第34話 オレ達の裏の戦い ――後篇

     ◆



「お、女の子……」


「性転換した覚えはないから、戸籍上でもきちんとそうなっているけどな」


 肩を竦めて、詩志は脱いだシャツやら柔道着やらを拾い集める。


「ほら、早く立てよ」


「あ、ああ、いや……え?」


「何のために色々細工をしたと思っているんだよ。さあ、早く」


「え? 細工って……?」


 混乱している阿部。そんな彼に向かって、詩志は、


「2分半」


 時計表示板を指差す。今は1分30秒を示している。

 つまりは、始まってから3分半が経過していた。


「その辺りで、お前に勝ったのは、ある計画があったからだ」


「計画に細工……まさかさっきのは!」


「お前に勝ったのは実力」


 嘘だけど。


「細工ってのは計画のための細工で、その計画ってのはさ――」


 そう言って詩志は、人差し指を阿部に突き付ける。



「俺の負けを……見られないため……?」


「ま、ぶっちゃければ、2年生のものも含めた全ての勝負は、ここに集約されることとなったんだけどな」


「どういうことだ……」


「頭がいいあんたにしては鈍いな。じゃあ、一つだけヒントを」


 ふふふ、と含み笑いをして、詩志は告げる。


「オレ達は――この国を変える」


「え……」


「この暴力で支配されている国を変えるんだ」


「そ、それって……」


 阿部は口をパクパクと開いて、それでもやっと言葉を引きずり出す。


「俺と……俺の目標と同じ……」


「規模は違うけどな」


「確かに。俺はこの学校だけを解放しようと…………ああ!」


 不意に阿部は眼を見開き、悟ったように小さな声を落とした。


「……そういうことか」


「ようやく気がついたか」


「ああ、何となくね……」


 参ったなあ、と頭を掻いて、しかしそれでも満足そうな表情を阿部は浮かべる。


「全ては君の掌の上のことだった、てことか」


「たまには孫悟空の気持ちになってみるのもいいものだろ?」


「君はとても釈迦には見えないけどね。むしろサタンだ」


「その通りだな。ってことは、お前はそのサタンの手下になったわけだ。そういうわけで、早速命令を聞いてもらおうか――誠。一〇秒後にこっちの映像をアップにして」


「了解」


 カメラ君こと誠は、ヘッドマイクで悠一に指示を飛ばす。それを確認した後、詩志は早口で阿部に向かって、


「計画では、本郷が負けているはずだ。多分、ゴネているだろう。そこにメッセージを送ってくれ。何を言えばいいかは――分かるだろ?」


「ああ、分かっている」


 大きく阿部が頷いた所で、誠がカメラのレンズの横で指を折り始める。それが全て閉じると、阿部はカメラに向かって、言葉を紡ぎ始めた。



『本郷、俺達は負けたんだよ。諦めろ』

『多分恨みごとを連ねているだろうが、その声はこっちには届いていないぞ』

『実際に見てはいないが、本郷。お前が負けて、そしてゴネているのも報告を受けている。だから一つだけ言っておくよ――見苦しい』

『ま、見えていないけどな。はっはっは』

『……笑えないけどな。負けたし』

『俺達の――3年生の負けだ』

『――だが、1年生諸君!』

『我々は今回負けたが、君達に勝つ力はまだある。よって君達の下にこれから着くことになるが、いつか宣戦布告をするからな。その時に勝つのは――』

『――俺達、3年だ』



「獅子島君。これでいいかい?」


 悠一が丸印を出すのと同時に、阿部はそう尋ねる。


「ああ、ばっちしだ」


「そうか。それは良かった」


 疲れたように吐息を漏らした。


「……これからちょっと大変になるなあ。まとめて、抑制して……」


「でも、もともとやろうとしていたことだろ?」


「ま、そうだけどね……いや、むしろ楽になった。1年生は君達がまとめてくれるんだからね」


「まとめるも何も、オレ達は1年生を縛らないぜ。お前達が二・3年生を抑制しつつ、活性させてくれれば、こっちからは何も手を出さないぞ。調子にのっている奴がいたら、そん時はオレ達が口出し介入するけどな」


