第16話   偽のおまわりさん?

「すみれ、上達が早いな! まっすぐ進めているのだ!」


 宴にかっこわるいところを見せたくない一心でがんばっていたスミレは、まっすぐ進んだだけで褒められて、逆にダサく思えてきた。


「うう……これけっこう、首が疲れちゃうわね……」


 蝶は一定の高さから下降してくれなくて、スミレは常に空を向いていなければならず、駆け足ができないのがじれったかった。前方に障害物や石ころがあれば、宴が事前に教えてくれるのだが、それでも通行人が近づいてきたときだけは、ひやりとした。上を向きながらふらふらしている女の子なんて、絶対にヘンに思われてしまうから。


 やがて青空に電線の黒と並木の枝先が増えてきた頃、スミレはいったん休憩を挟むために、首をもとの角度に戻した。目の前には、スキーの滑走路みたいな角度のついた、幅広の一本道。両サイドには主に民家が並び、旅館や薬局などは坂の上のほうにある。


(商店街や駅前とは真逆の方向だけど、これはこれで、すれ違う人が少ないから、あんまり警戒しなくてすむわね)


 坂を越えた先には、城山公園と、夕紅稲荷神社の白狐たちが話していた稲荷神社がある。今ここに椿がいてくれたならば、このまままっすぐに目的地へと向かい、少しでも問題解決の糸口を、探せたものを。


(こんなふうに計画がうまくいかなくて、遠回りしたり、用事が増えたりすることって、あるのね……。宴がそばにいなかったら、この道はすっごく悲しいふうに見えてたかもしれないわね……)


 それ以前に、お気に入りの人形が行方不明とあっては、お出かけなんてできる気分ではなかったかもしれない。


「ん〜? すみれすみれ、あれはひょっとして、落とし物というやつか?」


「え? どれどれ?」


 宴の視力はどうなっているのだろう、坂をかなり上がって、旅館の前まで来た。宴は乾いた側溝から、紺色の表紙の、小さな本のような物を拾い上げた。


 表紙には警察手帳、という四文字が、金色の文字で印刷されている……のだが、刑事ドラマやニュースの再現VTRで見る手帳に比べて、うすっぺらくて、安っぽい。


「これ、ただのオモチャみたい。城山公園には小さい子がよく遊びに来るから、ここに置いておけば、持ち主が気づいて拾ってくれるかもしれないわ」


 スミレが側溝のふちへ偽の警察手帳を置こうと、しゃがみこんだ、そのとき、


「あー! それ俺様の小冊子しょうさっし!」


 大げさに騒ぎ立てる声、そして今どきめずらしい一人称。

 スミレがびっくりして立ち上がる頃には、宴がすでに相手のほうへ振り向いていた。


 宴の白い着物の背中が、はっきりと見える。半透明だったさっきと比べて、景色が透けてもいない。


(椿ちゃんが近くにいるの!?)


 喜んだスミレだったが、道路のど真ん中に立っている細身の少年が、おまわりさんの格好をしていることに気が付いて、さらに制服の前がだらりと開いていることに目をしばたき、さらにさらに真っ白な肋骨ろっこつと、背骨らしき一本の柱が、腹部の代わりに露出している光景を目にし、しばらくの間、思考が吹き飛んでいた。


(え……? アハハ、見間違いよねー、そういう骨みたいな模様の、黒のTシャツを下に着てるのよねー…………)


 春風が彼の制服をめくりあげ、細すぎる腹部を、あらわにさせた。黒いベルトの中に、白い骨盤が見える。


「それ俺様のだ! 感謝してやるから、こっちに投げてよこせ!」


 おぞましい風体とは正反対の、元気過ぎて乱暴な言葉遣い。その顔は特に言及することがないほど人間っぽかったが、肋骨に降りかかるほど長い髪は真っ白く、ぼさぼさで、まるでやなぎのような不気味さをまとっていた。でもこの少年は元気いっぱいで、その温度差がスミレをますます混乱の渦へと突き落とした。


「今、あばら骨を出すことが流行ってるの!? 私がおかしいの!?」


「すみれ、落ち着くのだ。こいつは人間ではない」


「え……じゃあオバケなのー!?」


 尻餅をつきそうになったスミレの片足が、側溝にずっぽりとはまって「きゃああ!」と鋭い悲鳴が。宴がびっくりして振り向き、ばたばたするスミレの片手首を掴んで引き上げてくれた。


