第14話   かぱかぱ段ボール

 春休みなのに目覚まし時計をセットしたのは、気合いを入れたほうが後悔しないような予感がしたから。

 顔を洗って、歯を磨いて、パジャマのまま、私室に戻ってきた。


「今日は丸一日、宴と過ごすんだから、可愛いお洋服がいいわよね」


 クローゼットを開けると、掃除機と、いつかまた使う予定のダイエット器具の奥で、ハンガーにかかった暗色系の春物衣服が、控えめに並んでいた。


 スミレは、われながらがっかりする。


「暗い色ばっかりだわ。しかも、すごく地味なデザイン……」


 目立つのがイヤで、そろえた洋服は、ひらひらもリボンも一切付いていない。昨日のチェック柄ワンピのほうが、よほど可愛いかった。でも昨日と同じ服を着るわけにはいかない。


「そうだわ、黒っぽい色は体が引きしまって見えるもの。ヤセ効果よ、うん」


 今ある物で勝負するしかない、と己を鼓舞して、服たちに手を伸ばした。元から暗色系が好きならば、今日ほどテンションの上がる日はなかったかもしれない。大好きな色で勝負するのだから。


「うーん、この黒のシャツ……なにと合わせたら可愛いかしら……」


「あらあらー、朝からお悩みねー」


 スミレのお母さんが、すすっとふすまを開けて顔を出した。ピンクの鏡台の前で、普段着と変わらないシャツを体にあてている娘の姿に、苦笑が漏れる。


「あらー、それで行くの? 他に可愛い服、持ってたじゃなーい」


「え? どうして、可愛い服を選びたいってわかるの……?」


「ふふふ、昨日言ってた子とまた会うんでしょー? ママの女の勘がそう言ってるわ!」


 お母さんすごーい、と尊敬の目を向ける娘。じつは、朝からスミレがぶつぶつ言いながら張り切っていた物音が、母にも聞こえていただけだった。目覚ましの音も、よく響いたし。