「口出しだけ、か」


 阿部はそこで肩を竦める。


「それも、この宣戦布告の効果だよな。そこまで全部計算づくで行動していたんだね」


「まぁな」


 ふふん、と自信満々で鼻を鳴らす詩志は「さてさて」と前置きをして、


「これで大体、オレ達の計画は分かっただろ? じゃあ、答えあわせといこうか」


「する必要あるかい? きちんと俺は分かっているし、それにここには由良見先生も……」


「ちゃんと分かっていないと、後々に困るからね。あんたには、悪い言い方でオレ達の下、普通の言い方だと、きちんと協力してもらいたいからね。……それにさ」


 詩志は表情を緩めて、彼女をのいる方を指差す。


「ゆらみん、寝ているよ」


「へぁ?」


 阿部は口を半開きにさせて、彼女の方を見る。


「……ライスボール」


 紅白の旗を左右に落として、由良見先生はこっくりと船を漕いでいた。


「だから試合の技ありや有効を取らなかったんだよ。最後の一本も宣言しなかっただろ?」


「……何で気がつかなかったんだろうな、俺は」


「お前は勝負に集中していたからな。他のことに注意がいかなかったんだろう」


「確かに。君が強かったから、気を引き締めて、倒す方法をずっと頭の中でぐるぐると考えていたよ。……しかし、先生、何で勝負の最中に寝られたんだ?」


「それもこちらの計算だよ。徹夜で問題を仕上げさせて、柔道の審判は二、3人必要なのに先生だけにして、しかも最初にグダグダと話して眠気を誘った。とはいえ、ここまで完璧に眠ってくれるとは思っていなかったけどな。意識ここにあらず、あたりで十分だったから」


「じゃあ、ここでの話は、先生には聞こえないってことだね」


「先生が策士じゃなきゃね」


 ま、と手を広げて、


「ばれてもいい先生だから、ゆらみんを選んだんだけどね。さあ、だから気にせずに確認しようじゃないか」


「そんな軽いノリでいいのかな?」


 そう首を傾げつつも、阿部は一つ頷いて、


「じゃあ、簡単にまとめて」


 詩志に言われた通り、確認作業を始めた。


「結論からいうと、この宣戦布告の目的は、全学年の表面的な支配ではなく、根本的な掌握だったんだね。前回の2年生の時の勝負であのやり方によって、君達に反感を持っていた1年生も、今回の真っ向勝負で勝ったその事実から、一転して全面的に支持するだろうしね。そしてそれをした理由は――」


