第30話 オレ達と3年生の勝負 ――午後の部
◆
14時00分。
ここから行われる種目には外で行われるものはないため、グラウンドからはすっかり人がいなくなっていた。
じゃあその代わりに種目が行われている剣道場と柔道場と体育館に人がいるかというと、前二つはそうではない。
剣道場と柔道場は狭く、入場出来る人数が限られているので、いっそ入れないようにしようということになったのだ。
その代わりに、それぞれの場所にはカメラが設置され、画面3分割の同時中継という形で、対戦の様子を各教室に設置されているテレビを通じてみんなに届けている。だからグラウンドにいた人達は、テレビのある自分のクラスに向かったというわけだ。
ただし、大量の人を入れる容量のある体育館だけは二つとは違い、こうして学年問わず観客が大勢いる。しかも、体育館には大型スクリーンがあり、そこに配信されているものと同じものが、光の関係で薄くだが、ドでかく映し出されることになっている。現にスクリーンは降りていて、青い画面が表示されている。
そういうわけでぼくは、こうして先生達による人間柵で囲まれた、体育館の真ん中に立っているのだ。
どうしてここにいるのか?
理由は簡単。
ぼくが、ここで行う種目に割り当てられているからだ。
『格闘』
実はこれだけは唯一、詩志が適当に決めた種目だった。……いや、そんなことは誰だって、冷静に考えれば判るだろう。『100メートル走』『20000メートル走』『計算早解き』『漢字書き取り』『柔道』『剣道』――どれも健全なる種目だ。
しかし『格闘』。
これだけが明らかに浮いている。
では格闘とは何かというと、ルール上では、武器を使用しないで、どちらかが倒れるまで戦うというもので、まあいわゆる――
「これからやるのは『喧嘩』ってことで、いいんだよな?」
「……そうでしょうね」
本当に良く通ったよな、とぼくは目の前の相手の言葉に溜息を含んだ声を返す。喧嘩なんてそんなにしたことはないのに、何故、ぼくはこの種目に割り当てられたのだろうか。いや、じゃんけんで勝って、自分で選んだんだけどね。それでも後悔の念は断てない。
何故なら相手は……
「公然の目の前でお前らをボコれるなんて、うずうずしてたまんねえぜ」
暴力で学校を支配していた張本人、本郷剛なのだ。いや、他のが柔道、剣道という型があるものなのだから、彼が来ることは予測できたはずだな。因みに剣道は改多と六条唯、柔道は詩志と阿部の大将同士の勝負となっている。
あー、そう考えると……
「……僕はラッキーだったのかもね」
「あ?」
顔を上げ、ぼくは彼に暗い笑みを投げた。
「あんたをボコれるなんて、うずうずしてたまらねえよ」
「あん?」
ビキビキ、という音が聞こえる様な顔で本郷が睨んでくる。挑発したのはこっちだが、やっぱ進んで怒らせるようなもんじゃないね。こりゃ怖いわ。
でも、はっきりと言える……のかは知らないが、こう言っておこう。
「あんたなんかには、余裕で勝てるね」
ブチッ、という音が聞こえた。騒がしい場内でも聞こえた。確かに聞こえた。
「……ほう、そうか」
地鳴りの様な低音が、体育館の空気を揺らす。
「なら俺は……本気で……潰しに行って……いいんだな……?」
「ええ。殺してもルールに則っていれば、文句は言いませんよ」
「……覚悟しろよな」
睨み付ける眼を緩めないまま、本郷はゆっくりとどこかへと行ってしまった。
「……ああ、本当に勝てるのかなあ……」
彼の姿が見えなくなった途端に、ぼくはそう言葉を落とす。しかし誰も返答をしてくれない。詩志と改多と放送部の悠一、そしてその手伝いの誠は勿論だが、他の女性陣3人はただ単に『体育館に来たけど席が取れなかった』という理由で、教室に引き返していった。どうして関係者席を設けなかったんだ先生方。いろんな意味で恨みの言葉が尽きないぞ。ちくしょう。
恨み、といえば、やっかいな条件を出した詩志にも言いたい。
――3分半。
これは試合時間ではない。
ぼくに課せられたノルマだ。
「……相当きっついよなあ……」
溜息と愚痴しか口から出てこない。だって、今まで学校を暴力で牛耳っていたということは、阿部以外は本郷に勝てなかった、ということだ。そんな相手に、相手の土俵で、しかも3分半でケリをつけなくてはいけない。
……普通に無理じゃね?
