第14話 オレ達と2年生の勝負 ――100メートル走

    ◆



「……わけがわかんねえよ」


 100メートル走のスタート位置でラジオ体操(しかも第2の方)をしていると、2年生(残った方)がそう話しかけてきた。


「まったく、何が正義だ。あんなとんでもない理論を展開して、何が言いたいんだよ、あいつは……」


 2年生(残り御飯)は、先程の小物臭いような勢いはどこにいったのやら、随分と意気消沈していた。

 ……からかいすぎたかな。ちょっと優しくしてあげよう。口調を。


「それをぼくに聞いて、どうなると思います?」


「何にもならないって判っているけどさ……でも、どうしても言いたくなったんだよ。お前達がああいう手で勝負して来たことにな」


「ああ、そうですか」


「あ、いや……でも、判っているんだよ、あいつの言い分は」


 おっと、予想外のリアクションを返してきた。


「ちゃんと書類を読まなかった2年生全体が愚かだったのも。俺も面倒くさいって思って、自分の出場するこの100メートル走の項目すらちゃんと読んでいなかったしな」


 ……おいおい、この10分で何があったんだ? 先刻、ぼくに噛み付いてきた人物と同じだとは到底思えないぞ。……まさか別人? ちゃんと顔を覚えておけばよかった。

 なんて怪しく思いながらも、話を続ける。


「でも、何でそんなに落ち込んでいるのですか?」


「それは落ち込むさ」


 2年生(意外に普通の人っぽい)は、死んだ魚のような眼をぼくに向けた。


「だって、負けたら頭脳を奪われるんだぞ。んで、どうやら勝ち目がないっぽいし……やる気なんか出るわけがないだろう」


「ああ、そうでしたね」


「俺、あんまり頭が良くないから、これ以上頭脳がなくなったら留年……いや、もしかしたら退学かもしれない……どうしよう……」


「……」


 思わず、言ってしまいそうになった。


 大丈夫、と。


 理由はある。

 だが――言えない。

 今は言えないのだ。


 ……いや、それ以前の問題だ。

 ぼくは正義ではない。

 それは自覚しているはずなのに――


「……っ」


 甘かった。

 誠にああは言ったが、ぼくも甘い。

 非情に成りきれない。

 しかも、誠とは違って、ぼくは相手が可哀想だと思った時に――同情した瞬間に、こんな考えを持ったのだ。


 卑怯な偽善者だ。


「……せめて」


 2年生(後で名前を聞いておこう)は、ぽつりと言葉を落とす。


「真剣に勝負したかったな……それなら、負けても悔いはないのに」


 ……ああ、何という愚かしさだろう。

 ぼくはその言葉に――光明を見つけてしまった。


「大丈夫ですよ」


「え……?」


 あらゆる意味で陸羽海斗という人物は馬鹿だな、と心の中で侮辱しながら、ぼくは言葉を止められない。


「この種目の作戦は、あなたの精神的な弱さに付け込こむこと。だから、この事実をこのタイミングで発表したのですよ」


 やれやれと首を振る。


「そもそも、100メートル走なんかに小細工など出来るわけがないじゃないですか」


「そうなのか……? 自転車とか超加速装置とか使うんじゃ……?」


「その二つは、100メートル走では第26項目と第456項目で禁止されています。因みに、後者はこの世に存在していないですよ」


 それでも書いておくのが、あの書類クオリティ。


「ああ、ぼくは馬鹿ですね。勝率は10割だったのに、自分で下げて……」


「……ありがとう」


「はい?」


「本当に……ありがとう……」


 ポロポロと、2年生(実は本当にいい人だったっぽい)はグラウンドに涙を落とす。

 ……って、泣いた?

 どんだけキャラが変わるんだよ、この人。


「……あー、調子狂うなあ」


 ぼくは頭を掻きながら問い掛ける。


「何故、泣いて感謝してくるんですか?」


「だって、真剣に勝負してくれるから……」


「――判っていないですね」


「へ?」


「どうして、ぼくがこうしてあなたに、そのことを話していると思うんです?」


 口をポカンと開けている彼に向かって、不敵に笑い掛ける。


「それは、あなたに勝てる自信があるからですよ。普通に勝負しても」


「……そうか」


 2年生はキリッと眉を上げて、水滴を拳で拭く。


「うん。かかってこい。俺だってお前に勝つ自信があるぞ」


「では一つ、確認します」


 ぼくは言葉を区切り、2年生に向かって告げる。


「宣戦布告とは、種目全体に、『勝負だ』と宣言して、双方がすでに了解している形です。つまりは既に了承を得たモノとして、この勝負に負けた方の頭脳が奪われることとなります。全体の勝敗が決した時点で各グループ――この場合は学年ですね。そこでの頭脳の受け渡しが行われます」


 グループでの頭脳の奪い合いは他にもあったが、敗者への頭脳の受け渡しの基準は不明確で、誰が誰に奪われたのか、全く分からない状態となってしまっている。そのようなデメリットはあるが、明確なグループ分けがあるならば、所属しているだけで頭脳が得られるというメリットも存在している。どちらを選択するかは、その人次第ということだ。


「ですが、各種目の代表者はその場の勝敗にて頭脳の受け渡しが行われます。但し、全体での勝負に勝利すれば、戻ってきます」


 奪うのはランダムだが、奪回は持ち主に戻る。そのパターンは様々あるが、今回は単純な一対一での勝負と、全体での勝負がすぐにつくというパターンなので、全体で勝てば負けた時の頭脳が戻ってくる、という普遍的な事例に当て嵌まる。

 当て嵌まらなくなる例としては、ぼくが彼から奪った直後に3年生に奪われると、その頭脳はそのぼくから奪った3年生を倒す、もしくは3年生グループに勝利しない限り、例え1年生のグループに全体的に勝ったとしても、その人の頭脳は戻ることはない。その場に既に所有権が無いのだから。

 このように、頭脳の奪い合いには複雑なルールが絡み合っており、現在、全ての状況が把握されているわけではない。例外も沸々と出ているし、思わぬパターンが発見されることもある。


 まあ、要するに、一々考えていたら面倒くさい、ということだ。

 いいじゃん。今回は単純なパターンなんだし。はい、さっさと話を進めるよ。


「それは承知の上ですか?」


「分かっている。真剣に全力で挑んだ結果に、後悔などしない」


 彼の嬉しそうな表情に、罪悪感が薄れていく。

 ああ、最低だな、ぼくは。


「……最後に、もう一つだけ言わせてください」


「ん?」


「ぼくは勝っても謝りません。そして他の競技者も、ぼく達は絶対に謝りません」


「ああ。俺達もだ」


 2年生は、グッと拳を握り締める。


「納得しない奴もいるだろうが、勝負はあの書類から始まっていたんだ。あんた達が例え卑怯だと思われる手を使っていても、その方法を相手に悟らせないために、あれだけの書類を作り上げたんだ。あんた達は努力した。全力を尽くした。最初から真剣だったんだ。そこの段階で努力せず、全力を尽くさず、手を抜いた俺達に何が言える。だから……俺達がお前達を責める理はない」


 ……この人は、とても凄いな。

 一見、理不尽に見えるぼく達の行動を、ここまで読み取れる人はそうはいない。

 本人が言うように、成績は悪いのかもしれない。

 だが、この人は――とても賢い。


「……謝らないと先程言いましたが」


「ん?」


「『謝る』という字は使わせていただきます」


 ぼくは彼に、頭を下げる。


「感謝します」

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