 そしてナゾの半ガイコツ少年と対峙する。


「初めまして、私は護神鬼ごしんきの宴という。そなたは、何者なのだ?」


「俺様は城山の肋介ろくすけだ。んん? そっちの人間のめすは、たまに夕紅寺で見かけるな。俺様が見えるようになったのか?」


「ああそうなのだ、肋介、この辺りに、着物を着た人形を見かけなかっただろうか。それが近くにあれば、すみれは我々と交流することができるのだ」


「え? こいつのことか?」


 肋介が体を少しひねって、背中にくくりつけている椿がじたばたもがいているのを見せた。なんと豪快にも自分の長い髪の毛で、椿を縛り付けている。


「ああ! 椿ちゃん! よかった、見つけてくれたのね」


「はあ? なんでお前がこれを探してるんだよ。寺の物だろ?」


「ええ。わたしたちは、和尚さんの代わりに探しに来たの。返してもらえないかしら」


「なんでこんな所に落としてんだよ。道ばたに転がってたんだぞ!」


 突然怒りだした半ガイコツ。スミレは困って、説明せねばと焦った。


「わたしたちが落としたんじゃないわ。なんでか椿ちゃんが勝手に動きだしちゃうのよ。今もあなたの背中でじたばたしてるでしょ」


「人形が動くわけねーだろ! ばかにしてんのか!?」


「今あなたの後ろで動いてるじゃないの」


 言われて、背中を見ようと首を回す肋介。しかし、頭の真後ろにある椿の姿は、フクロウのごとく頭部を反転させなければ、視野に入らない。


 ぶすっとして背中の髪を解こうとする肋介は、ふと顔に影が差したり差さなかったりすることに気がついて、顔を上げた。


「うおっ!? でっけえ蝶!」


 肋介は頭上を飛び回る大きな薄紫の蝶を、鬱陶しそうに手で払っていたが、ついに白い手袋越しの手刀で、まっぷたつに裂いてしまった。


「ああ〜! 何するのよ!」


 アスファルトに散ってゆく、四枚の羽。地面に触れたとたんにぼろぼろと風化し、ただの紫色に輝く粉になってしまった。スミレが絶句する中、肋介が黒光りする靴先で、粉を踏みにじる。


「妙な術なんか使いやがって。俺様の縄張りで勝手なことしてんじゃねー!」


 まるでコンビニ前にたむろする不良みたいなことを言い出す肋介に、自分の分身のような蝶を殺害されたスミレも憤怒。


「城山はみんなのものでしょ。公共の場よ!」


「いいや俺様の縄張りだ! 人間どもが勝手に入ってくるのを、俺様が特別に許してやってるだけだ!」


 二人の言い合いを、宴がきょとーんとした顔で眺めている。


「肋介、夕紅寺の和尚様が、その人形の帰りを待っているのだ。とりあえず一度、返してもらえないだろうか」


「この人形は大事な物だって、夕紅寺のじじいも言ってた」


「ん? じじいとは、和尚様のことか?」


「そうだ。お前らが探しに来たってのが本当なら、爺はこの人形を捨てたわけじゃないんだな?」


 もちろんよ、とスミレが口を挟んだ。


「じゃあ爺は引っ越さないんだな!? あの寺は無くなっちゃ駄目なんだ。絶対に、引っ越しなんかさせねーかんな!」


「ちょ、ちょっと待って、引っこし? そんな話、わたしは聞いてないわ」


 私も聞いていないのだ、と宴も付け足した。しかし肋介は白い眉毛を吊り上げたままだ。


「本当に本当だな!? これ返してやる代わりに、本当に爺が寺ごと引っ越さないか、確認して来い!」


「ええ!?」


「じゃないと返さないかんな!」


 肋介が大きく飛び退いて、二メートルほどスミレたちと距離を取った。よその家の庭にまで踏み込んでいる。


 自分で行きなさいよ、とスミレは口をとがらせた。


 宴は肋介が何を警戒しているのか、考えていた。


(和尚様、夕紅寺、そして引っ越しとは……。肋介は、和尚様に去られては嫌だと感じるようだな。二人は友人なのだろうか)


 宴は年に数回しか夕紅寺に寄らないため、彼らの交友関係には詳しくなかった。


「わかったわ。聞いてくるから、絶対にそこで待っててよね」


 スミレが眉毛を逆ハの字にしながら言い放った。


「宴、その子が逃げないか見張っててほしいの。いいかしら」


「わかったのだ。肋介、城山について、いろいろと教えてほしい。私は土地に詳しくなくてな」


 物腰が異様に柔らかい宴に、肋介が少々面食らっている。だが宴の温厚なペースに、短気で強引な肋介がいつまでも合わせてくれるはずがないと、スミレは全速力で坂を駆け下りたのだった。


「んもー! 行ったり来たりだわー! わたしヤセちゃうかも! あ、じゃあ走ってもいいかしらね、って、いいわけないじゃない! なんなのよ、もーーー!」


 絶叫とともに夕紅寺へと駆け込んできたスミレに、ちょうどお寺で結婚式を挙げるための相談に来ていたカップルが仰天していた。


「あ、す、すみません! ヘンな大声出しちゃって。あの、あの、和尚さんいますか?」


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