言っておくが、ぼくは格闘技の経験は一切ないし、親がプロレスラーなどということではない。かといって、夜の狼だとか、そんな喧嘩に明け暮れた生活を送っていたわけでもない。喧嘩も詩志としかしたことがない。まあ、それは喧嘩というよりも殴り合いだったが。因みに、実力は横並び。で、「オレに勝てるんだから、大丈夫だって」と、どんな理論だか知らないことで慰められた。格闘なら夢の方が上だとは思うが……まあ、女の子にこいつの相手をさせるのは危険だな。ぼくで正解だったかもしれない。
ここまで考えて、結論。
「……頑張るか」
勝算は詩志の推薦だけ。だが詩志が勝てると言うのだから、ちゃんとやれば勝てるのだろう。
なら、腹を括るしかないか。
『さーて、皆さん、長らくお待たせいたしました! 教室にいる皆さんも体育館にいる人達も、画面に注目してくださーい!』
その先輩の声と共に、青い画面だったスクリーンが切り替わる。
3分割の画面。
左には、黒帯を巻いた阿部と、白帯を巻いた詩志。
右には、面を付けた二人の姿。
そして中央部には、ぼくの姿が映っていた。
『おっと……格闘の種目の3年生がいないようですが……』
「おう、悪ぃな。便所行ってた」
軽く手を挙げて、本郷が目の前に立つ。そして、にやにやとした笑みを浮かべて、
「お前、最後の時をどうやって過ごした?」
「最後の時?」
って、ああ、だからあの場を離れたのか。ぼくの顔を見たら殴りそうだから離れるのもあっただろうが、死ぬ前に何かを言っておきな、という意味もあったのか。なら、何もしていない。
あ、そういえば……
「ああ、昼休みにだったら、屋上で『うふふあはは』ってのはしたなあ」
「マ、マジかよ……」
本郷は面を喰らったような表情をすると、顔を逸らしてもごもごと。
「最近は進んでいるな……」
「……?」
どうしてそんな反応をされるのだろうか、不明だ。
「……ふん、まぁいい」
「あの……どうして顔が赤いんだ?」
「お、お前らのせいだろうが!」
ああ、怒っているのか。なら仕方ない。
「おい、さっさと始めろよ!」
『あんた待ちだったんでしょうが……ったく』
おお、先輩強気だ。まあ、その強気も、ぼく達についているからこその強気なのだが。
実は3年生の誰かに頭脳を奪われた先輩は、書類上できちんと、ぼく達側に付くという契約を交わしている。なので、1年生側が勝ったら同級生に奪われた彼の頭脳も元に戻るわけだ。
『さてさて、それじゃあ始めます。まとめて始めるので、パパーッと紹介しちゃうよ』
この三種目は2年生の時の取り組み通り、同時進行で行われる。つまり、三つの画面が同時に進行されるわけだ。
因みにこういう仕様にしたのは、3年生戦を見越してのことだった。
全く、恐ろしい話だ。
『まずは、剣道から』
右側の画面がズームアップされ、画面全体に映し出される。
『見ても判らないかもしれませんが、左側は1年生の不動改多君。寡黙な少年ですが、女生徒に人気があります。そんな彼が戦う相手は、六条唯さん。3年生代表の阿部和也君と共に新しく3年生代表的な立場となった女性で、クールな眼鏡姿は、ここからでは拝めません』
残念そうな男声があちらこちらから響いてくる。結構人気なのか。
『続きまして、格闘』
今度は中央部が全画面に、つまりはぼく達が映し出される。
『まずは3年生の本郷剛君。悪名高い彼なので、紹介するまでないでしょう。そして向かいの彼は、陸羽海斗君』
ちょっと照れるな。
『彼を一言で表すなら――【ギャルゲーの主人公】』
「いやいやいや!」
ちょっと待て! それは仲間内だけの冗談で……って、周り! 「あるある」って何だよ! そんなにぼくがギャルゲーの主人公っぽいかコノヤローッ!
