第13話 オレ達の作戦を反則とは言わせない

    ◆


「レースを止めろ! 反則だろ!」


 そう喚いているのは2年生。辺りを見渡すと、会場全体がぼく達に向かってブーイングをしている。1年生の中にも「あれはちょっとなあ」と戸惑っている人もいるようだ。

 そんな状況の中、誠は黙々と作業を続け、ついに搭乗する準備ができた。この時点で既に相手はトラックをほぼ一周して外へと向かっていたためにその姿はなかったが、自転車とマラソンでは雲泥の差、とまではいかなくとも、かなりの違いがある。


「出発」


 誠は意気揚々とペダルを漕ぎ出し、まずはトラックを一周する。その間に観客席から物凄い罵声を浴びせられる。「ふざけんなよ、このやろう!」「何で審判は止めないんだ!」「あ、そうか。1年生贔屓か」「どんだけ金を積んだんだ?」「誠くーん。婚姻届だけでいいの」「きたねえぜ、1年」


 ……耳が痛いなあ。

 そう頬を掻いていた所で、


『――汚いだと?』


 スピーカーから、詩志の凛とした声が流れ出る。

 瞬時に罵声は止み、静寂があっという間に場を支配する。


『おい、誰か書類を持っている奴、20000メートル走の項目を見てみろ。そこに書いてあるか? 《自転車の使用を禁止する》と』


 再び紙を捲る音がそこら中から聞こえてくる。無論、ぼく達は確認するまでもない。

 何故なら、この書類を制作したのは、ぼく達なのだから。

 無駄とも思える程、大量に書いたルールや補足事項。

 それらは全て、このために用意したモノ。


 全ては――


『だから言っただろう。書類をきちんと読め、と』


「で、でも!」


 そう言ってグラウンドの真ん中に出てきたのは、2年生側の代表である副会長だった。彼はマラソンの中継に向かった悠一の代わりを務めている放送部員に詰め寄り、マイクを奪って校舎を指差した。


「書いていないからだって、まとめて禁止に……」


『してないから、あんなに長くなったんだよ。因みにオレは高みの見物をしているから、そっちじゃなくて西校舎だぞ』


 補足すると、教室には他にも杏と(恐らく倒れているであろうが)美里、夢が待機しており、改多はマラソンの実況をする悠一と先生の誰かと一緒に、車で誠の姿を映しているはずだ。


「くっ……」


 副会長は顔を歪め、身体の向きを一八〇度回転させる。


「この……外道が!」


『外道? 何を言っている? つーかあんた達がそれを言えると思っているのか?』


 詩志のその声には、軽い嘲りが込められていた。


『もともとおかしいだろうが。こっちは8人――まあ、オレを含めなきゃ7人か。で、勝負するっつって勝負前にその種目と出る人までご丁寧に教えてさしあげたのに、ああ外道か。そりゃ外道か。んなの、対策を取るに決まっているだろうが。アホが』


「……っ」


『勝ち目のない勝負を、理由もなく挑む馬鹿がどこにいる。何で考えなかった? 不審に思うだろうよ、あんな書類。理由もなしにグダグダとあんなに項目を書くか? それを全部読み上げるか? 1ページごとの承認の証明が必要だと思うか?』


 ぼく達にとっては必要なこと。

 しかし、相手にとっては不要なこと。


『そこに何かがあると、普通は思うだろうが。結果、お前は怒り、きちんと検証せずに了承した。自分達の不利になるものが何も書いていなかった、って』


「……」


『でも――とは判らなかった。真の意味で確認を怠った』


「それは……それ、は……」


 返す言葉がなく、俯く副会長。


『お前は代表として失格だ』


 詩志は鋭く言葉を投げつける。


『また、お前を信用したかどうかは知らないが、書類の不審さを指摘しなかった2年生全体が悪い。だから――自分達が負ける可能性を考えなかった2年生。自分達がオレ達に勝とうとしなかったのが、お前達の敗因だ』


 うわ、2年生全体にとどめの矢を放ったよ。2年生を庇うわけではないが、普通は気がつかないし、読む気も起きない。ぼくだってあんなのいきなり渡されたら、表面だけ見てあとはポイッチョだもの。