「わたしの可愛い服……衣替えのときに、どこかにしまったきりなの。きっと今取り出しても、しわしわよ」


「アイロンがあるじゃない。お母さんがアイロン掛けてあげるわー」


「ほんと!?」


 目を輝かせて食いつくスミレ。


 我が娘ながら女子力皆無なその姿に、スミレのお母さんも内心いろんなことを教えていかなければと焦ったが、それは顔に出さず、張り切ってうなずいた。


「それじゃあ、探しましょうかー。どこにしまったかしらー」


「たぶん、こっちよ!」


 スミレが案内したのは、家族みんなの夏、秋、冬服がしまわれた、タンスだらけの小部屋だった。


 スミレのタンスは手前側にある、薄紫色のプラスチック製。幼稚園のときに貼ってしまったネコのシールが、そのままになっている。


 部屋の戸を引き開けるなり、スミレを歓迎したのは、ツーンと鼻にくる樟脳しょうのうの臭い……。


「うっ、防虫剤くさ~い」


「スーちゃん」


「はい?」


 母がビシッと、とある方角を指差した。


「洗濯よ! 近所のコインランドリーで、乾燥機も使わせてもらいましょ! その後、家でアイロン掛けてあげる!」


「お母さ〜ん……」


 かくして、スミレはタンスの一番上の段にしまわれた、細かな桜柄のピンクのワンピースを着ることができたのだった。


「あら、スーちゃん、髪の毛は?」


「え?」


「何か付けないのー? ヘアゴムとか」


「あ。わたし、ヘアゴムも可愛いの持ってないの」


 鏡の前でワンピースをまとったスミレが、取り繕ったように手櫛てぐしで髪を撫でだした姿に、お母さんがガクッと脱力した。


「そ、それじゃ、私のヘアピンを貸してあげるわ。本物の真珠を使ってるから、落とさないでねー、割れちゃうから」


「ええ!? わ、わかった……えっと、ありがと、お母さん」


 いろんな意味で緊張の一日になりそうだと、スミレは武者震いしたのだった。



 午前中にお昼ご飯をたっぷり食べて、さらに歯磨きしてから、スミレは少し早めに夕紅寺へと赴いた。


 そして、段ボールを縁側えんがわに置いて、ボーッと座っている和尚さんを発見した。


「あれ? 菫ちゃん、早いね」


「和尚さん、その段ボール、ぼろぼろだけど……」


 スミレは嫌な予感がして、段ボールに駆け寄った。


 縁側の奥には客間があって、昨日見かけた小坊主の少年が、不安そうな顔で部屋の隅に正座していた。


「あ、あの……僕、お人形が動くなんて、知らなくて……」


 少年は立ち上がると、段ボールに駆け寄って持ち上げた。底がかぱかぱなのを、スミレに見せる。


「和尚さんは、悪くないんです。僕が、弱くてごわごわの段ボールなんか、持ってきちゃったから……申し訳ありません!」


 勢いよく頭を下げられ、スミレは気圧けおされして後退った。


「あなたのせいでも、ないと思うわ。椿ちゃんが段ボールをぶち破るだなんて、だれにも想像できないわよ」


 スミレは庇うが、彼の耳には届いていない様子だった。


 脱走した椿。和尚さんと少年が、朝からずっとここに居たとは考えにくく、きっと椿を朝から探してくれていたのだとスミレは思った。


 和尚さんが、彼を見上げる。


「ずっと座って待ってなくてもよかったんだよ?」


「いいえ、僕のミスですから。宴さんにも、僕から説明させてください」


 深刻な顔でうつむく少年。絶対に宴に会うまで、ここを動かない気迫だった。


「ははは……わかったよ」


 和尚さんは苦笑を浮かべながら、スミレに小声で話しかけた。


「とっても真面目な子なんだ。儂が蔵から段ボールを出してほしいとお願いしたときに、底が抜けてることに気づいてね。それから、ずっとあんな顔して、きみたちを待ってたんだ」


「それは、なんか……わたしも、ごめんなさい」


「ははは、菫ちゃんまで謝るのか。儂も気づかなかったんだし、そんな顔しなくたっていいんだよ」


 でも、そう言う和尚さんが一番困った顔をしていた。お出かけのことで頭がいっぱいだったスミレは、今日ここに来た元々の目的を思い出して、しゅんとする。


(だれよりも困ってるのは、和尚さんのほうだわ。お寺の大事な宝物が、動きだして、いなくなっちゃったんだもの。デートは後回しよ! わたしも椿ちゃんを探さなきゃ)


 また近所の稲荷神社にいるかもしれない。スミレが和尚さんにそう提案しようとしたそのとき、和尚さんが、よく晴れた青空を見上げた。長いこと眺めているから、スミレも見上げてみると、特に気になるものは飛んでいなかった。


「どうしたの? 和尚さん」


「ああ、宴くんがちゃんと降りられるかと思ってね」


 一筋の白い線が、高速でくうを切り、すっと消えた。


 ありゃりゃ、と和尚さんが目を見開いて驚いていた。


「宴くん、別の場所に降りちゃったみたいだ。しばらく待っててあげよう」


「迎えに行こうかしら?」


「ああ、すれ違っちゃうと思うから、儂らはここで待っていようね」


「はい」



 それから十分ほど経っただろうか、昨日よりも少し軽装の、でも昨日と同じく雪のように白い宴が、げんなりした様子で寺の石階段をのぼってきた。


「すまない、遅れたのだ」


 片手で頭を押さえながら、さながら二日酔いのおじさんのように、ふらふらと。彼のちょっとぼさっとした髪型を、ウルフカットと呼ぶのだと、昨日スミレは母の愛読雑誌を読んで学んでいた。


 いったい、何が宴に起きたのか、白い着物のそでには、黒い肉球のような模様が、まだらに主張している。


「宴くん、大丈夫かい? 具合が悪そうだよ」


「うう、どこかの家の前に降りてしまった。めっちゃくちゃ犬に吠えられたのだ……」


 頭がギンギンするのだ、と白い眉毛を真ん中に寄せる宴に、スミレが「ああ」と、声を跳ね上げた。


「もしかしてシェパードのドリアンちゃんでしょ。あの子、男の子にだけ吠えるのよね」


「どりあんちゃん……? 強そうな響きの名前なのだ」


 ふと、宴の顔が一点を見つめて、固まった。それから、柔らかな微笑みを浮かべたので、スミレはこの服を着てきてよかったと、はにかんだ。


「すみれ、今日は春らしい装いなのだな。よく似合ってるのだ」


「えへへ、ありがとう」


 改めて服装を褒められると、なんだか照れてしまうスミレなのだった。


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