「おい、実況! 1年生側に偏ってんじゃねえか!」
「偏ってねえよ! どこをどう見たらそうなるんだよ!」
「どう見たって……うおおっ! な、何で泣くんだよ……こっちは悪名高いとか言われてるんだぞ……」
「ばっかやろう! 悪名高いの方がまだマシだ!」
叫びが、体育館内に木霊する。
だが、ぼくの悲痛な叫びをさて置いて、紹介の声は何ごともなかったかのように続く。
『そして最後は、柔道』
画面左側……ああ、涙で霞んでいるよ……。
『左側の大柄の男性が、新たな3年生代表の阿部和也君。彼の名前は悪名ではなく、善行で通っていますね。続いて右側の小さい男性が獅子島詩志君。今回の宣戦布告の主であり、そしてここまでの勝負を優位に進めてきた策士でもあります』
そこで画面は、先程までの3分割に戻る。この頃には、目に溜まっていた水分もなくなっていた。まあ、ギャグマンガとかでもよくあるようなノリ泣きだしね。
『以上で全員の紹介を終わります。では、皆さん、種目を始める用意をしてください』
スッと審判――体育教諭の手が挙がる。因みにあまり関係はないが、由良見先生は詩志の所の審判をしている。
ぼくは身構え、バスケット用の大きい時間表示板を見る。
10分。
つまりは6分半までに終わらせなくてはいけない。
「……よし」
ぼくはキリッと、表情を引き締める。一方、本郷はにやにやとした笑みから一転、真剣な表情となり、ボクシングのファイティングポーズを取る。
体育館から、音がほとんど消える。
聞こえるのは衣擦れの音と、息を呑む音。
そんな静寂が破られるまで、あと5秒。
4
3
2
1
「始め!」
――その瞬間。
ザザ、ザ、ザザ……
「……何の音だ?」
そう言ったのは、本郷。
その音は本郷だけにしか聞こえていない、なんてことはなく、ちゃんとぼくにも――みんなにも聞こえていた。
雑音。
同時に、画面の左3分の1が音を表しているかのように砂嵐となる。
あまりにも突然の出来事に、体育館の観客や、先生達からも戸惑いの声が上がり始める。
そこで一端、画面が暗転する。
『皆さん、大変申し訳ありませんが、ただいま映像が乱れております。放送部一同、全力で復旧作業に当たっていますので、しばらくお待ちください』
先輩のアナウンスが流れるが、それで騒ぎは収まるどころか、むしろ加速する一方だった。
これは正に、不測の事態と言えるだろう。
――だが。
実はこの現象はぼく達にとって『予測の事態』だった。
「………………って、あ」
訂正。
『ぼく以外』のぼく達にとっては、だった。
詩志、困ったぞ。
あの時、悠一が詩志に告げたあの『1分』って言葉がコレを差すなら、この状態が、あと45秒も続くのだ。
つまりはこうして、本郷がボーッと画面を眺めているのを見ていなくてはならないのだ。いや、そういう所を攻撃しろということかもしれないが、それはぼくもさすがに躊躇われる。それによく考えると、そういう卑怯な行いをしては3年生達を納得させるような――違う。そうさせないために………………ああ、もう! わけわかんなくなってきた。
とにかく、ぼくは無防備である彼に攻撃を加えない。
そうこう思考している内に、既にタイマーは8分台に切り替わる所だった。
1分経過。
「あ、出たぞ!」
観客席から声が飛ぶ。
スクリーンに再び三分割の画面が映し出される。砂嵐だった画面の左側は正常に戻って詩志と阿部の姿が映されており、ちょうど詩志が襟首を掴もうと手を延ばした所だった。すぐに払われていたが。
『お待たせいたしました。ただいま、画面の方が復旧いたしました。引き続き、実況と共に試合をお楽しみ――おーっと!』
先輩の声が跳ね上がった。
『皆様、復旧作業を行っていた1分程の間に、どうやら剣道の方が動いたみたいです』
その声に合わせて、画面の右側がズームアップされた。どうやら佳境を向かえると、その画面がズームアップされる仕様となっているようだ。やべ、きちんと読んでおけば良かった。
画面には、竹刀を向けあった二人の姿。始める前と何が違うのかは、ぼくには判らなかった。
『現在、六条唯さんが胴を一本、打ち込んおります。もう一本、六条さんが取りますと、その時点で勝負はつきます』
へえ、改多、負けているのか。
