第19話   幻の池

 ブルーシートに覆われた稲荷神社の前で、スミレと宴は呆然としていた。


 城山全域を縄張りとしている肋介だけは、既知の事実であったため、特に驚くでもなく腰に両手をあてている。


「鳥居が老朽化してきたから、その修繕作業だとよ。狐の像なら、この青い覆いの奥だぞ」


 肋介が言い終わるかしないうちに、大工道具でカンカンする音、さらには機械でバババババッと何かを削る音が響いて、宴がびっくりしていた。


「な、中の御仁や明神様は、ご無事なのだろうか」


「あ? ただの修理だから、無事だろ? 中に入ってみるか?」


 人外男子二人が、ブルーシートに近づいてゆく。スミレが大慌てで呼び止めた。


「ブルーシートの中は危ないから、大工さんしか入っちゃダメなのよ」


「危ないとは?」


「えっと、たぶんだけど、まだ修理が中途半端で、いろいろ崩れてくるかもって感じよ」


「そうなのか。それは危ないのだ」


 宴が納得してくれたのは、スミレの説明の他にも、シート越しの激しい物音が聞こえてきたせいだった。中でどんな修繕作業が行われているのかは、大工さんのみぞ知ることである。


 突然、二枚のブルーシートの隙間がパッと開いた。否、何者かが指で広げた。


「何用だ」


 凄みのある声、そして何者かの大きな目が片方だけ、シートの隙間からスミレたちを凝視する。


 硬直してしまったスミレ。

 ブルーシートに近くいた宴が、丁寧にお辞儀する。


「お初にお目に掛かります、白狐様。護神鬼の宴と申します」


 どうやら相手は、狐の像の片割れらしい。スミレはほっとして、腕の中の椿を診てもらいに、おそるおそる、前に出た。


 そして、ここまで来た経緯を、性別不明だがたぶん男性とおぼしき相手に話してみた。夕紅寺の寺宝の人形が頻繁に動きだして困っていることと、ここへは夕紅稲荷神社の白狐たちから紹介されて来たのだと。


 相手は、ジーッと椿を見つめ、そして白く細い眉毛を寄せた。それが答えを出す合図なのだと、スミレは予想した。


「ほう……その人形の中にいる娘ならば、知っておる。お前たちだけでは、どうすることもできないがな」


「どういう事ですか? 椿ちゃんは、どうして動きだしてしまうんでしょうか」


「その娘は、生き別れた夫を待ち続けた。夫婦は待ち合わせに、稲荷神社の赤い鳥居前を指定していた、ただそれだけのこと。江戸末期に生きた娘の未練を、お前たちだけで、どうやって晴らせる」


「椿ちゃんに、旦那さんが……?」


 スミレはさっきまで妹みたいに思っていた椿が、既婚者であると言われても、すぐには信じられなくて、その小さな白い顔をのぞきこんだ。


 自分よりもずっとずっと大人な雰囲気……には、とても見えない。


「今日のラッキースポットとやらは」


 突然のカタカナ用語に、スミレは面食らって相手を凝視した。


「はい?」


「お前がよく知っている場所。歴史ある道具が揃っている、あの店だ。」


「は、ええ……? そこに行けば、椿ちゃんの旦那さんの手掛かりが見つかるんですか?」


 ブルーシートの隙間を作っていた指をはなして、相手は姿を隠してしまった。


 ちょっとムッとしたスミレは、ブルーシートに指を引っ掛けてみる。すると、工事中のおじさんと目が合ってしまい「工事中だよ」と声をかけられて、慌てて謝ったのちブルーシートから離れた。


「ええ? さっきのラッキースポットの、どういう意味かしら。椿ちゃんが動きだす原因はわかったけど、どうしたらいいかまでは、教えてもらえなかったわね」


「すみれ、ひとまずその店があるという場所に、案内してもらいたいのだ」


「え…………あ、わ、わかったわ。ちょっと、いえ、かなり変わったお店なんだけど……」


 スミレの苦手な店だった。しかもあの店の道中には、トイ★リンの火の用心のポスターをたくさん貼っている駄菓子屋さんがある。ファンなのだそうで、よい客引きにもなっているのだそうだ。もう何年も前から、スミレはあの駄菓子屋に入れないでいる。


