第28話 パパはその交際に反対
宴が天界に帰らねばならない、門限の五時になってしまった。宴の体が半透明がかり、本格的に輪郭を失い始めた頃、スミレは慌てて宴に駆け寄った。
「今日は本当にありがとう。あの、明日も会いましょうね」
「うん? 肋介との約束も守りたいしな、明日は必ず会えるのだ」
宴の予定がすっかり、肋介との約束で埋まっているような感じがして、スミレはちょっとやきもちを焼く。でもそれを言葉に出すのは、子供っぽい気がしてやめておいた。
宴の姿が消えてしまい、上空へ向かって流れ星が空高く飛んでいく。
それを見上げながら、肋介が脱色したような白い眉毛を寄せていた。
「……変わったやつだな。天界出身のヤツは真面目過ぎて、妖怪とは遊ばねーもんだと思ってたぜ」
「そういうもんなの? 宴はきっと、あなたのことを妖怪じゃなくて、肋介くん個人として話してくれてたのね」
「はあ? どういう意味だよ」
「……なんかわたしも何を言ってるのかわかんなくなってきたから、説明できないわね」
「なんだよ、それ。……うん、じゃあ、俺様も帰るからな」
用がないなら長居は無用とばかりに、あっさりと
「和尚さん、ほんとにあの子に彼女なんているの〜?」
「ふふふ、いつか紹介してもらえると良いね」
ちょうど夕方なので、スミレもお寺に長居せずに帰宅することにした。
「ただいま〜」
ガラリと玄関を開けたスミレは、玄関のたたきに男物の
台所から母が顔を出す。
「おかえりスミちゃん! パパ帰ってきてるわよ!」
「やったぁ! お父さん、おかえりなさい!」
ほぼほぼ単身赴任のスミレの父が、リビングのソファでうつぶせになっていた。
雑誌の表紙を飾る、燻し銀な顔立ちはクッションに埋もれ、先に風呂を済ませてきたのか、灰色のパジャマを着ていた。
「え……お父さん? どうしたの? なんでそんなに元気ないの?」
ソファで横になるよりも、自分の部屋にこもって専門書を読んでいるような父が、なんでか、こんなことに。
のそっとクッションから顔を上げて、しゃがれた声で「あー……」と発音。中学生の娘がいるにしては、いささか高齢なこの人物こそ、時環叶継の第一研究者にして骨董屋「千里眼」のオーナー、
怯えるスミレに、父が放った言葉は、
「……スミちゃん、彼氏ができたんだってね。ママから聞いた」
……だった。
「あ……えっと……うん、まあ」
「……今日は、お赤飯、炊くってこと?」
「え? 彼氏ができたお祝いってこと?」
「……」
「……」
噛み合わない会話の後、無言で見つめ合う父と娘に、台所で夕飯を作っていた母が吹き出した。
「今日の晩ご飯は、シチューとパンと、カニカマのサラダですよ。お赤飯じゃないわ」
「だそうよ、お父さん」
無邪気な娘の様子に、とりあえず一安心した父は、ゆっくりとソファから身を起こした。普段よりもおしゃれしている娘の姿を見たときは、クッションにうなだれるほどショックを受けていたのだが、いつも通りの娘の様子に、ちょっと元気を取り戻したのだった。
「千里眼の店員から聞いたよ。おでこにツノのあるコスプレした、あの子だろう? スミちゃんにあんまり口うるさく言いたくないけど、ああいう子からもらった食べ物は、絶対に口にしちゃいけないよ」
「え? どういうこと? アメとかガムとか、もらっちゃだめってこと?」
「うん、まぁ、極端なことを言うとそうなるかなぁ。もしもあの子が、本当に人間じゃないんなら、あの子からもらった食べ物はヨモツヘグイになっちゃうからね」
「よもつへぎい?」
「まぁ、とにかく、人間じゃない子からもらった食べ物は、お腹を下すじゃ済まないから、絶対に食べないでね。それだけ守ってくれたら、パパは何も言わないよ」
何も言わないと言われたスミレだったが、父のどこか不満そうな眉毛の下がり方を見て、まだまだ小言が飛んでくるんだろうなぁと予想した。
「ああ、もう一個だけ付け足させて」
ほらやっぱり、とスミレは肩をすくめた。
「なあに?」
「パパはスミちゃんを信じてるけど、赤ちゃんができるような遊びはしちゃだめだよ」
「しないわよー。みんなから仲間外れにされちゃうもの」
「なら、いいよ」
心配性だなぁ、とスミレは思う反面、口数の少ない父がソファに倒れるほど心配してくれるのは、ちょっと面白かった。
台所から、母の「ご飯ですよー」の声が。いつもはスミレ一人の返事だったが、今日はもう一人増えている。
食卓を囲みながら、今日の父は、饒舌であった。仕事の話をたくさんしてくれて、勉強になったスミレだったが、ふと、いつか観たテレビ番組で、人は不安になると口数が多くなる場合がある、と言う情報を得ていたので、もしかしたら父は不安がっているのではと思った。
