第12話 オレ達と2年生の勝負 ――勝利の方法
◆
10時15分。
詩志の衝撃的な挑発から間もない時刻。
ぼくはグラウンドの真ん中にいた。
観客席では1年生に向かって2年生が怒り声を上げている。無理もないが、間に入っている先生が可哀想だ。特に由良見先生は「止まってくだせえ!」なんて、小さい身体で女性なのに頑張っている。それを見て和んでいる2年生もいるから、凄いと本気で思う。他の先生達は頑張ってくれているのだが、暴れる奴は勝手に暴れるがいい、とぼくは静観する。
どうせ後で、詩志の言ったことは事実だと気が付くのだから。
「……というか、事実にしなきゃいけないんだよなあ」
ぼやいて見上げた空は晴天。……そういえば『雲ひとつない空』とか小説とかの表現でよくあるが、よくよく考えてみたらそんな空は実在しないと思う。あるとしたら人工的なものだろう……待てよ。小説って創作物だよな。その創作物って人工的なものだよな。となると間違いではないのか。
「……おお。素晴らしき発見」
「何しているのさ」
「いや、空の不思議を解明したのさ」
「よくこんな状況でそんなことが考えられるね……」
感心したようにそう言う誠は、空とは対照の曇り顔。彼は腕を伸ばしたり屈伸したりと、20000メートル走のスタートの準備をしている。20000メートルも100メートルもスタート位置は同じで、時間と見栄えの関係から、先に20000メートル走から始める。
20000メートル走は基本的には学校の外の平坦な道を走る。コースは決まっており、選手の横を、それぞれ乗用車で先生が補給や道案内などのサポートすることになっている。
「でもさ……いいのかなあ……」
誠がヒソヒソ声で話し掛けてくる。
「ん? どうした?」
「だって、反則でしょ。『アレ』は……」
誠は自分の横に置いてある、白い布で覆われたを『モノ』を見る。
目測横70センチ。縦1メートル半。高さ1メートル程度。
そんな四角い物体。
「まあ、通常なら反則だろうな」
ぼくは苦笑しつつ、思いっきり誠の肩を叩く。
「でも心配するな。今回のは、則りに反していない。故に、反則じゃない。だからこそ、あんなに面倒くさい長々とした書類を作ったんじゃないか」
「……そうだよね」
「おいおい。お前、まだ正義気取りでいるのか?」
「いやいや、そうじゃないよ!」
誠は首が取れそうに思える程に大きく横に振る。しかし、すぐさましょんぼりとした顔になって言葉を落とす。
「たださ、先生に止められちゃうんじゃないかな、って……」
「大丈夫。心配するな」
ピラリ、とぼくは懐から紙を取り出す。
「それは……?」
「誠がそう言うと思って、詩志から宣言書のコピーを貰ったんだ。秘密裏に、ある一人の先生にお前の種目で用いる手段を話して、書類を読んでもらった上に『問題ない』と言葉をもらっている。更には太鼓判まである。これで相手は文句ないだろ」
「そうなんだ……ふふ、お見通しなんだね」
誠は情けないというように、自虐的に笑った。
「僕の気が弱いから、こんな手間まで掛けさせて……」
「ん? 別に手間じゃなかったけどな。これ、詩志があっという間にやったし、それにやったのはお前の競技だけじゃなかったしな。『先生、どう?』『おう、獅子島。大丈夫だぞ。文句の付けようのない』『じゃあ、先生の指切って』『分かっ――え?』『ぶしゅ。はい。けつばーん』ってな感じでスムーズに進行したぞ」
まあ、多少柔らかく表現しているが、概ねこんな感じだった。
「だから、そんな責任を感じるなよ」
「でも……」
「それに、だ」
強めな口調でぼくは言う。
「お前は気が弱いんじゃなくて優しすぎるんだよ。見た目はとっても怖いのにな」
両手で自分の目の端を引っ張っておどけると、誠は「あはは」と、自虐的ではない、きちんとした笑い顔を見せた。
「うん。ありがとう。これで僕も迷わずに進めるよ」
「おう。頑張れよ」
「うん。海斗もね」
そうやってガシンガシンと拳をぶつけ合う。
友情が深まった。
「ちょっと誰か助けてー。美里ちゃんが倒れちゃったよー」
遠くの方で、杏の悲鳴が聞こえた。
「……なあ、誠」
「……何? 海斗」
「最近さ、美里の暴走が激しくなってきていないか?」
「暴走じゃなくて妄想だけどね。きっと美里も気持ちが高ぶっているんだよ。宣戦布告に」
そうだといいけど。……本当にそうだといいけど。
「ま、漢字書き取りは午前中の最後の種目だし、何とかそれまでには間に合うだろうさ」