 息を呑んで、阿部はゆっくりと唇を開く。


「君達の敵はもっと上の方にあって、その際に、俺達が必要だってことなんだね?」


「大正解だ」


 まるで難問を解いた子供を褒める時に親が浮かべる慈愛の笑みを、詩志は見せた。


「さっきも言った通り、オレ達の目標は『力で頭脳を支配するこの国を変えること』だ。それには、8人だけで達成するなんて到底不可能な問題だ」


「8人って……君達、あの種目に出場した8人だけしか、戦力に入れていなかったのかい?」


「『今回は勝負しなくていい。オレ達8人の頭脳だけを賭ける』とこっち側には説明していたんだよ。それが受け入れられる秘密兵器があるから、って。ま、嘘だけどね」


「そうか……だから1年生は、あんな他人事のような観戦態度をしていたのか」


 感心したような声を上げ、阿部は天井を見上げる


「参ったな。たった8人に2・3年――560人は負けたのか」


「そういう理屈なら、こっちも280人だ」


「いや、こちらは選手を全体から選抜しているんだ。でも、君達はその8人で最初から最後まで挑んだ。だからそれで合っているんだよ」


「その8人に合わせて種目を選んだんだから同じだと思うけど……ま、どうでもいいことだな」


「そうか……じゃあ、次にどのことを確認しようか」


「んー、さっきのことだけで十分だけど……じゃあ、オレが2分半でお前を倒したわけでも推測してもらおうか」


「それは、俺が負けることを隠すためだって、さっき――」


「そうじゃなくてさ」


 ちっちっちと、詩志は指を振る。


「どうして2分半か。それの理由と、その方法は判るかな?」


「……推測で悪いが」


 阿部は難しそうな顔をしながらも解答する。


「あの書類上から読み取るに、勝負がつきそうな時には全画面表示になってこちらの映像は映らない。剣道の場合は長くても40秒、格闘は前後で30秒くらいかな。どちらかが勝てば終わり――現に格闘で終わったんだから、まず、剣道で全画面表示して、次に格闘で勝利、ってところだよね?」


「うん。そこは正解」


「だとしたら、剣道は始まってすぐ、一分くらいで負ける。そうすれば、ざっとだけど前後20秒は俺達が映らなくなる」


「時間も大体合っているな」


「それで、2分半ってのは、ちょうど勝負の終わりが隠せる辺り――つまり、ここが映っていないおよそ一分をプラスして、格闘を3分半で決着をつけるようにしたんだろう。そしてその一分で、俺を説得する算段――ってことじゃないかな」


「おお、見事!」


「でも、ここで一つ疑問が残るんだよね」


「疑問?」


「編集が大変だろう、って。それごとに映像を繋ぎ合わせてだの、そういう風にするのは」


「ふむふむ。で?」


「だからさ、その画面はフェイク……いや、保険だったと考えて、もう一個策を打っていたんだと思うんだ。例えば――そう、柔道だけ開始時間を1分、早まらせるってね」


「ほう」


「そうなると格闘の決着は変わらず3分半――つまり、君が俺を説得するのに使える時間はきちんと1分間あって、その間、画面にはずっと1分前の映像が流れている。だから俺が負ける時が映らない……矛盾を埋められるから、恐らくこれだね?」


「大正解、いや、超正解だね」


 手を叩きながら、最大級の賛辞を送る詩志。


「ここまで分かっているなら、もう何も言うことはないよ」


「そうか。まあ、具体的な方法は聞かないよ。聞いても意味ないからね」


 満足そうな笑みを浮かべると、阿部は詩志に背を向けた。


「じゃあ、もう親しく話す必要――いや、逆に刺々しい態度の方がいいかもね」


「それは駄目だな。お前自身が変わったのがバレたら、お前の信頼が落ちる可能性がある。そうしたら、二度手間になるからな」


「努力はするよ」


 ひらひらと手を振って阿部はその場から立ち去る。が、ひたと足を止めて、


「あ、そういえば」


「どうした?」


「俺以外が代表のままだったら、どうしたんだい?」


「お前が代表の座に着くのは、ほぼ分かっていたけどな。ま、もし他の奴が代表だったら、午前中で終わらせていたぞ」


「あれ? そうしたら午後の種目は――」


「あらゆる場合を想定しておくべきだろ? 当然、このケースも想定範囲内だ。お前がこういう思想かも、ということもな」


「そうなのか。じゃあ、もし俺が本性を隠したあくどい奴だったら、どう対応したんだ?」


「その場合は、わざと午後にもつれさせるな。その時はボコボコに負ける姿を全校に放送するね。もし種目に出てこなかったとしても、あくどい部分を編集して勝負の後にじっくりと流そうかなあ。くっくっく……」


「……駄目だあ」


 ぷっはー、とお手上げだとというように腕を広げ、阿部は大きな笑顔を浮かべた。


「君に勝てる気がしないよ」


「だろ? 負けるつもりはないからな」


「言うねえ。はっはっは!」


 諸手を上げたまま、阿部はひたすら笑う。


「もう降参降参! はーっはっは! はーっはっは!」


 酒を飲んだ後のサラリーマンの機嫌がいい時の様に、嬉しそうな笑い声を上げながら、真っ直ぐに退場していった。

 因みに。


「……すー」


 そんな中でも由良見先生は、畳に転がって、すやすやと寝息を立てていた。

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