(もうちょっと宴のことをお父さんに話したほうがいいかしら。わたしもちょうど、明日の事が心配だったから、相談してみようかな)
そんな軽い気持ちで、スミレは明日の予定を口にした。宴が、城山を仕切っている年上の妖怪の舎弟となるために、勝負をするんだと。
途端に、シーンとなる雛緒家の食卓。
「……どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ。宴くんってヤンキーだったの?」
「ちがうわ。城山を仕切ってる子はヤンキーっぽいけど、宴はのんびりしてるっていうか、この辺の地域にも疎いし、なんだかすごく無害そうな子なの。お寺のお人形の椿ちゃんがいなくなったときも、いっしょに探してくれたし、すごくいい子なのよ」
「この辺の地域に疎いのに、いきなり城山に勝負しに行くのかい? のんびりしてる子が取る行動じゃないよね」
なんだか空気が重たくなってきて、スミレはどうしたらいいのかわからず、母に助けを、視線で求めた。
「パパは心配なのよ。宴くんの素敵なところを、パパに話してあげたら、きっと安心してくれるわ」
「うん……。ねえ、お父さん、宴はとってもイイ子なのよ。ちょっとわたしと考えてることがちがうこともあるけど、心配してくれたり、状況を冷静に見てたり、頭もイイ子だと思うわ」
「でも城山にいる子とケンカするんだろ?」
「うん、まあ……わたしも明日の予定は危ないからって、宴を止めたんだけど、宴は城山の番人をしてる子と友達になりたいみたいで、すごく乗り気だったから、けっきょく止められなかったわ。心配だから、わたしもその勝負に見学に行こうと思うの。バンソウコウと消毒液で、ケガはどうにかできるかしら」
父の顔がますます険しくなった。
「パパは、スミちゃんの交際には反対だな」
「えー!? なんで!?」
「知り合って日が浅いのに、もう彼女に怪我の心配をさせるなんて、ろくな子じゃないじゃないか。スミちゃんまで喧嘩に巻き込まれるようなことがあったら、そんなことがあってからじゃ遅いんだよ」
「そんな、大丈夫よ、そんなことにはならないわよ」
「その子と付き合うんなら、もうお小遣いあげないからね」
「ええ〜!?」
これ以上の言い合いも無駄とばかりに、父は「ごちそうさま」と席を立ち、不機嫌オーラ全開で台所を出て行ってしまった。しばらくして、父の部屋の襖がパンッと閉まる音が鳴った。
「お父さん……」
「スミちゃん、パパはしばらく家にいるみたいだから、宴ちゃんを今度家に連れてきたら?」
「ええ? あんなに反対してるのに?」
「うん、ママもね、スミちゃんの話を聞いてるうちに、宴ちゃんがどういう子なのか分かんなくなってきたのね。でも、実際に宴ちゃんに会ったスミちゃんは、宴ちゃんのことが大好きなんでしょ? きっと宴ちゃんの良さは、会わないとわからないと思うの。そういう子っているわよね、評判は良くなくても、実際に会ってみたらステキな子が。ママの提案、どうかしら」
スミレはすごく不安だった。宴が父からひどいことを言われて、自分のことを嫌いになってしまうのではないかと心配になる。
「お母さんが、いっしょにいてくれるなら考えるわ。お父さんだけだとケンカしちゃいそうだもん」
「ええ、そばにいるわ。パートが終わった時間にしてね」
「うーんと、宴の門限が五時なの。五時過ぎると、帰っちゃうのよね」
「あら、じゃあパートのシフトを確認しなきゃ」
予定がなんとか決まりそうで、スミレは余った時間が手持無沙汰だった。
「お父さんもきっと、宴に会ったらわかってくれるわ。だから、なんにも心配いらないわよ……」
自室のベッドでうつぶせになり、恋愛について、みんなはどうしているのかと、母のスマホを借りてネットの掲示板を眺めていた。
『彼氏がずっと機嫌悪いです。どうしたのって聞いても、べつにって、うっとうしそうに返事するばかり。もうダメ限界。』『なんか最近の彼ぴっぴ趣味の
どうしても人の失敗話ばかりに目が向いてしまうのは、スミレも初めての恋愛を、失敗させたくなくて、学ぼうとしているせいだった。
「……みんな、彼氏さんの考えてることがわからなくて、悩んでるみたい……。もしも宴が、なんにもしゃべってくれなくなっちゃったら、わたし……すっごく泣いて困らせちゃうかも」
それこそ、宴が謝ってくれるまで、一日中泣き続ける自信があった。それぐらい、スミレにとって、宴の豹変は悲しいことだった。
いつまでも、いつも通りに、会えて話せる関係でいたいのだった。
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