第13話   庫裏(くり)で起きた大事件

 本堂(仏像を安置する建物)から廊下で一続きの、庫裏くり(お寺関係の人が生活する場)へと移動する。この小さなトンネルのような廊下の壁には、人々を励ます優しい言葉のポスターが数枚、貼ってある。


 そして斜光用の窓が、左右の壁に一つずつ。窓から見える、花の多い庭も、この時間になると薄暗く不気味な雰囲気を出し始める。


「ん?」


 今、なにかが動いた気がして、和尚さんは窓の外へと目をらした。風に揺れるツツジの後ろに、瑞々みずみずしさの失せた灰色の長い髪が、揺らめいていた。背格好は、宴より頭一つ背が高い程度で、なぜか今日は、交番に駐在してそうなおまわりさんの帽子と制服姿で立っている。


「あの子は、城山に住んでる妖怪の、えーっと名前は……」


 いつも何かしらのコスプレ衣装を着せられている彼は、今日もいている胸元から、白い包帯でぐるぐる巻きになっている胴体をさらしていた。


「こんな時間に、どうしたのかな」


 和尚さんは声をかけるために、窓を開けようとして片手をのばした。そのとき、腕の中の椿がじたばたしだしたので、慌てて両手であやした。


 再び窓に視線を向けると、そこには、誰もいなかった。


「何か、用事だったのかな」


 きっとまた来るかもしれない、そう思った和尚さんは、もがく椿を落とさないうちに廊下を渡りきった。



 障子戸と板壁で仕切られた、入母屋いりもや造りの木造建築。ちく数百年を誇る立派な建物だが、夏は暑くて冬は極寒という、悩み多き住居でもある。


 黒光りするほど、つやつやに掃除された床や柱は、この寺で修行中の小坊主さんや、僧侶の手によるもの。

 磨かれた廊下の、その曲がり角から、夕飯の支度したくを手伝っていたのか、腕まくりの袖を微妙に濡らした少年が現れた。


 和尚さんを見上げるなり、生気のなかった目がハッと見開く。


「和尚様、もうすぐ夕飯ができます」


「ああ、呼びに来てくれてありがとう」


 和尚さんは、腕の中でばたつく椿を押さえつけているのが大変になってきた。


「ええっと、このお人形を蔵にしまいたいんだけど、どこかで段ボールを見かけなかったかな」


「段ボール? それなら、古い書物を整理したときに、一つ余った物があります。持ってきましょうか」


「助かるよ。お願いするね」


「はい」


 少年はすぐに大きな箱を持ってきた。


「他に何か、お手伝いできることは」


「ああ、ありがとう。あとは儂がやっておくから」


「はい。では、夕飯の手伝いに戻っています」


 一礼して、少年の背中が曲がり角へと消えてゆく。礼儀正しいというよりは、正しい事に固執しているように、和尚さんには見えた。


「あの子は、肩の力が自由に抜けるようになったら、きっと笑顔が増える。いつか、そうなったらいいね」


 和尚さんは、あの少年を急かさない。今はなにを言っても、聞く耳を持たないと知っているから。もうしばらく、彼のしたいようにさせてみるつもりだ。


 段ボール片手、もがく人形片手といった忙しい状態で、和尚さんはぴかぴかに磨かれた廊下を、足袋たびで歩いてゆく。スミレが椿の面倒を見るようになってからは、段ボールも毛布も、そんなに重要にならなかった。そして和尚さんが目を離した隙に、いつもの段ボールが寺の者によって、片付けられてしまったのだった。


「今日の椿ちゃんは、本当に元気だねぇ。よし、じゃあ、いつもよりたくさん毛布もうふを足してあげようか」


 押し入れのある一室の引き戸を、片手であけて、淡いパステルカラーの小さな毛布を、というより、膝掛けを、数枚ほど取り出した。


 しかし、和尚さんも、少年も気づいていなかった。この段ボールは、底がぱかりと開いてしまうことに。畳に置いた段ボールを開けて、和尚さんは毛布を丁寧に、底に敷いた。椿を、孫と同じようにそっと寝かせる。


 そして、静かに蓋を閉めた。


「これで、よしと。えーっと、蓋が開かないように貼るガムテープはどこにしまったかな」


 和尚さんが部屋のあちこちを眺めているうちに、中身の椿は、毛布をめくって、かぱかぱする底の隙間に、指を引っかけた。


「ああ思い出した。となりの部屋にあった」


 和尚さんが「よいしょっと」と段ボールを持ち上げたと同時に、椿が畳に着地した。和尚さんの目線では、段ボールが陰になっていて、真下にいる椿が見えない。


「あれ? なんだか、いつもと重さが違うような……いつもより多く入れた毛布のせいかな?」


 段ボールが重いというより、軽いような気がする和尚さんだったが、今日は立ったり座ったりして膝も疲れたので、体が妙な錯覚を起こしたのだと勘違いしてしまった。


 ご老人を責めてはいけない。歳を取ると、体が重いのか荷物が重いのか、それとも両方重いのか、だんだん判断がつかなくなってくるのである。


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