まあ、予想通りだけど。
『さすが剣道5段の六条さん。相手を寄せ付けておりません。しかし、不動君もそれに良く耐えています』
『先輩先輩、一つ情報を』
『どうした後輩?』
『彼女の猛攻を耐えている改多ですが、実はあいつ今まで、剣道をしたことはなかったんです』
『ほう、それは驚きだな』
『それに――あ!』
「めぇぇえええええええええんっ!」
女性の甲高い声が、こちらの会場内にも響き渡る。
そして、彼女の竹刀は――改多の額を捉えていた。
「面あり一本!」
画面上の先生二人が、白旗を上げる。
『決まったぁ! 六条さんがストレートで二本! よって、3年生の勝利です!』
その声に合わせて二人は礼を交わす。
彼女が画面上で面を脱いだ瞬間、
「かったあああああああ!」
瞬く間に、この体育館内に歓喜の声が溢れ出す。「おっしゃーっ! 2勝!」「これでまだまだ判らなくなってきたぞ」「さすが六条さんだぜ」「そこに痺れるあ……」「ファンクラブとかないのかなあ……」「ないだろ。阿部さんがいるし」などと声が聞こえてくる。ファンクラブって単語には少し惹かれたが、まあ色んなことをよく言いよる。
「……あ、やべ」
思わずそう声を漏らしていた。
周りを見渡した時に時間表示板が見えたのだが、既に8分30秒を下回っていた。
残り2分以下。
「……」
普通だったら、絶対に無理だな。
諦めるか……いや、でも、そんなの駄目だよな……。
あー、どうしよう。
主人公じゃないぼくに、こんなの出来るわけない。
「……………………………………………………あ」
――その時。
ぼくはあることを思いついた。
まあ、勝負とは全く関係ないのだが。
「……うへへ」
思わず、頬が緩んでしまった。
この状態から勝ったら、ギャルゲーの主人公ではなく、格闘漫画の主人公になれるんじゃないか? そうしたら汚名返上をでき、しかも名誉を得ることが出来る。格闘漫画の主人公が名誉かどうかはさておき、今よりは良くなるのは確かなこと――いや、それだけじゃ足りないから、いっそああやったら……
「うらっ!」
「おわっ」
妄想から覚めやらぬ間に、突然の本郷からの急襲。咄嗟に左にステップをすることでかろうじて避ける。
「へっ! 余所見している方が悪いんだよ!」
本郷は得意そうな顔。まさにお前が言うなの発言。さっきまでずっとぼーっと画面を見ていたくせに。
でも、まあ……さっきのパンチ一つで確信が持てたことがある。
ぼくはこいつに――余裕で勝てる。
詩志の計画とは別に、ぼくの計画も実行出来る。
……まあ、さっき考えたんだけどね。
「おらあああああああっ!」
今度は左脇を狙った蹴りが飛んでくる。
ぼくはそれを『敢えて』受けた。
思ったより軽い。
少なくとも、詩志よりは。
「……この程度か」
「あ?」
本郷の眉が歪む。それを見てこっちは、唇を歪める。
――計画実行。
「あんたの本気は、この程度かって言っているんだよ」
「なん……だと……」
「おいおい。マンガの見過ぎだぜ」
嘲笑する。
「お前の本気、見せてみろよ」
「……てめえ……本気で………………潰すっ!」
顔を真っ赤にして、拳が飛んでくる。軌道が単純すぎて眼を瞑ってでも避けられる。次は左。そして右、また左――と見せかけて足元。
「見える。見えるぞ! くはははっはっはっは!」
「うっぜえな! このやろう!」
本郷は怒りに任せて体当たりを敢行してくる。ぼくは彼の左肩に手を当て、それを軸にする形でくるりと回転しながら受け流す。力のぶつけ先を失った本郷は、体育館の床に身体を打ちつける。
「てめえ……絶対殺す!」
「うーん。いまいち」
こう口調が汚いと、ぼくじゃなくて本郷が悪者に見える。
これじゃあ立たないじゃないか。
そう――『フラグ』が。
この時点で、時間表示は7分20秒。
ノルマまで残り1分を切っている。
本郷の拳は、相も変わらず空を切る。
「ちくしょう……なんで……当たんねえんだよ!」
「お、それいいね。主人公側みたい」
「なにがだよ!」
横から飛んでくる彼の拳を、うんうん、と頷きながらステップ。眼前を通り過ぎる。
「この程度では、ぼくを倒すことなど出来ないよ」
「調子くされやがって!」
「やめてよね。ぼくが本気を出したら、君なんかが敵うわけがないじゃないか」
