノは、前足で地面をゴリゴリと削って勢いを溜め、ひたいを前に突き出すと、一直線に大突進してきた。その顔の角度的に、宴の姿どころか前も見えていない様子だ。
宴がひょいと飛び退いてかわすと、サイのようなモノは桜の木に激突して、座り込んだ。陣の中の植物は本物ではなく、折れても燃えても、ふんわりと輪郭を溶かしながら再構築されてゆく。斜めになってゆく桜の木は、いつの間にか時間を巻き戻したかのように、立ち直る。
(突進を繰り出すほうの動きは、単調のようだ。問題は、この手のほうか)
肋介の肋骨を突き破るようにして出てきたのはサイのほうで、巨大な片手は、地面から生えてきたほう。全部の指を使って地面を走り、なかなかの速度を出しながら宴と一定の距離を取っている。速度があるだけに油断ができず、宴の注意は大きな手のほうに向きがちになってゆく。
ゴリゴリと地面を掻く音がして、宴は「またか」とサイの直線上から離れようとした。ところが、今度のサイは前を見ていないにもかかわらず絶妙なカーブをつけて宴のすぐ目の前までやってきた。
「うわ!」
「宴!!」
とっさに菫色の薙刀の柄を横に構えて盾とし、サイの頭突きをなんとか抑えた。しかし油断していた分だけ踏ん張りが間に合わずに、二メートルほど後ろに押されて、草鞋が壊れてしまった。
宴はサイの勢いが若干弱まった頃合いを見計らって、平均台で逆立ちする体操選手のごとく、ひらりとその背に飛び乗った。
「痛っ! 背中の骨の全てがトゲトゲなのだ」
「宴、降りたら? 足袋まで脱げちゃって、裸足じゃない」
「いや、降りぬ。まだこの背には、用がある」
闘牛のごとく激しく身体を振って落とそうとするサイのようなモノ、だが、トゲの間に裸足を差し入れ、さらに刀身を深く骨格の隙間に差し込んで体を固定した宴は、跳ね回るサイの上で、大きな片手の反応をうかがった。
大きな片手は、サイの周囲をバタバタと指で走りながらも、近づこうとしない。
(さあ私ごと叩いてみよ! このサイもバラバラになってしまうぞ)
しかし大きな片手は、周囲をぐるぐると回っているだけ。スミレにはそれが無意味な動きに思えたが、
(この片手の骨には、はっきりとした自我があるな)
宴の視野の外へ移動したいかのごとき片手の素早さに、宴はサイに突進の指示を出していたのは、この片手なのだと確信した。
サイは指示通りの道順で突撃し、当たれば儲け、当たらなくても、獲物を大きな片手の近くまで誘導する役割なのだと、宴は察した。
しかし今、宴がサイの上に乗ってしまっている。しかもサイは「主」であり、片手が問答無用で宴ごと攻撃してしまっては、サイも傷つけてしまい、最悪の場合、自滅する。
だから片手は、やみくもに攻撃してこない。だが、もしも攻撃する動きを見せたら、宴はサイから片手のほうへ、飛び移れるか挑むつもりだった。
(では、肋介の次に取るであろう行動は――サイの動きを止め、私だけを狙いやすくするはずだ。今のサイは跳ね回りすぎて、片手に余る)
大きな片手の大きな指全てが、グッと関節部を曲げ、そして勢いよく地面を弾いて、飛んだ。
(ぬ? 飛んで接近してきたぞ。ならば叩き落としてくれよう!)
骨の手の甲を、叩き割るべく振り上げた刀身。
しかし、片手の中指と親指だけがくるりと輪を作り、中指がビンッ!! と宴の体を吹っ飛ばした。
「きゃあ! デコピン!?」
あんなにしっかり体を固定していたはず、それなのに、宴が背中から地面に落ちてしまい、勢いとまらず後ろに一回転して、激しく咳き込んだ。
「宴、だいじょーぶ!?」
「唾が、変なところに入った」
胸を押さえながら、よろよろと立ち上がる宴。どうやら胸部を強打したようで、咳がなかなか止まらない。
「あと一分よ、宴!」
スミレの不安がる気持ちが、刀身をぐねらせる。宴はすかさずスミレに振り向いた。強気な笑顔を浮かべて。
「すみれ! 勝てると強く信じろ!! だーいじょうぶなのだ!」
スミレがハッとなって、うなずいた。
「うん! 宴なら、絶対に勝てるわ!! がんばって!!」
大きな片手が、サイに指示を下した。サイが宴めがけて前方不注意な大突進を繰り出した。
それまで苦しげに咳をしていた宴が、急にニヤリと口角を上げる。白い着物の下には、いつぞやの、スミレが怪我をしないようにと祈りをこめた縁の糸が、しっかりと鎧を形作り、主人を戦闘不能から守り抜いていた。
さっきの衝撃が響いたため鎧は消えてしまったが、時間も残り僅かであり、宴に気にしている余裕はない。
盾代わりにしていた柄を両手に構え直し、菫色の輝く刀身の、その鋭い切っ先を、突撃してくる頭蓋骨の眉間に向けた。
『主』の文字に、ガキンッと切っ先が当たるが、突き刺さるに至らない。
宴も、踏ん張らずに後ろに押されるままになり……桜の木の幹に背中がついた瞬間、薙刀の
恐ろしい勢いを消せぬまま、眉間に刀身の先を着けたまま、桜の幹に激突したサイの眉間に、釘のごとく薙刀が貫通してしまった。
「グアアアア!!」
肋介のような、違う声のようにも聞こえる濁声が、辺りに醜くビリビリと響いた。
漂う異様な空気が、いつも通りの清々しい山の匂いと、優しい春風に、戻っていった。
辺りにぶらさがっていた髑髏が一体残らず消えてしまい、異様な圧のあった空間が、消えたようにスミレには感じた。この肌を撫でる春風は、自分のよく知る本物の風。
陣が破壊されたようだ。
本物の桜の木の後ろから、よろよろしながら肋介が出てきた。痛そうにおでこを両手で押さえながら。
「アゥアア〜……あ、頭が割れる……」
「なんと! 主の正体は肋介の頭だったのか。ずいぶん固かったのだ」
肋介の両手の隙間から、肌に覆われているはずのおでこに深い亀裂が入っているのが見えた。出血していないのが不思議なほど、くっきりと割れていて、大仰天したスミレは思わず駆け寄った。
「大変ヒビが入ってるわ! ど、どうしよ、ばんそーこー貼っとけば治るかしら」
手提げの編み籠をがさがさと漁るスミレに、おでこをさすっていた肋介が我に返って両手を下げた。
「こんぐらい、山で寝てれば治らあ!」
「あら、山すごいのね」
「肋介はこの山の神々に、愛されているのだな」
たぶん肋介は強がって我慢しているんだろうが、指摘するとよけいに反発するだろうから、スミレは何も言わないでおいた。
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