 詩志の言葉で、2年生は完全に口を閉じる。

 詩志は正論で、文句のつけようがない。

 用いた手段は間違っているが、間違っていないのだから。

 まともに読んだ人など、一人もいないだろう。

 だから文句を言わない。

 言えない。


 ――だが、そんな中。


「……まだだ」


『ん?』


 絶望に打ちひしがれていた副会長が、眼に炎を灯した。


「まだ、分からないぞ! 1年生代表!」


『ほう、どうしたと言うんだ?』


「お前達が卑怯な手を使おうとも……俺達は実力でそれを跳ね除けてやる! 20000メートル走は無理でも、他の競技では――」


『……あのさ』


 スピーカーから吐息が漏れた。


『2年生代表の馬鹿よ。お前、自分達が正義だとか思っているような言い方なんだけどさ……あんたら、そういう意味で言ってんのか?』


「ああ、勿論だ。俺達は悪に屈しない!」


『ま、オレ達が正義だとは言わないけどさ……』


 いいか、と呆れた声。


『どうやら忘れているようなので言っておくが、お前達は、たった8人に対して、280人以上で勝負を挑んでいるんだぞ。こっちは前もって出場する人を決めているから、そういうことになるんだぞ。言うならば……そうだな。怪獣1匹に5人で撃退、ヒーロー戦隊ってな感じになっているな。前々から思っていたけど、これってどっちが悪だよ』


「それは……」


『ま、そんなことはどうでもいいか』


 自分で話を振っておきながら、傍若無人な振る舞いの詩志。


『とにかく、言いたいことは、お前らも正義ぶるなってことだ』


「詭弁だ。どうみてもお前達が悪だろ!」


『あれー? オレ達から言わせれば、抑圧して来る2年生の方が悪なんだけどな』


「そ、それは……い、一部の人間だけだ」


 副会長は下唇を噛んで視線を逸らす。


『そうなのかねえ。まあ、そういう抑圧が頻繁にあるから、オレ達はこうして宣戦布告したんだけどさあ、それでも一部だって言い張る?』


「ぐっ……」


『そういうことをしないようにするために、オレ達はあんた達2年生をいい意味で抑圧しようとしているんだよ。さてさて、そうなれば――悪はどっちになるのかな?』


「ぐぅっ……」


 副会長は言葉に詰まり、そして絞り出すように、言葉を落とす。


「じゃ、じゃあ、お前が正義だって言うのか!」


『馬鹿を言え。オレだって正義を気取るつもりはない』


 ふん、と鼻を鳴らし、詩志は次のように断言する。


『正義なんて――どこにもない』


 清々しい程にきっぱりとしたその言葉に、副会長は圧倒されたように言葉を絞り出す。


「正義などない、だと?」


『ああ。その通りだ。今の状況を見て判るだろうよ。オレ達にとってはあんたらが悪だし、あんた達にとってはオレ達が悪だ。それだけのことだ。そこに、どこにも正義なんてない』


 微笑が生んだ風をマイクに乗せ、詩志は告げる。


『だってさ、この世は悪と嘘と偽善と自己満足で出来ているんだからな』


 その言葉と共に、無音の時が訪れる。

 誰もが感心したようにポカンと口を開けた。

 この世は悪と嘘と偽善と自己満足で出来ている。

 それが、この世の真理――


 ……と、そう思っている人が多数出てきそうだから困る。


 ぼくは知っている。

 あいつは多分、適当にかっこいい言葉を並べただけだろう。相変わらず、口だけは上手いな。

 ……しかし考えると、なかなか深い言葉ではある。

 今度杏と一緒に詳しく考察してみるか。


『――ああ、そういえば』


 静寂を、唐突に詩志の言葉が切り裂く。


『正義は必ず勝つ、という言葉があるな。なあ、副会長?』


「な、何だ?」


『でも、それって間違いだと思わないか?』


「間違い?」


『そう。正義はいっつも勝っているけど、さっき言ったみたいな例もあるだろ?』


 ああ。戦隊ヒーローの話ね。


『ってことはさ、こう考えられるってことだよ』


 みんなが詩志の言葉に耳を傾けている中、その当人はとんでも理論を展開した。


『正義が勝つんじゃなくて――勝った方が正義なんだよ』


「は?」


『さてさて、これで大義名分が出来たな。さて、2年生諸君――』


 ここで絶対に詩志は笑みを浮かべただろう。

 そう想像できるような声だった。



『――正義をかけて戦おうか』

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