第18話 彼氏とは?②
坂は大きくカーブを描きながら、車と歩行者を山へと導いてゆく。傾斜もかなり大きく、慣れていないと足首を痛めたり、ベンチに座ってしばらく動けなくなる。
そんな坂を、小走りで元気に上がり続けるのは、スミレと
「元気ね、椿ちゃん」
息を弾ませてついてゆくスミレ。長い髪の毛もつられて揺れる。
「あなたの足が、とれちゃわないか心配だわっ」
「そのボロ人形、元気だなー」
スミレの後ろを、少し離れてついてゆく、肋介と宴。人通りがなくて静かだから、悪口がよく聞こえる。
「まあ、ボロ人形だなんて失礼しちゃうわ、ねー椿ちゃん。ん? そう言われたら、たしかに、昨日より元気いっぱいね」
スミレは後ろを振り向いた。
「ねえ宴、ちょっと気になることがあるんだけど」
「どうした?」
「なんだか、昨日より椿ちゃんがめちゃめちゃ元気なんだけど、どうしてかわかる?」
不思議なことは、同じく不思議な存在の宴に聞いてしまう。宴でもわからなかったら、スミレにも永遠にわからないままだった。
「あ」
「どうしたの?」
「昨日の、零点なのだ」
「え? なになに? なんのこと?」
「夕紅稲荷神社の、
後ろを向きながらの会話は、さすがにスミレも疲れてしまった。喫茶店前のベンチで、休憩を提案する。もちろん椿は応じないので、スミレが紐を引き寄せて、小脇に抱えた。
「元気なのは、結果オーライね。椿ちゃんの間接が、外れないといいけど」
椿を抱えて座っているスミレをよそに、宴と肋介はここいらの住所と、最寄りのお店や施設について、散策しながら話し始めた。宴の勉強熱心な性格には、ときおりついていけなくなるスミレである。
「ねえ、二人とも休まないのー?」
「疲れてはいないのだー」
同じ坂を走ってのぼったとは思えないほど、宴も肋介もぴんぴんしていた。
「元気じゃないのは、わたしだけ? 体力は無いほうじゃないんだけどな」
座ったら疲れが癒えてきたスミレ。だが、椿は神通力が尽きてしまったのか、スミレの膝の上でだらーんと体幹を崩していた。
「あらあら、ふふ。もう少ししたら、私が抱っこして歩くわね」
かくして、純白の髪に日差しを受けて輝く和服少年に、ポリス少年、アイドル似の美少女に、抱っこされた日本人形という珍集団が、城山公園へと辿りついた頃には、おやつ時で小腹のすく時間帯になっていた。
公園内にある焼き鳥屋さんから、タレたっぷりの炭火焼きが香ばしい匂いを春風に乗せて、スミレたちのもとまで届けてくれる。食べ盛りの少女でなくても、強烈な誘惑だった。
(食べたいけど、あんまりお金持ってきてないしぃ……)
ぐっと我慢する。それでも匂いは、胸いっぱいに吸い込む。
「ここが城山公園だ。中央に建ってる像は、この山の城主だぞ」
「おお、ご立派なお殿様なのだ」
公園はとても広いが、遊具はあまりなくて、遊んでいる子は幼児が多かった。公園の端には、ビニールの敷物が並び、親子がのんびりした時間を過ごしている。
「お弁当なのだ」
「え?」
「和尚様が言っていた。カレシとは一緒にお弁当を食べることなのだと」
「ちがうわ、宴。それだと、たまたま居合わせた人とお弁当を食べただけで、誰でも全員、彼氏になっちゃうわ。もっと、こう、親密な感じの二人って言うのかな、ああよくわかんなくなってきちゃった」
「そうなのか。では、ああいう
宴が視線で示す先には、黄緑色の敷物でお弁当を囲む、若い夫婦と、赤ちゃんが。
「あれは彼氏じゃなくて、旦那さんっていうか、お父さんよね」
「お父さん? 父親のことだな」
彼氏イコール父親というのも、極端な話になってしまう。スミレはもう少し軽めな意味での恋愛関係を示したかったが、宴にその辺りを理解してもらうのは、まだ無理そうだと思った。
「宴ー、これが自販機だぞ」
「おお、これが無人の販売機か」
宴が最寄りの自販機三台へと、すたすた歩み寄ってゆく。そして肋介に「色は違うが、この三つともが自販機よな?」と指さして確認している。
