第6話   椿と読書なのだ

「どうかしたのか?」


 宴が驚いた顔で、スミレを凝視している。


 ぷるぷる痙攣しながら、スミレの顔が赤くなる。


「それ、記事を切り抜く途中なの……」


「ああ、人形師の記事だけびろーんとなっているな」


 宴が八重歯を見せて雑誌を持ち上げて、ばさばさやってみせる。はんぱにハサミを入れられたページがびろーんと顔を出した。


「ねえ宴、今度から遊びに行った相手の家の物を、勝手に読んだりしちゃダメよ」


「読みたいと駄々をこねたのは、椿なのだ」


「椿ちゃんが動くわけないでしょー? そんな子供っぽい言い訳するなんて、ちょっと意外だわー」


 宴がちょっとくちびるをとがらせながら、となりに座っている椿に、人形師のページを広げて置いてあげた。


 スミレは持ってきた着替えを、順番に広げて見せた。

 イカ墨のように真っ黒な長袖のTシャツ、黒のフード付きパーカー、それと、ユニセックスのジーパン。


「これ、サイズ間違えて買っちゃったの。たぶん、宴の肩幅と腰幅なら、入ると思うわ」


 スミレから洋服類を受け取った宴は、両手に伝わる不思議な生地の感触に驚き、目をぱちくり。

 自らパーカーを広げて、大きく開いた前に、また目をぱちくりする。


「珍しい召し物だ。おびは私のを使うのか?」


「おび? ああ、帯はいらないの。このチャックってところを上げたり下げたりして、前を留めるのよ」


 うんうん、とうなずいているのは、ソファに座っている椿だった。茶色い硝子がらすの両目が、チャックの上げ下げする様子に釘付けになっている。まるで人の子のように瞬きしながら。


 それが視界に入ったスミレは、思考が吹っ飛んだ。……見間違いを信じて、宴に視線を戻す。


「ジーパンもチャックが付いてるの。前を留めるボタンも、こうやってしっかり留めてね」


「帯の代わりに、いろいろな工夫があるのだな」


 宴が何も知らないことを前提に話していたスミレは、これからも全部説明がいるのかと思うと、ちょっと先が思いやられた。


(こういう腹筋を鍛えるダイエットだと思わないと、続かないわね……)


 ついでに滑舌かつぜつの練習、発声練習にもなるかな、と次々思いつく。


 宴はTシャツも広げると、その黒々とした無地に、空色の目を見開いた。


「これは前が開いていないのだな。黒は着たことがないから、少し緊張する」


 洋服も知らない、この世間知らずっぷり。夕紅寺にも年に数回しか訪れないというし、どこか遠くの隔離された森の中で、母と二人、狩猟生活を送っているのだろうかと、スミレの想像力はどこぞへと飛躍してゆく。


 宴はスミレの着ている、チェック柄のワンピースへと興味が移っていた。首元の黒いリボンも洒落しゃれて見える。


「すみれが着ている召し物も、白と黒の細かな格子こうし模様が美しいのだ。とても丁寧に描かれている」


 お安く購入したプリント柄を、純粋に褒めてくれる宴に、スミレはちょっと気恥ずかしくなる。


「黒が好きなのか?」


「え? ……と、とくに好きな色は、ないんだけど」


 本当は明るい色が好き――


(……って言えたらなぁ。あれ? わたし、どうして、言えなくなってるんだろ……)


 ぺら、と軽い音がして、スミレは音の鳴るほうへ視線を移した。


 椿が雑誌をめくっている。そしてまだ切り取られていない記事文を、指でなぞってゆく仕草は、人形師の特集記事を読んでいるかのようだった。


 スミレは笑顔になった。笑顔のまま、後退りする。


「いやだわーわたしってば、それお母さんの着替えだった」


「ん?」


「今度はまちがえずに取ってくるから、待っててね」


 後ろ歩きのまま、居間を出ると廊下をダッシュして自室に戻った。そしてクローゼットに何年も封印される予定だった赤いランドセルを手に取って、また居間に戻ってきた。


「すみれ、それは?」


「シー」


 スミレはそろりそろりと椿に近づいてゆく。椿は読書に夢中であり、同じ記事を何度も指でこすっている。その隙に、スミレが小さな腰をガシッと掴んで、暴れたり引っかかれたりする前に、留め具を外したランドセルの中にスポッと入れた。


 ガタガタと振動するランドセル。


 ここに来てようやくスミレの恐怖心が、頂点にきた。


「イヤアアア!! 人形が動いてるわあああ!!」


「先ほどからずっと動いていたが」


「いつからよー!」


「そふぁの上で、書物を読みたそうに指を差していたから、いっしょに読んでいたのだ」


「そう言えばそんなこと言ってたわねー!」


 スミレは顔を覆って、じわじわと椿から離れてゆく。そしてとつぜん絨毯じゅうたんにしゃがみこんでしまう。


「すみれ、どうしたのだ?」


「どうして宴はそんなに落ち着いてるのぉ?」


「ええ? すみれは私のような存在とも、平気で話していたではないか」


「宴は生きてるーって感じがするから、動いてても怖くないわ。でも、椿ちゃんは! 昨日まで動かないのが普通だったの。それが、それがあああ!」


 絨毯につっぷして頭を抱えたかと思いきや、とつじょ廊下に出て、しばし往復するせわしない足音が響いた。


 ぼさぼさになった髪を手櫛で直しながら、スミレが笑顔で居間に戻ってきた。


「はあ、少し落ち着いたわ」


 そのかん、宴はずっとソファに正座したまま呆然としていた。


 スミレが「よし!」と覚悟を決めた声をあげて、両手を拝むみたいに合わせた。


「宴宴! お願いばっかりして心苦しいんだけど、その赤い鞄、わたしの代わりに持ってくれないかしら。その、ガタゴトしてるのがどうしても怖いの」


「お安い御用だが……そんなに恐れるとは」


 宴が怪訝な顔でソファから立ち上がり、初めて見るランドセルに若干警戒しながら歩み寄った。内側からバンバンと叩かれるランドセルを両手で持ち上げて、絶対に落とさないように大事に抱えた。


「して、このまま桜を見に行くのか?」


「まさか。とりあえず夕紅寺に戻りましょ。椿ちゃんは、あのお寺の大事なお人形なの。異変が起きたら、まっさきに和尚さんに相談したいわ」


「わかった」


「満開のときに、またお出かけしましょ」


 自分たちのお出かけを、気持ちよく見送ってくれた和尚さんのもとへ、この動くランドセルを届けるのは気が引けるが、このまま預かり続けることはできない。


 スミレも宴も、浮かない顔して夕紅寺へと向かうのだった。


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