「ふざけんな!」
正面に拳が飛んでくる。身体を逸らせて回避。避けたついでに、彼の右肩を掴んで、ぼくの右側に落とす。
観客席から歓声が上がる。
「が……ぐ……」
『おーっと、体育館の方で物凄い動きがありました!』
それまでずっと何かを言っていた先輩の声が、そこでようやく聞き取れた。そして、剣道終了時に二分割になっていたスクリーンには、ぼく達の様子がズームアップされる。
この時に、時間表示は七分。
残り――30秒。
「……そろそろか」
ここまでやったら、さすがにフラグが立っているだろう。
そう……嫌いな言葉だった『フラグ』という言葉。
それを最大限に利用する時が来た。
「ちくしょう……なめやがって……」
肩を押さえて、よろよろと立ち上がる本郷。見た目を含めなければ、この試合だけの状況は主人公だ。
「なあ、本郷さんよ」
「何だよ」
「実はさっきからやっているんだが、効果があまりないんで、ここからは一気に行くよ」
ぼくはすうと小さく息を吸い、そして静かに頭の中にある文章を――唱え始めた。
「『ぼく、この戦いが終わったら――告白するんだ』」
「は?」
「『詩志……親父の形見の時計、無事に帰ってきたら返してくれよな』」
「おいおい……」
「『杏っていい女っすよね。隊長、ウラヤマシいっす』……あ、これは戦いが始まる前じゃないと意味ないか」
「何を言っているんだ、お前……?」
「何って――」
にやりと笑みを浮かべて、ぼくは堂々と言ってやった。
「負けフラグ」
「ゴブッ」
その言葉と同時に、本郷の脇腹にぼくの拳が入る。
「余所見している方が悪いんですよね?」
「て、てめえ……」
「じゃあ続きを……『ぼくは負けるわけにはいかないんだーっ!』」
「グハッ!」
「あれ……これは違ったかな? ……まあいいや。次――『こいつだけは……ぼくが倒さなくちゃいけないんだ!』」
「ガッ!」
「『心配するなって。ぼくなら大丈夫だから』」
「グァッ!」
「『帰ってきたらチャーハン、作るからね』」
「ゲフッ!」
「うーん……後は何がありますかね」
「……ッ、はぁ!」
拳を何度も打ち込んだからだろう。本郷は既に息が上がっているようで答えてくれない。
はあやれやれと首を振ると、目の端に時間表示板が映った。
6分40秒。
残り10秒。
「あ、ゴメン。もう時間ないからとどめさすよ」
「……っな!」
呆気に取られている本郷の腕を掴んで、無理矢理立ち上がらせる。
そして――
「『これで……ラスト!』」
「――ッ!」
みぞおちに思い切り右足を叩き込んだ。
本郷は声にならない叫びを上げ、体育館の床に背中から崩れ落ちた。
「『や、やったか?』」
「……」
反応なし。普通に立ち上がってこない。
「『やった、のか……?』」
もう一度言ってみる。
やっぱり反応なし。
そこでようやく先生が本郷の近くに寄る。
泡を吹いて白眼を向いている本郷。
まあ、どう見ても勝負ありだよな。
「本郷剛、戦闘不能」
先生が頭上で×印を作る。
「よってこの勝負――1年生の勝利です!」
――無音。
先程までの応援、声援、話し声、全てが消え失せる。
辺りは、息を吐く音さえ出すのも躊躇われる雰囲気となった。先輩さえも、一言も発せない。もし、こんな時に声を出せる人がいれば詩志なのだが、詩志は画面も音声もない柔道場なので、こっちの状況を知らない。因みに剣道場にもなかったため、改多達は画面の不具合を知らずに試合を進めていたのだ。
そんなわけで沈黙は、既に数秒過ぎていた。
「ふ、ふっふっふふふふ……」
笑いが止まらなかった。
――計画通り。
「見たか!」
その沈黙を利用して、ぼくは観客席に指先を向け、思い切り主張する。
「フラグを全部壊したぼくは『ギャルゲーの主人公』なんかじゃないだろう。言うならば、そう――『フラグブレイカー』だ!」
ぼくの計画とは、これだったのだ。
『ギャルゲーの主人公』、イコール、フラグを立てて回収する強者。
対してぼくは、ここまで負けフラグを立てていながら破壊した――『フラグブレイカー』
「もうこれで誰にもぼくのことを『ギャルゲーの主人公』だとは言わせないぞ……って、あれ?」
その時、ぼくは気がついた。
周りの視線……なんか冷たくないか?