「ちょっと二人とも、寄り道しないで。それとも、のど乾いたの?」
あんまり小銭を持ってきていないスミレは、三人分も買ってあげられるかと、手提げ
宴が興味を示したのは、ジュースではなく、自販機そのものだった。どういった仕組みで商売をするのか、使い方は、何が買えるのか、肋介を質問責めにすることによって知識を吸収し始める。
(あら、肋介くんって意外と面倒見がいいのね。性格の根っこは、真面目なのかしら)
ちょっとだけ肋介を見直した矢先、真っ白だった宴の着物が、青や赤の奇抜な模様に染まっていった。会社のロゴまで浮かび上がっている。
「ちょ、ちょっと! 自販機の模様が! 宴の着物に!」
「歌舞伎役者みたいで、かっけーじゃん」
「ははは、本当だな」
宴が口を開けて笑うと、大きな
ロゴ付きの歌舞伎役者になった和服少年という、悪目立ちの塊となった宴を急かして、スミレは公衆トイレの陰に二人を押しやって隠れた。
「ねえ宴、その色はもとに戻せないの? 困るわ、ただでさえ目立つのに」
「何かに使えば、消費できるが」
「何かって? その、今日のチョウチョとか?」
「そうだな」
笑顔でうなずく宴。状況がよくわかっていないのか、目立っても平気なのか。さっそく、この建物に興味を示して、見上げている。
「壁にすみれが貼られているのだ」
「え? わたしが?」
見上げると、薄暗い公衆トイレの壁に、火の用心を謡う一枚のポスターが。
「トイ★リンのポスターだわ……」
「すみれではないのか?」
「違うわ、これはトイ★リンよ。
二人の話題についてこれない肋介が、ポケットに両手を入れたまま、ポスターを興味なさげに見上げている。
「あー、まー、言われてみりゃ、そっくりだな。ポスターの女のほうが、歳いってるけど」
「そっくりなのだ」
「その人、十七歳よ。わたしは十三歳になるのに、なんで似てるのかしら」
不服を
「言われてみれば、トイ★リンのほうが大人びて見えるのだ」
「雑草は、そっくりの妹って感じだな」
肋介に見下ろされて、スミレがきょとんとする。
「雑草? もしかして、わたしのこと?」
「まだお前を子分と認めるわけにはいかねー。雑草で充分だ」
「だれが子分になりたいなんて言ったのよ。それに雑草は名前がわかんない草の総称でしょ? わたしはちゃんと花の名前なんだからね」
「なに言ってんのかわっかんねーよ、バーカ!」
「わかんないの!? バカでしょ!」
説明口調で抗議するスミレと、自分の世界観でしゃべっている肋介のケンカは、なかなかに相性が悪い。好きな人の前で自分を侮辱されたくないという、乙女心ゆえの猛反発なのだが、宴はなぜスミレがそんなに怒るのか、よくわからなかった。けど、おもしろいから指摘はしなかった。
「肋介、花の名前に抵抗があるなら、別の名前で呼んではどうだろうか。たとえば、スミとか、ミレとか、スーとか」
「やなこった! あだ名で呼び合うなんて、かっこわりーだろ」
肋介が折れないので、宴はまた少し考える。
「ではすみれ、すみれも肋介にあだ名を付けよう」
「ええ?」
「それでおあいこなのだ。どんな名前がいいだろうか」
「じゃあ、アホネ丸くんね」
スミレがジト目で言い放つと、肋介がゲッと顔をゆがめた。
「ふざけんな雑草女!」
「あ、また雑草って呼んだわね、このアホネ丸!」
スミレは宴の背に半分隠れて、イーッと歯を剥き出してやった。
これには、宴もお手上げとばかりに肩をすくめる。ふと、視界の端に、稲荷神社の赤い
「あそこに稲荷神社の旗が見えるのだ。行ってみよう」
「あら、そうだったわ。城山の神社の狐さんたちに、お話聞きに来たんだった」
「話〜? 人形と走ったり、狐としゃべりに来たり、ヘンなヤツらだな」
三人が旗をたどって到着したのは、工事中のブルーシートですっぽり覆われた稲荷神社だった。
「あらら……」
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