「なあなあ雑草、あの狐から何か言われてたよな。あいつら、いろんなことに詳しいのか?」


 肋介が両手を頭上で曲げたり伸ばしたり、ストレッチのような動きをしながら尋ねてきた。


「え? ええ、たぶんだけど。ずっと昔からこの場所にある神社だそうだから、いろいろとご存知かなって」


「ふーーん……」


 肋介がブルーシートを、片手でバッサーと広げた。


「なあ狐、俺様も聞きてえ事があんだけど」


「ちょっと失礼よ! アホネ丸くん」


 片目と眉毛しか見えなかったとはいえ、ずっと歳上な相手にも、この態度である。


「俺様の縄張りに、最近ヘンな水たまりみてぇなのが湧き出るんだよなー。アレなんとかしてぇんだけど」


 半分ガイコツの少年が、現場に現れたとあっては工事が中断しかねない。スミレはブルーシートを閉めて、白狐の代わりに宴が応答してくれるよう、せっついた。宴が了承し、肋介に尋ねる。


「水たまりとは? なにがあったのだ?」


「よくわかんねーけど、山のいろんな場所から、湧き出るんだよ。気味が悪いぜ」


 半分白骨姿の肋介が、気味悪がるのは奇妙な感じがするスミレだが、ここは黙っておいた。


 椿が突然、口をカタカタと小刻みに鳴らした。しゃべっているように見える。


「うおわっ! あっちもこっちも気持ちわりーな」


「気持ち悪いとか言わないで! アホネ丸くんってモテないでしょ」


「ああ? いろんなもん持てるわ!」


 会話のやり取りが、めちゃくちゃである。それが宴にはおもしろくて、困り顔で微笑んでいた。


 椿がカタカタしながら見つめる先、大工さんのトラックが停まっている付近から、ざわざわと水が湧き出してきた。


「あら?」


 水気のない、乾いたアスファルトから、こんこんと湧き出る水は歪な円形を形作り、木漏れ日と青空と、雲を、鏡のごとく写し出した。


「うおお! アレだよ、アレ。あんな水が、湧いたり消えたりするんだよ」


「肋介、静かに。なにか水面下にいるのだ」


 宴に片手でベチンと口をふさがれただけで、顔面から突き飛ばされたかのような衝撃を受けて、肋介が転倒したが、宴は水面に集中していて、ぜんぜん気づいていなかった。


「なにかしら」


 戸惑うスミレを、さりげなく庇うように前に出る宴。


 水鏡の端から、ぬるりとのびるは青白い一本の腕。もう片方の腕も出し、両手でしっかり岸を掴んで、水しぶきを上げて一気に半身を出し、岸にぺちゃんと音を立てて腰掛けた。


 江戸時代の花魁のような帯を、胸や腰に巻き付けて、華やかに着飾っている。


 綺麗に結い上げた黒髪は、うなじや首筋に美麗な線をもたらして他者の視線を集めた。


 青白い、小作りの顔が、すらりとした切長の両目とともにスミレのほうを向く。


(え? わ、わたし?)


 普通の挨拶をしたら良いのか、見なかったことにして歩き去れば良いのか、迷ったスミレは、ちょっとだけ微笑んでいることにした。


「アハハ、ど、どうも〜」


 スミレは小声で、「行きましょ宴、アホネ丸くん」と二人を急かした。


 だが、その声は、水面を大きく一叩きした魚の尾びれにより掻き消されてしまった。


「え……?」


 スミレの見開いた目に映ったそれは、青白い魚の下半身だった。景色を映す水面の下から、うっすらと、青白い尾びれが揺らめいている。


 スミレは宴の後ろに隠れてしまった。初めて会う妖怪は、恐ろしく感じるから。


「に、人魚さん、なの? ここは川も遠いし、海もないんだけど。こんなアスファルトの中から出てくること、あるのね」


 宴にだけ聞こえる声で、つぶやくスミレ。その両手で大切に抱きしめているのは、夕紅寺の寺宝、椿。


 その小さな人形を、硝子のような眼球で捉えたとたんに、人魚の青白いほっぺが桃色に高揚した。


「おお、その人形はまさしく、あの男の遺作!」


 包み込みたいかのごとく、のばした両手には、硝子がらすのように透き通った水掻きが、ほっそりとした指々の間から、木漏れ日を受けて輝いていた。


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