とてもじゃないが美里の心配をしている暇はない。何故ならぼくと誠はもう間もなく走らなくてはいけないのだ。お返しに、美里と杏のからみを想像するとか、そんなことをしている暇は絶対にない。絶対にだ。…………あ、やばい。何か脳内に浮かんできた。
『あー、お待たせしました』
そんな欲望を読み取ったと考えるのはただの被害妄想だが、ちょうどいいタイミングで正気に戻してくれたその放送に、ぼくは感謝した。
『争っている1年生も2年生もストップしてくださーい。ただいまより、20000メートル走と100メートル走を始めますよ』
いい声だな、先輩の人。口調は軽いけど、まるでプロの人みたいだ。
そんな風に、先程の考えを進めないように意識的に他のことを考えるようにしていると、
「――おうおうおう。いい気になっているんじゃねえぞ、1年坊」
「そうだぜ。俺達に勝てると本気で思っているんじゃねえよな」
横から二人の男子が、尊大な態度で声を掛けてきた。ぼく達にとっては名前を覚える必要もない人物なので細かい描写もしないし、呼び方も2年Aと2年Bとする。キャスト欄に名前がなくても問題ない。あ、演者さんは可哀想なので、演者さんの名前は書いておいてください。
さてさて。
俺達に本気で勝てると思っているんじゃないのか、って訊いてきているのか。
「思っているんじゃないかなー」
面倒くさいので、適当に杏の真似をしてそう答えてみる。
すかさず2年Aが反応する。
「ああ? 何言っているんだ、てめえ? ここで奪ってやろうか?」
「貞操を? それはゴメンだな」
「……なめてんのか?」
「奪われそうな上に舐めるなんて、何てヒワイな……」
そう口にすると同時に、誠が腹部と口を押さえて震えて始めた。恐らくは笑いを堪えているのだろう。冥利に尽きるな。
同様に2年ABも震えているが、そっちは怒りによるもののようだ。冥利に尽きるな。
「いいか! ふざけていられるのも今の内だぞ!」
「お前らに勝ち目なんかねえんだからよ!」
「そんなテンプレ通りの雑魚が言う台詞を言うなよ。ヒャッハー。誠が笑っちゃうだろ」
「ごめん、海斗……僕、もう……笑っちやってるよ……っぷははははははは!」
堪え切れなくなったようで、ついに誠の笑いが暴発した。
「だ、駄目だ………お、面白すぎるよ!」
「礼を言うならこの人達に言え。ぼく一人じゃこんな笑いを生み出せなかった」
「あ、ありがとうございます! あはははははははははは!」
「て、てめえら……」
2年ABの顔は今にも爆発しそうなくらい真っ赤で、ブルブルと肩が大きく震えている。
追い討ちしてみた。
「お前達は腐ったみかんじゃない。腐ったりんごだ!」
「あはははははは! ネタが古すぎだけど言い得て妙だ!」
「「ぶ、ぶぶぶぶぶぶぶぶっころしてやる!」」
2年ABは拳を振り上げる。
……が、攻撃はしてこない。
多分、誠が怖いのだろう。なんせ見た目だけは屈強だからな。
「ちっ」
やがて二人は拳を降ろし、吐き捨てるように言葉をぶつけてくる。
「生意気な1年坊主が。今に見てろ」
「ああ。俺もこいつも、先輩の次に早いんだからな。つまり、この学校で二位ってわけだ。1年が勝てるわけねえよ」
「説明口調ありがとうございます」
口先だけでそう感謝の言葉を口にし、ぼくは唇の端を歪める。
「でも知ってるから、別に必要ないっすよ。ざーんねんでした」
「……ちっ」
いい加減怒ることに疲れたのか、舌打ちしかしなくなってしまった。
つまらなくなってしまった。
ぼくは一つ息を吐き、少し大きめな声を天に投げる。
「――ねえ、悠一の先輩の人、どこかにいるのでしょう?」
『ん? 放送室だけど、カメラで見てるよん』
「多分、この人達の表情を楽しんでいたのだと思いますけど、もう飽きたんで始めちやってください」
『オッケー。ってなわけでコントでした。皆さん拍手ー』
気がつかなかったが、放送までされていたのか。少し恥ずかしいな。
まあ、あいつらよりはマシだけど。
因みに、腐ったリンゴは赤から紅になっていました。色鮮やかです。
『さあて、これからスタートする競技は20000メートル走。何故20キロをわざわざメートル表示で20000メートルとするのか、そしてハーフマラソンよりも微妙に距離を短くしたのかは判りませんが、とにかく、20000メートル走。実況は私、
先輩の名前かっこいい!
でも、自分の名前にはしたくない!