「……………………あれ?」
今度のそれは、別のことに気がついたもの。
『ギャルゲーの主人公』
『フラグブレイカー』
もしかして……どっちも同じくらい、恥ずかしい呼称じゃないか?
それを叫んだ、ぼく。
成程。だから周りは、エターナルフォースブリザードを叫んだ後の教室みたいな状況になっているのか。
うんうん。納得。
……。……。……。
「って、うわあああああああ! さっきのなしにしてえええええ!」
悲痛な愚か者の叫びが、体育館内に響き渡った。
――と、その時。
「それは……こっちの台詞だ……」
唸るような低い声が、ぼくの足元から聞こえてきた。
「この勝負はまだ……終わっちゃいねえ……俺はまだ……」
本郷は息も絶え絶えにそう立ち上がろうとしていた。その姿を見て思わず、ぼくは呟いてしまう。
「うわあ……主人公っぽい……ってか、主人公のライバル?」
「うるせえ……なめくさりやがって……おい先公! 俺の負け、取り消せよ!」
言葉を受けた先生は、無言で首を振る。
「ふっざけんなよ……どう見ても俺は負けていない……」
「いやいやいや。さっきあんた、気絶していたし」
思わずツッコミを入れてしまう。本郷は這い蹲りながらも、ギラギラとした眼を向けて、言葉で噛み付いてくる。
「嘘つくな……俺が……お前なんかに……」
「ちょっと勘弁してくれよ。これ以上時間を掛けるわけには……」
……あ。忘れてた。
慌てて時間表示板を見る。
「のおお……」
既に表示は、リセットされていた。
「これじゃあ何分経ったか判らないじゃないか……」
……って、あれ? 何を言っているんだ、ぼく。
時間なんて、もう必要ないじゃん。
詩志は3分半で勝負をつけろと言っていた。
それはきっと、その時に柔道場を映すなということだろう。つまりは映像をこちらのものにしろということなのだ。映像がない詩志には、こっちがいつアップになるのかなんて判らないのだから。それ以外に、ぼくに3分半という指示を出した理由が見つからない。
因みに、勝負の終わりの際の時計の表示は――6分24秒。
6秒オーバー。
ノルマ失敗だった。
でも、それからずっと今に至るまで、映像はこの会場を映していた。
だから恐らく――大丈夫だろう。
『本郷、俺達は負けたんだよ。諦めろ』
――突如、静かなる声が体育館に鳴り響く。
本郷は歯軋りをして、その声の持ち主の名を恨みがましく口にする。
「阿部ぇ……」
『多分恨みごとを連ねているだろうが、その声はこっちには届いていないぞ』
映像が二分割に戻る。
『実際に見てはいないが、本郷。お前が負けて、そしてゴネているという報告を受けている。だから一つだけ言っておくよ――見苦しい』
「……くっ!」
『ま、見えていないけどな』
はっはっはという笑い声が体育館中に響き渡る。
『……笑えないけどな。負けたし』
すぐにその笑いを潜める。
言うまでもないが、本郷がぼくに負けたことによって3年生側の戦績は、2勝4敗。
敗北。
『俺達の――3年生の負けだ』
その言葉。
3年生代表が認めた自分達の敗北。
3年生代表が認めたぼく達の勝利。
ここにいる誰もが判っただろう。
宣戦布告した時は、ほとんどの人が信じていなかった。
鼻で笑い、出来るわけないとぼく達を馬鹿にしていた。
しかし、違った。
馬鹿なのは、ほとんどの人の方だった。
そう、この瞬間に。
ぼく達、1年生が――全学年を支配した。
……と、ここで歓声が湧くであろう場面の所だったのだが、
『――だが、1年生諸君!』
その前に画面上の阿部が声を張り上げ、こちらに人差し指を向けてきた。
『我々は今回負けたが、君達に勝つ力はまだある。よって君達の下にこれから着くことになるが、いつか宣戦布告をするからな。その時に勝つのは――』
にやり、と相手の智将は笑みを浮かべて、次のように宣言した。
『――俺達、3年だ』
このような形で。
3年生対1年生の勝負は、勝った気がしないまま、幕を閉じた。
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