『そしてピッチ解説は轟悠一です。現場の轟さーん?』
「せんぱーい。色々混ざっていますよ」
そう言いながらぼく達の近くに、手にマイクを持った悠一が現れる。
「はいはーい。1年生の代表に属している自分ですが、インタビューは平等にやりますよ。さてさて、まずは1年生の二人に聞いてみましょう。今の気持ちは?」
「き、緊張しています」と誠。
「気持ち悪い。敬語の悠一が」とぼく。
「悪かったな。気持ち悪くって。ではでは」
悠一はマイクを、2年ABに向ける。
「今度は2年生チームです。今の気持ちは?」
「あいつら叩きのめしてやる」
「絶対にぶっつぶしてやる」
「気持ちを聞いたのに意気込みを語られてしまいました。現地からは以上です」
『はいはーい。ありがとう後輩。ではさっそく行きましょうか。吹奏楽部の皆さん、よろしくお願いしまーす』
その声で、グラウンドの端の方にいた楽器を持った集団から、ファンファーレが聞こえてきた……って、あれ? これって確か競馬の奴だよな? まあ、合っているっちゃ合っているけれども。まさか、賭けとか行われていないよな?
そんなこんな思考している内に曲が終わる。
『はい。ありがとうございました。では二〇〇〇〇メートル走の走者の方は、スタート位置に着いてください』
2年生(AだかBだか忘れた)が肩をぐるんぐるん回しながら、所定の位置に移動する。
一方、誠はというと、
「これ……移動させにくいよ」
『おーっと。1年生チームの選手、何やら大きな筐体を引きずっております』
観客席が騒々しくなる。やっと気がついたのか。っていうか、あんなにでかい物に何で誰も触れなかったのだろうか? ……ああ、あれか。灯台下暗しって奴か。あまりにも目立ち過ぎると、逆に目立たなくなる法則。
「よいしょ、っと」
「おいおいおい。1年坊よ、それは何だ?」
「これですか?」
ふーっ、とレースをする前にひと仕事した充実感たっぷりに汗をぬぐった誠は、それまでの彼が見せたことも、そしてこれからも見せるとは思えないような、何かをたくらんでいる笑みを浮かべる。
「レースが始まれば判りますよ」
「……へえ」
2年生AかBは、軽口を叩く。
「どんなジェットロケットスタート装置が入っているのかな」
「それは第123項目で禁止しているはずですよ」
「嘘つけ」
『……おお。本当だ。本当に書いてあるし! マジすっげえ!』
放送部の先輩のその声に観客席がどよめき、一斉に書類を捲る音が聞こえる。「あ、本当だ!」「マジであるぞ!」「ってか何であるんだよ?」「すっげーっ!」「誠くーん。結婚してくれー」「どんだけ天才なんだよ……」などという声が、耳に流れてくる。
「そんなの当然です」
賞賛の嵐を浴びている当人は、静かに言葉を紡ぐ。
「僕達8人は全員、このルールを暗記しています。驚くことではないですよ」
『いやいや、すげえよ。あんたら……』
「あ、おれは覚えてないよ」
『情けないぞ、轟! さてそんな後輩に喝を入れた所で……はいはーい。そろそろ収拾つかなくなりそうだから、始めるぞー。静かにっ!』
先輩の声一つでピタリと止む歓声。素晴らしき統率意識。やっぱりここに来ているのは、ほとんど体育系の人達なのだろうか。命令口調に対しての反応が素早い。
『よし。じゃあ、先生、開始の合図をお願いします』
教師の一人が、ピストルを持ってコースの横に立つ。
「いちについて、よーい――」
掛け声。
2年生AもしくはBは、拳を握り締めて前傾姿勢を取る。
誠は横にあるモノに掛かっている布を掴む。
――パン。
先生の引き金に掛かる指が曲げられ、そして乾いた音が響き渡る。
同時に誠が布を取り去る。
『なんじゃこりゃーッ!』
直後、そんな台詞を放送部の先輩は叫んだ。彼には事前にこのようになると伝えていたはずだから、意識してやってくれたのかもしれない。まあ、知っていても、やはり驚くのだろう。
本当にやりやがった、と。
観客も唖然。
相手の2年生も走りながら、眼をあらん限り大きく見開いて叫ぶ。
「そ、それは反則だろうがっ!」
「反則ではないですよ」
手に持った白い布を脇に投げ、いそいそと形を隠すための外枠型を外す誠。
煌めくブラックな流星形のボディ。
魔王をも暗い尽くすような大きなホイール。
それでいてチワワを思い出させる、ワンポイントとなる前方の白いカゴ。
これで腰痛も治りました。(岐阜県・42歳)
これで彼氏が出来ました。男だけど(香川県・14歳)
……と、まあ、こんな風に意味の判らないキャッチコピーを付けてみたわけだが。
要するにこの物体とは――『自転車』である。
因みに電動。
あの時。
本気を出さないで、なおかつ、確実に勝つ方法。
その方法は何かと訊ねた時のこと。
詩志は、ぼく達は正義ではないことを再確認し、その方法を口にする。
「オレ達の作戦は――」
この言葉の先は、次のように続いた。
「――『卑怯な手で勝つ』だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます